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神社名の迷走

今も絶大な人気を誇る三ノ宮卯之助
といっても、知らない人には、レレレ?なんですが、

それはともかく、その顕彰碑が越谷市の市民会館の庭に建った。

さて、ここから重箱の隅をつつきまくります(笑)

「せっかくの慶事にケチつけるのかい」と、お叱りを受けそうですが、
はい、そうなんです。

碑面です。
へいへい3 (2)
へいへいさん撮影の写真を一部カットして、拡大させていただきました。

卯之助の年譜が刻まれています。

重箱の隅その1 「諏訪神社」

「文政8年(1825)正月 卯之助(18歳)
  肥田文八と久喜市太田袋の諏訪神社で力石五十貫を持つ」

碑面には、こう刻まれていますが、
本当に「諏訪神社」でよかったのかなぁ、ということなんです。

この「諏訪神社」はややこしいんです。

資料によって、
「諏訪神社」になっていたり、「琴平神社」と書いてあったり。

こちらは「久喜の力石」(2001年発行)の表紙の一部です。
表紙の力石は「卯之助石」です。

これには「諏訪神社」と表記されています。

img20210505_19381069 (2)
「久喜歴史探し隊」より

ところが2004年の「三ノ宮卯之助の力石(2)」(高島愼助、高崎力)では、

「最近までは諏訪神社と呼ばれていたが」とした上で、「琴平神社」を採用。
別の個所では、「諏訪神社(現・琴平神社)」としている。

こちらが問題の神社です。奥に力石が見えます。

太田袋1
埼玉県久喜市太田袋

力石の説明板です。

これには、「琴平神社」と記されています。

太田袋2

久喜市役所では「琴平神社」、ネット上でも圧倒的に「琴平神社」です。

ではなぜ碑文に、「諏訪神社」としたのか。
碑建立の関係者にお聞きしたら、こんな答えが…。

「埼玉県神社庁の資料では諏訪神社となっていたので」

確かに。

でも地図によって表記が、「琴平」だったり、「諏訪」だったりで、
外部からきた人は迷う。

そもそも、神社名の迷走の原因はどこにあったかというと、

昔、諏訪神社は太田袋村の鎮守で、今とは違う場所にあった。
それが明治43年、村の中央にあった琴平神社境内に遷座。
元からあった琴平神社と浅間神社を合祀して、
以来、諏訪神社を名乗るようになったとか。

前述の「久喜の力石」でも、こう説明しています。

「今の諏訪神社は昔は金毘羅神社といい、近隣の村々から崇敬され、
祭りも大変な賑わいだったそうです」

軒先を貸して母屋を取られた?

現・琴平神社の力石群です。

画像 002

近年、「諏訪」からもとの「琴平」に戻った。でもその経緯はわかりません。

ですが、たとえこれが通称であれ、
碑面は「琴平神社」にするべきだったと私は思います。

理由は、
この力石に刻まれた三ノ宮卯之助と肥田文八が担いだ場所は、
諏訪神社になる前の琴平神社だったからです。

そして、この石に刻まれているもう一人、「當所 高橋繁蔵」は、
琴平神社の文政13年の棟札にある「大工繁蔵」と同一人物とされていて、
琴平神社とは深い関係にあるのだから。

この神社のそばには川が流れ、船運が盛んだったという。
神社に残された力石は、船着き場の荷揚げの男たちが用いたもののはず。

男たちは誉れの石を、信奉していたこの神社に奉納したはず。

だからこそ、ここの卯之助石を語るのなら、

「諏訪神社」ではなく、「琴平神社」にしなければいけなかった、
あるいは「琴平神社(諏訪神社)」とすべきだったと、

私は強調したいのです。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月8日)

「埼玉県春日部市牛嶋・女体神社」


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至福のひととき

三ノ宮卯之助の力石6個が、
越谷市の指定文化財になったのが7年前の2014年。

高島先生の力石講演会が開かれたのは、それを記念してのことでした。

講演会終了後、私は酒井、斎藤両氏のご案内で卯之助石見学です。

まずは文化財になった6個のうちの一つがある久伊豆神社へ。

CIMG1089.jpg
埼玉県越谷市・久伊豆神社

こちらが卯之助石です。

なんと台座に載せられてしめ縄まで掛けられていました。

この神社は祭りの初めに、
まずこの卯之助石の前で祝詞を奏上するというのですから
もう神さま扱いです。

CIMG1091 (2)

この日、ご案内くださったお一人、酒井 正氏のスケッチです。

img20210504_10080114 (3)

斎藤氏も一句。

   珍しや高みの石に注連飾り

刻字です。

「奉納 五十貫目 天保二辛卯年四月吉日
三ノ宮卯之助 之持 本町 會田権四郎

世話人としてこの石を奉納した「本町 會田権四郎」は、
当時の地元有力者です。

このあたりは紅花の産地でしたから、紅花の豪商だったのかも。

CIMG1092 (2)
78×65×32㎝。50貫は約180余㎏

この神社で、もう一つ見せていただきました。

卯之助石ではありませんが、2006年に斎藤氏が発見した石です。

「奉納 二拾貫余 文政九戌九月吉日 新町 栄蔵

20貫目とはちょいと軽い感じですが、栄蔵さん、嬉しかったんでしょうね。

卯之助この時、19歳
力持ちとして頭角を現わしてきたころで、三橋卯之助と名乗っていたそうです。

「栄蔵石」です。
CIMG1095.jpg

この日お二人から、久伊豆神社の卯之助石に「會田」と刻んだ豪商の名を、
もう一つ見せていただきました。

これです。

ただし、「會田□兵衛」「會田庄右衛門」となっています。
會田一門でしょうか。

この石は、久伊豆神社の卯之助石奉納から21年後のもので、
持ったのは卯之助ではありませんが、石工の名が「卯之助」

ややこしい。

CIMG1096.jpg

で、どこにあったかというと、ここです。

向かって左が酒井氏、右が斎藤氏。
CIMG1098 (3)

道端にゴロン

一応ここは、八幡神社です。

こんなに無造作に転がっているなんて、
埼玉という所は本当に力石王国です。

力石探しは孤独な調査です。

だからこんなふうにご一緒させていただくなんて夢のよう。

あとにも先にもこれ一度きりの経験となりました。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月6日)

「岡山県倉敷市児島由加・蓮台寺」


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石は黙ってものを言ふ

やりましたねぇ、斎藤さん。

久々の新発見。
持ち前のド根性で、菅原天神社での汚名返上です。

「三ノ宮卯之助」の途中ですが、斎藤氏のこの快挙をお伝えします。

発見場所は、埼玉県白岡市の稲荷神社。

この日、ポタリングでここを通りかかった斎藤氏、
偶然、力石を発見。しかも2個も。

720個目の新発見です!

斎藤新発見1
埼玉県白岡市千駄野814・稲荷神社

「実は2007年11月に、ここで1個発見しているんです。
それでもうないだろうと思っていたのに。

うっすらと刻字が見えて。あ、力石だ! と。
当時、見逃したのだろうか。それともその後にどこからか移動してきたのか」

判読に苦労したが、どうにか読めた。

「宝永四丁□□ □□□□□目」

宝永四年は今から314年も前です。
この年、富士山が大爆発。宝永山ができた。

314年も前にこの石は、村の若者たちと共にいたんですねぇ。

斎藤新発見3
58×34×29㎝

もう一つはこちら。

かなり傷だらけですが、わざわざここに置いたということは、
「これは力石だ」との言い伝えが残っていたからでしょう。

不思議ですね。

どこから見ても価値のない石だけれど、
昔、これを担いだ若者たちのがそうさせるのか、

今もこうして捨てられずに居座っている。

斎藤新発見4
57×25×20㎝

こちらは2007年に発見した力石です。

「当時は隣りの千駄野自治会館の裏に、半ば埋没していたんです。
それが神社の脇に移動していました。

住所も当時は南埼玉郡白岡町千駄野だったのが、
今は、白岡市千駄野。

あれから14年。時の流れを感じます」と斎藤氏。

斎藤新発見5
62×40×15余㎝


   
   

         杵淵彦太郎氏に
              君、石を愛し給えば、


    石は黙ってものを言ふ
   直に心にものを言ふ

   雨には濡れて日に乾き
   石は百年易(かわ)らない

   流れる水にさからって
   石は千年動かない



                堀口大学「人間の歌」


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月4日)

「兵庫県豊岡市出石町口・小野地蔵堂」


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播州・力持ち神事

越谷市へ伺った翌年、私は2度目の訪問となる姫路市へ。

目的は、大津区の「天満力持ち神事」の見学と、
網干区の魚吹(うすき)八幡神社にある卯之助像を見に。

そしてもう一つ、浪速の長州力さんと岐阜の大江誉志さんが
ここで石を担ぐというので、これはもう、しっかり見ておかねば、と。

初対面のお二人でしたが、すぐ打ち解けました。
大江さんは奥様とご一緒。愛犬さくらちゃんも同行です。

期待以上の素晴らしい一日となりました。

なんだか過去を振り返る話ばかりになりましたねぇ。
やっぱり年かなぁ。

でもまあ、ばあばの昔話と思って、聞いてください。

「天満力持ち神事」(姫路市無形文化財)です。
蛭子神社と神明神社の両方で行います。写真は蛭子神社です。

天満の若者が「男になる日」です。

CIMG2567_20210427193641897.jpg

「播州秋祭り」の真っ最中。

この神事もその一つで、境内になだれ込んだ神輿が次々去った後、
社殿の前に土俵を描いて、そこで行われました。

土地の者以外はこの土俵へは入れないという厳しい掟があるため、
浪速さんと大江さんは誰もいなくなった境内で挑戦。

この日、大江さんは二つの神社で、
昭和10年以来、誰も担げなかった「上がらずの石」を見事に肩にのせました。

神明神社で122㎏、蛭子神社で137.5㎏、
もう一か所で同等の石の計3個を挙げています。

重さはもちろん、石の大きさを見てください。
現在大江さんは引退。

もうこのように美しく石を持つ人は出てこないだろうと私は思っています。

まさに、「現代の三ノ宮卯之助」
名を刻んで、どこかに残せないものだろうか。

CIMG2637.jpg

翌日私は、網干区へ。

早朝の魚吹八幡神社で、念願の卯之助像と対面。

卯之助は48歳でこの世を去る10年ほど前から、
力持ち興行の旅に明け暮れていました。

天保11年(1840)、魚吹八幡神社の氏子・網干廻船の船仲間の招きで、
ここで力持ち興行を開いた。

この像は、
卯之助の偉業と土地の歴史を後世に伝えるため、平成18年に建立。

20150524084057cf2_202104272110172da.jpg
兵庫県姫路市網干区・魚吹八幡神社

さて、そうこうしているうちに、外が騒がしくなりました。

各地区の神輿が御旅所へ巡行する途中、
みんなこの神社の前で神輿を高々放りあげてご挨拶です。

老いも、

CIMG2675 (2)

やんちゃも、

CIMG2683_2021042721215344d.jpg

坊やも、

CIMG2718 (2)

嬢ちゃんも、

CIMG2730_20210427213010514.jpg


ヨーイヤサー チョーサー!


CIMG2676 (3)


ーーーーーこむら返りその後ーーーーー

こむら返りが完全に消えたわけではない。ただ、かなり軽減してきた。

ミネラル不足もあるのだろうけど、問題は腰。
10代の頃の腰椎麻酔の失敗、その後の交通事故で腰はかなり痛めた。

加えて左足がリンパ浮腫という病気になって、
常時、片方だけ医療用の圧迫ストッキングを着用。
ロボット状の足と生身の足で歩くからバランスが取りにくく腰に負担がかかる。

そんな私の歩き方が気になるのか、
「威張って歩いているから、すぐわかる」
と親しくもないご近所さんから会うたびに言われて、暗い気持ちに。

文章でははっきりモノが言えるのに、対人ではとっさに言葉が出ず、
いつもあいまいな笑いでその場から逃げてしまう。
そのくせ、家に帰ると猛烈な自己嫌悪にさいなまれる。

バカだね、私って。

      ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(5月1日)

「埼玉県朝霞市下内間木・氷川神社」


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卯之助は憧れのスター

越谷市の中央市民会館での講演会も無事終わり、解散となった。

「せっかく遠路おいでになったのだから」と、
酒井氏と斎藤氏が私を誘ってくれた。

しゃれたパスタ屋さんへ導かれて、お昼をごちそうになった。

歓談のあと、力石のある場所へご案内くださるとのこと。

卯之助の石は、神奈川県の川崎大師平間寺(へいけんじ)と若宮八幡神社
姫路市の魚吹(うすき)八幡神社で見ただけなので、これは嬉しい。

しかも地元のベテランお二人のご案内です。

私が川崎市の2か所を訪れたのは、前年の12月。
こちらは、川崎大師八角五重塔です。

CIMG1044~1 (2)
神奈川県川崎市川崎区大師町

このお寺は見どころ満載。どこにも丁寧な説明がありました。

お寺全体が華やいでいて楽しいと言ったら叱られそうですが、
でもどこも心遣いが細やかに行き届き、
いつまでもいたい気分にさせてくれる、そんな空間でした。

力石の説明板です。

CIMG1037_20210427180609c9d.jpg

一番手前の石が卯之助石です。

これは後年、地元の力持ち・四ツ家伊之助が挑戦して成功、
自分の名を刻んで、改めてここに奉納したもの。(135㎏)

説明板によると、左2個は担ぎ上げた「さし石」、
右の3個は石を起こしてまっすぐ立てた「おっ立て石」で、
「一番大きい石は375㎏」とあります。

CIMG1038 (2)

こちらは同じ川崎区の若宮八幡神社です。

CIMG1062_20210429155415525.jpg
川崎区大師駅前

中へ入るとなにやら怪しいものが…。

あちらこちらに「金精さま」が屹立。
陰陽の置物が堂々と並んでいます。

純な私メが目をそらして歩いているのに、
併設の幼稚園の園児たちは、屈託なくその間をかくれんぼ。

絵馬がいっぱいです。みなさん、何をお願いしたんでしょう(笑)

CIMG1060.jpg

こちらが若宮八幡神社の力石群です。

CIMG1056.jpg

これが卯之助の名が刻まれた力石です。

「さし石 大木戸 仙太郎 岩附 卯之助
當所 四ツ家 伊之助 指之」

伊之助はここでも卯之助の名と併記しています。

CIMG1053~1

四ツ家伊之助は、明治の力持ちです。

江戸時代の大物力持ちの三ノ宮卯之助は、伊之助の憧れだったのでしょう。

その大スターが持った石に挑戦して見事担ぎ、石に名前を追記した。

伊之助の誇らしげな顔が、文字の端々ににじみ出ていました。


ーーーーーちょっと聞いてくださいーーーーー

私、長い間、足のこむら返りに悩んでまして。
就寝中だけでなく歩行中も起きるし、脇腹の筋肉や手指までつり出して。

そんなとき、病院のHPで、こんなのを見つけた。
「マグネシウム摂取と正座の勧め」
食事には人一倍気を付けているし、と半信半疑ながらも薬局へ。

カルシウム+マグネシウム+亜鉛+ビタミンDというサプリを買ってきた。
これと今まで飲んでいたEプラスB群のサプリを同時に飲み始めた。

効いたんです!

1日目は何度か出かかっては引っ込んだ。
4日目の今は全く出ない。
おまけに持病みたいになっていた片頭痛も肩こりも腰痛も緩和。

甘い物中毒だったのに、甘い物の欲求が全く起きなくなった。
お通じが素晴らしく快調。
夏は多汗症になって汗も臭かったが、きっと今夏はこれも消えるはず。

苦手な正座にも挑戦。1分ともたないけれど、日に何度か座ってみた。
ふくらはぎに溜まっている血液が押し出されるとか。

ウオーキングでもストレッチでもダメだったのに。
マグネシウムの奇跡か!
ホンモノかマジックか、今後が楽しみです。


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(4月29日)

「茨城県土浦市中央・不動院」


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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