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バトン

三野宮香取神社の荒れた境内で、
卯之助石4個を発見した伊東先生の元へ、その後、続々と情報が入ります。

越谷市の久伊豆神社の「奉納五拾貫目」に「卯之助」の名を発見。

昭和47年、「岩槻市の金石文」の著者、志水栄一氏による
「飯塚神社」に卯之助、久蔵併記の力石の報告。

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埼玉県さいたま市岩槻区飯塚・飯塚神社 酒井正・画

昭和48年、神戸商船大学(現・神戸大学)の岸井守一教授の
「四国地方(瀬戸内海沿岸)の力石の研究」に、

桶川市・桶川稲荷神社の「大盤石」が、昭和44年にNHKで紹介された報告。

もう一つ、
古くから知られていた姫路市魚吹八幡神社の2個の力石は、
卯之助の「曲持」石と「指之」石であることが判明したとの報告があった。

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兵庫県姫路市網干区宮内・魚吹八幡神社

その後、情報は途絶えた。

昭和62年、久しぶりに情報があった。横浜からだった。

昭和62年、横浜市の郷土史家・相沢雅雄氏が、
「横浜市緑区・港北区域内の力石(2)」に、

緑区大熊町・杉山神社の「大くま」石に「岩附 卯之助」の名が
刻まれていると報告。

同年、伊東先生自身が、
川崎市・川崎大師平間寺の卯之助石を確認。

同・若宮八幡神社で卯之助石を発見。

下の写真は、手作りの卯之助の位牌です。
没後、100年近くたった戦後まもなく、
卯之助のマネージャーだった興行師の子孫が卯之助生家へ持参したという。

img801.jpg

伊東先生は力石探索の全国行脚を続けながら、
官民を問わず各地の力石研究者・調査者の「力石網」を構築。

そのキーパーソンとして貢献された。

残された論文を読むと、その誠実さがヒシヒシと伝わってきます。

「三ノ宮とはどこか、卯之助とは何者か」の謎が解けた後も、

「卯之助の切付け(刻字)には、「岩附」と「岩槻」の二つがあるが、
同一地名でよいのだろうか。
「三ノ宮」を欠いた「卯之助」は、同一人物だろうか。

確定できる資料が発見されるまでは、また新しい謎が生まれることになった」
と、慎重な姿勢を崩さない。

下の写真は、卯之助生家にあった版木です。
まな板に使っていたそうです。そのため、横一文字に割れています。

小さく見えますが、32.5×49.5㎝もあります。
まな板として使える大きさです。

        表側                     裏側
IMG_3167.jpg

ご子孫は没後100年ほどたってもたらされた位牌で、
先祖に「卯之助」なる力持ちがいたことを初めて知ったのではないでしょうか。

斎藤氏が生家を訪れたときのご当主はおばあさんで、
そのとき版木の保管に不安を覚えたので、
越谷市教育委員会へ委託することを勧めたが、聞き入れなかったという。

しかし、不安は的中。
その後、男が借りに来てそのまま返却されていないと知らされて、
あのとき、もっと強く勧めていたらと悔やんだそうです。

その版木の摺り絵=興行引き札が残されています。

横一文字の割れ目もくっきり出ています。

img673_20210603130420d63.jpg

伊東先生の話に戻ります。

先生ご逝去のあと、ご遺族は、
最後の弟子・高島愼助先生に膨大な資料を預けてあとを託した。

まだ入門間もない弟子は途方に暮れつつも、全国の方々の協力のもと、
師が残した資料に、新たな発見や保存・文化財指定などの力石を加えて収集。

さらに「力石を詠む句や歌」を全国から募集して、
力石が身近なものになるよう努めてきた。

CIMG5618 (4)

そうして孤軍奮闘すること30年余

力石研究の集大成として各都道府県別の書籍を刊行。
一昨年、三重県総合博物館への収蔵を成し遂げた。

この偉業、
全国の行政や民間研究者なしでは決して成し遂げられなかったのは事実。

ですが、その中心となる捨て身の人がいなければ、
決して陽の目を見ることもまたなかった。

滅びゆくものへ、どうしてそこまで熱心になれるのか。

その答えはのちの世に、きっと証明されると私は信じています。

時代に置いてけぼりを食いつつも、
今もなお、新発見や新たな保存など、変化し続ける力石の世界です。

バトンは未来に手渡されました。

ふうー。今回はちょっと力が入り過ぎました(#^.^#)


     ーーーーー◇ーーーーー

高島先生ブログ(6月6日)

「静岡県賀茂郡東伊豆町稲取入谷・山神社」

先生、あの金精様の記事に反応? 反撃? 
いえいえ、民俗学的に考察しましょうという示唆かも。


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No title

山神社について、ちから姫のブログ写真では金精様のみが取り上げられていたので力石にも陽の光をと拙ブログで紹介しました。ちから姫のブログを見られた男性諸氏が劣等感を感じていなければいいのですが???

三重之助さんへ

イースター島の巨人と同じです。
昔の人は村境や辻にこういうものを立てて、「我が村にはこんな巨人がいるんだぞ」と威嚇して、外敵や邪悪なもの、病気などが入ってこないようにしたといわれています。その後は新婚のお嫁さんが子宝に恵まれるように祭りで尻をたたく「尻敲き棒」になりました。

山神社は力石と金精様で鬼に金棒です。
コロナウィルスもこれで退散できればいいのですが(笑)
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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