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卯之助には悪いけど

三ノ宮卯之助
07 /24 2021
卯之助のご上覧番付をあえて検証していきます。

卯之助研究者の故・高崎力氏は、研究報告書でこう述べています。

「天保4年6月、江戸深川八幡境内で11代将軍家斉のご上覧を賜った。
卯之助は将軍ご上覧唯一の力持ち」

これは凄いことです。

将軍家斉の治世はなんと50年。
この50年の間に、文化・文政という江戸文化の花が開きました。

でも、こんな話も。

政治は側近に任せて大奥へ入りびたり。子供が50人余できた。

きっと徳川家が絶えないよう、がんばったのでしょう(苦笑)

第11代将軍徳川家斉
家斉

将軍の相撲上覧は、この人から始まったそうですが、

その上覧までの手順を、「学習院大学史学会・第15回大会記念講演」、
「相撲の社会史」高埜利彦氏のレジュメから拝借。

相撲年寄りたち(勧進元)が上覧相撲を挙行したいと奉行所に申請。
幕府に、取組書、明細書を提出。(文化6年)
 この間、何度もやり取り。
  
この時の人数が、
相撲取り228人と行司以下合わせて426人。凄い数です。

で、ご上覧は全部で7回あり、そのうち5回までが家斉のとき。

最初は寛政3年(1791)6月。
場所は7回とも吹上御所で、特設の土俵を築いて行われた。
 ※この相撲上覧には別の説もある。後日ご報告します。

初回の取り組み力士は、二代・谷風梶之助小野川喜三郎。
これに雷電為右衛門が加わったという。

jpegOutput.jpg
国立国会図書館デジタルデータより。勝川春草・画

推挙の藩主に「お上の覚えめでたい存在に」という下心があっても、
はたまた相撲界の「これでをつける」という目論見があったにしろ、

まさに、上覧相撲の名に恥じない
当代一流の最高最強のメンバーを揃えました。

ここで私が何を言いたいかというと、身分制度もあって(これは重要です)、
将軍上覧はそんなに「簡単にできなかった」ということなんです。

また推挙には藩主や奉行、勧進元といった
それ相応の有力者がいなければ成り立ちませんから、

果たして地方でちょっと名が売れ出しただけの若造に、
幕府相手に交渉できるほどの後ろ盾がいたのかどうか。

いたとすれば、誰が卯之助を将軍に推挙したのかが気になります。

下の写真は、手作りの卯之助の位牌です。
最後まで卯之助と行動を共にした興行師が持っていたという。

この興行師が幕府に働きかけたなど、まずあり得ません。

img801.jpg

斎藤氏によると、卯之助ご上覧の世話人として名前があるのは、
地元民6人、練馬が2人でいずれも有名力士ではない」とのこと。

高崎氏は、
「卯之助は仲間を東西に分けて番付を作成した」と述べていますが、

力士は一介の駒にすぎず、相手は恐れ多くも日本国の最高権力者です。

私はあり得ないことと思っています。

こちらは卯之助の上覧力持ちと同じ年の4月に、
深川八幡神社で行われた勧進相撲の番付です。

天保7年富岡八幡
東京都江戸東京博物館所蔵

中央の「江戸力持」の下に世話人筆頭として、
当時、権勢を誇っていた一人、「土橋久太郎」がいます。

同時代に、もう一人の実力者、飯田町・万屋金蔵、
そしてもう一人の金蔵、内田屋の金蔵もいました。

この人たちの背後に控えていたのは、酒問屋や魚問屋という大商人です。

このときの卯之助の後ろ盾は、力持ちの師と仰いだ肥田文八ぐらいです。

右上が土橋久太郎です。
20170522091105432_202107222245383e7.jpg

そしてこの番付では、鬼熊(熊治郎)が堂々の東の大関です。

天保4年という同じ年の、卯之助と鬼熊二人の番付を比較すると、
番付表の作りや力士の格に差があり、人数も大幅に違います。

力士・世話人の総人数は卯之助54人に対して、鬼熊は倍近い97人。

これを見た斎藤氏、

「越谷周辺の力士を集めた卯之助に対して、鬼熊は、
江戸市中のバリバリの力士を動員して、向こうを張った感があります」

将軍家斉は吹上御庭での相撲のほかに、
社参で祭りを見たり、品川沖であがったを浜御殿で見物したそうですから、
あるいはそんな折に、とも思いましたが、

品川沖にあがったクジラ。見世物に出されたとか。
kujira14.jpg
品川歴史館所蔵(東京都品川区)

卯之助の興行場所と将軍上覧の確たる証拠が出ない限り、
番付一枚で、「深川八幡で家斉の御上覧」と言い切ることはできない、

と、私は思うのです。

ご上覧という言葉は、なにも将軍の専売特許ではなく、
藩の殿さまなど身分の高い人に対しても使われました。

「天保四年の上覧なら、将軍は家斉だったから、この上覧は家斉だ」
とするのは、少し、短絡的だと思います。

場所の判読も含めて、今一度、検証してみる必要があるのではないでしょうか。

専門的知識のない私メの勝手な推測で恐縮です。

みなさまのご意見など、お聞かせいただけたら幸いです。

力み過ぎて長い文章になりました。反省


ーーー参考までに

文政6年の「相撲上覧一件」を掲載しておきます。
分冊ノ1と2があり、国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。

jpegOutput (1)

jpegOutput (2)


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(7月23日)

「静岡県伊東市宇佐美・城宿会館」


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コメント

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No title

こんにちは。
昨晩のオリンピック開会式、
前回東京五輪金メダルの三宅義信氏が国旗を持って行進されてましたね。
歴史のつながりに、ちょっと感動してしまいました。

マラどーなさんへ

81歳になられて、国旗を持って、形は違うけれど東京オリンピックの舞台に再び立った。本当に素晴らしいと思います。

三宅選手を育てた井口幸男氏を始め、当時の関係者は大喜びであの世から拍手を送っていたと思います。力石をバーベルに持ち替え、世間から認知されない重量挙げの若者たちのために道場を建てた神田川徳蔵も、息子の定太郎やコーチだった甥も、ホッとしたことと思います。

徳蔵縁者の方がオリンピックを機に、小規模でもいいから徳蔵のような男がいたことを知っていただく展示会を、と望んでいましたが叶いませんでした。でもおっしゃるように確実に「歴史はつながっていた」、そのことに私も感動しました。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞