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原点

みなさまからの力石1
09 /01 2021
今回、美山論文を目にして、浮き彫りになってきたことがあります。

それは、
同じアカデミックな体育史学の立場にありながら、
重量挙げの方々が、力石や石差しに言及し研究していたのに対し、

力石の研究者たちは力石のみに留まって、
重量挙げの世界へ踏み込もうとしなかったことです。

九州の美山豊(北九州大学教授)、東京の井口幸男(慶応義塾高校教師)、
この二人が戦前から取り組んできたのが重量挙げの普及でした。

井口幸男氏愛用のバーベル
秩父宮スポーツ博物館所蔵

しかし二人は、そのことのみにとらわれず、
石差しを欧米から来た重量挙げと「同質のもの」ととらえ、
力石からバーベルへの移行に注目。

その原点にいたのが、
神田川沿いにあった米穀市場の荷揚げ業「飯定組」の親方で、
大正・昭和初期の力持ち飯田(神田川)徳蔵だったことを公けにします。

各大学で力石研究が始まったのは戦後7年たってからですが、
重量挙げのこの二人は、戦前の早い時期から力石や石差しに言及。

美山は地元の北九州や富山で力持ちの調査までしていた。

そして「日本重量挙史」で、重量挙草創期にあった3つのグループの一つに、
飯田徳蔵の「神田川グループ」を挙げている。

徳蔵を重量挙げの草創期の人物と認めていたわけです。

下は、大正14年(1925)、重量挙の日朝対抗試合に出場した3人です。
左から飯田徳蔵、若木竹丸、徳蔵の甥の飯田一郎

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井口もまた20歳年上の徳蔵を「力の大先輩」と称え、尊敬し続けた。

徳蔵の息子の定太郎が在籍した明治大学体育会ウエイトリフティング部は、
「徳蔵は日本の重量挙競技の原点」と賛辞を贈った。

しかし、力石研究者はどなたも、その徳蔵がバーベルを使ったことも
朝鮮の重量挙大会に出場したことにも触れていない。

これでは、徳蔵の存在意義も魅力も半減です。

徳蔵は力石とバーベルの分岐点にいた人で、ほかの力持ちとは、
実力はもちろん、発想の豊かさ、交流の広さが圧倒的に違います。

写真は、用具もなく練習もままならなかった若者たちのために、
徳蔵が秋葉原に自費で作った「神田川重量挙道場」です。

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その道場に通った井口は自著にこう書き残している。

「徳蔵氏はときどき道場に顔を出しては、
強くなれよ、韓国(朝鮮)に負けるな!」と激励されたが、
その顔が今も瞼(まぶた)に浮かぶ」

石差し日本一の男が、
当時、重量挙げ先進地だった朝鮮の選手たちにその力技を学び、
一線を退いた後は援助を惜しまず、後輩たちを見守り続けた。

しかし、終戦の翌・昭和21年5月、
一人息子が戦地から帰ってきた一週間後、急逝。55歳だった。

戦後、息子や甥たちが徳蔵の遺志をつぎ、活躍します。

昭和23年、日本国憲法発布を祝う記念演技が、
天皇・皇后、宮様方ご臨席のもと、明治神宮競技場で行われた。

5年前、若い学徒らが戦地へ出陣していった同じ会場での平和の祭典。
ちょっと複雑な思いがしますが、

これに徳蔵の息子や甥が出場した。

前から甥の飯田勝康、その後ろが息子の飯田定太郎。
56.jpg

下の写真は、飯田勝康の演技です。

勝康は井口と共に監督としてアジア大会やオリンピックに参加。
東京オリンピックの金メダリストの三宅選手のコーチも務めた。

しかし、井口が「勝ちゃん」と呼んでいた勝康は突然、他界。

井口は「もっと生きたかっただろうに」と慟哭しつつ、
「重量挙げの発展にあれほど尽くしてくれた勝ちゃん」の、
その恩に報いるためにせめて叙勲を、と奔走。

「葬儀の日に間に合わせることができた」と、自著に記している。

img015_20180909104440989.jpg

井口の同窓の美山は、昭和55年(1980)、急逝。

「食うのにも事欠く戦後、井口は奉仕的に一人で協会をけん引。
協会はできても経済的に貧困で、すべて自己負担

家庭経済もどん底においての奉仕は大変な負担であったが、
すべては重量挙げを愛し、普及させようとした彼の熱意の現われであった」

生前の美山からそう評価されていた井口幸男は、
平成5年(1993)、日本の重量挙げの基礎を固め、道をつくり、
あとを後輩たちに託してこの世を去った。享年81歳。

井口幸男氏です。
img20210830_11152715 (2)

滑川市立博物館の力石から、とんだ方向に行ってしまいましたが、お許しあれ。

すでにこの世を去った方々ばかりですが、
力石と力持ちの歴史や人物まで探求し、
こよなく愛してくれた重量挙げの先駆者たちに、改めて感謝したい。

また、貴重な情報をくださった
(株)ベースボール・マガジン社・相撲編集部の門脇利明氏と、
快く画像を提供してくださった滑川市立博物館に、心よりお礼申し上げます。

※このブログで私が最も力を入れて書いたのは「神田川徳蔵物語」です。
  お読みいただけたら幸いです。

※参考文献/「わがスポーツの軌跡」井口幸男 私家本 昭和61年
  この本はいつも目につくところに置いてあります。
  ページを開くと、著者の肉声が流れ出てくるように感じます。

※写真提供/飯田徳蔵のご子孫・縁者

※滑川市立博物館の企画展「なめりかわスポーツの輝き」は9月5日まで。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞