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ヒントは「本牧亭」にあり

三ノ宮卯之助
09 /25 2021
卯之助の「足持石」は、いつ浅草寺境内から
合力稲荷神社へ移されたのかを検証していきます。

まず、石の刻字(切付け)を、図でご覧ください。

IMG_2812.jpg
斎藤・作図

斎藤氏の見解はこうです。

上部の「足持石」「三ノ宮卯之助」「弘化□」は、同時期に彫られたもの。
つまり弘化四年に刻まれた。

下部に彫られた人名などは、のちに追刻されたもの。

ただし、「丣(卯)之助」の文字は彫りに不自然さが見えることから、
下部の文字を刻んだとき、元の文字をなぞって彫ったものと推定される。

というわけで、この石の刻字には二つの時代があることがわかりました。

そしてそれを決定づけるものが、
これ、「下谷 本牧亭 長谷川※」です。

世話人3
東京都台東区浅草・合力稲荷神社

追刻と移転時期を知るヒントは、「本牧亭(ほんもくてい)」にありました。

本牧亭は2011年まで存在した講談の定席だったそうです。

開場は安政4年(1857)。

何度か開場、閉場を繰り返しています。

こちらは戦後、再建されたときの本牧亭主人(席亭)の石井英子さん。

田代光・画
img20210921_22374663 (2)
「巷談 本牧亭」安藤鶴夫 筑摩書店 1992より拝借しました。

そもそも講談の始まりは、
慶長年間、赤松法印という人物が徳川家康公の御前で、
「太平記」や「源平盛衰記」などの軍記物を進講したのが始まりだという。

軍談や物語を講義講釈したところから、進講した人を「講釈師」といい、
その場所を「講釈場」といったと、

吉川潮の「本牧亭の鳶(とんび)
(ランダムハウス講談社。2007)に書いてあった。

私はこの本を読んで、思わず泣きましたですよ。

下足番の中村勝太郎と講釈師たちとの、
柔らかい湯気みたいな交流にです。

下足番と本牧亭の人々以外の講釈師は架空の人物というのですが、
実際の講釈師たちも、
この物語と同じ気持ちの人たちだったに違いない、と。

下の動画の中ほどに、下足番の勝太郎さんが出てきます。

子供のころから過酷な運命に翻弄され、苦労を重ねた末、
好きな鳶職の姿でここで86歳まで働いたという。



身寄りのない勝太郎の遺骨は、
本牧亭の主人の家の墓に納められたというのを読んで、

さらに胸にグッときて…。

あ、でも泣いてばかりいたら先へ進めませんよね。

この本牧亭、安政4年に開場して、19年後の明治9年(1876)に閉場。

このことから「足持石」の下部の追刻は、この期間ということになります。

さらに絞って行きますと、こうなります。

明治新政府は各地の森の公園化を急ピッチで進めます。

浅草寺の森の木も明治4,5年くらいからどんどん切られて、
明治6年浅草公園となります。

その翌年の明治7年7月、鬼熊の150貫目の石「熊遊」は、
新門辰五郎が世話人となって、奥山に建立。

「熊遊」の足元には、門人や友人たちの持った力石が置かれています。
img20210921_21592093 (2)
高島愼助・画

さらに、同年11月の3か日、浅草寺境内で鬼熊、古希の賀として、
一世一代の「大力持會」を開催。

当時の新聞、東京日日は、
「各地から力持ちが集まりこれを助く。
71歳の鬼熊、熊遊と題せし巨石を挙げて…」と、予告記事を載せた。

翌・明治8年、世話人の新門辰五郎没。

静岡もこの新門辰五郎とは浅からぬ縁があります。

新門は幕末、徳川慶喜の護衛として駿府(静岡市)にやってきました。
清水次郎長と会談したのもこのとき。
町火消し「静岡消防組」を作り、江戸木遣りを伝授していった。

鳥羽・伏見や戊辰の戦争で犠牲となった子分の供養塔も建立した。
CIMG2174.jpg
静岡市葵区常盤町・常光寺

話を戻します。

明治6年以降に、「足持石」を移転・追刻したという証拠は、
世話人の中に「公園 勇天」があることから証明されます。

こうした一連の流れから、浅草公園ができたことによって、
卯之助の「足持石」と鬼熊の「熊遊」運命を分けたことは確かで、

「足持石」は、この明治6、7年から本牧亭閉場の9年までの間、
さらに言えば、明治7年の「熊遊」碑建立以前に移転
新たに世話人たちの名を刻んで、合力稲荷神社に奉納されたと推測されます。

それは、
卯之助がこの石を足ざししてから約27年後、
人知れずこの世を去ってから、20年後のことでした。

そしてご近所さんに、
「卯之助って誰だい?」といわれたように、すっかり忘れられ、
小さな稲荷神社の入り口に一人ポツネンと置かれ続け、

パパンパン!(講釈師が張り扇で釈台を叩いた音)

卯之助が差した弘化四年の御代から過ぐること
160有余年目の2009年・霜月、
野良犬的力石ハンターの斎藤氏によって見出され、

晴れて天下にその名をとどろかせたのでございます。

パン!


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞