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謎が解けた

三ノ宮卯之助
07 /06 2021
東京・浅草の合力稲荷神社に置かれた「足持石」。

こんな狭い稲荷の境内で、力持ち興行はできません。
ということは、
この石は別の場所から運ばれてきたはず。

で、斎藤氏、ウンウン唸りながら、推理しました。

石に刻まれた「弘□」を、解決の糸口にしようと、
「蹉跎庵主人」の労作「見世物興行年表」の「弘化年」をネット検索。

こちらが「足持石」の「弘□」刻字です。
IMG_7382.jpg

この「見世物興行年表」、私も大変お世話になっております。
ここまでやるかというほど、実に実に調べまくっております。

人体でいえば、
血管から毛細血管、果ては遺伝子にまで入り込むといった具合。
 
名乗りの「蹉跎(さだ)」は、
「足ずりをする」「つまづいて先へ進めない」という意味ですが、

この方の場合は、
故意にとどまって「こだわる」の意だと私は思っています。

その「興行年表」を見た斎藤氏から、

「年表の弘化3~4年の3月を見てください」とのメールです。

どれどれと検索してみると、ありました。

「弘化四年(1847)三月、江戸浅草奥山千本桜通りにて、力持見世物」
 =出典は「浅草寺日記」=

ああ、興行場所はやっぱりここだったか!
CIMG0798_2021070222033489c.jpg

しかし、参考文献の「浅草寺日記」は図書館になかったので、
もう一つの資料、
藤岡屋日記 第三巻(近世庶民生活史料 三一書房 1988)を借りた。

「藤岡屋日記」は、
本屋の藤岡屋由蔵が、公私の出来事や事件、見聞きした噂話などを
65年にわたって書き続けた手記です。

その中の「弘化四年三月二十一日の日記に、

「三月十八日ゟ六十日之間、日延十日 浅草観世音開帳

とあった。

つまり
ご開帳期間は60日だけれど、10日ほど延長も可能ですと言う意味。

しかし、お祭り騒ぎを最長70日とは長いですねぇ。

初日からすでに参詣人が押し寄せ、
石灯ろうだの提灯だのお米だのと
寺内いたるところに、各界からの奉納品が置かれていたという。

奉納者には、
船宿、茶屋、芝居の三座、商人たち、新吉原の遊女まで名を連ねていた。

記事の最後に、奥山で行われる見世物の種類が書かれていて、
その中に、力持ち興行がありました。

「力持 二ケ処在」

二か所ということは、
二つの力持ち集団がそれぞれ興行を行ったということだろうか?

せめて力士名が書かれていればなあと思っていたら、
再び、斎藤氏から朗報が…。

「引き札「江戸の花 大力持三ノ宮卯之助」をご覧ください」

img20210530_11533176 (3)
神戸大学図書館・海事科学分館所蔵

「右側欄外に、「□□三月十八日より」
左に「浅草観音境内…

うわーっ、
「浅草寺日記」や「藤岡屋日記」とピタリ符合するじゃないですか。

「卯之助の得意技がいくつも描かれていますが、左下をご覧になってください。
短冊に「大石二百メ目」と書かれていて、
その横に、俵に見え隠れしている大石を足差ししている絵があります。

これ、あの足持石ですよ!。
卯之助は弘化4年3月に浅草寺奥山で、この石を差したんですよ!」

うわっ、本当だ! 

斎藤氏の興奮が私にも伝染。うわっ!

卯之助一座は、浅草寺のご開帳の折、奥山で興行をした。

神戸大学図書館所蔵の引き札は、そのための宣伝ビラだった。

お上から許された興行日数は「50日」
冥加金、5貫文(後述)。

その日数の中で卯之助は、宣伝ビラに描かれた様々な技、
米俵担ぎ、酒樽担ぎ、田舟に馬一頭を乗せた足差し、

そして、二百貫目の「足持石」の足差しを演じて見せた。

斎藤さん! 謎解き、お見事!


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(7月6日)

「富山県下新川郡入善町新屋・住吉神社①」


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞