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オビシャ

民俗行事
01 /19 2020
「オビシャ」という言葉をご存じでしょうか?

私は10年ほど前、力石の調査で訪れた某所で初めて知り、
ちょっとユーモラスな言葉の響きと素朴な風習に、たちまち惹かれました。

でも、見物は叶いませんでした。

「地区の人たちが密かにやっていることだから」とやんわり拒絶され、
加えて神社は人家もない山中で、日時もわからず断念。

それから5年ほどたったある日、
思いがけない方から「オビシャ」が出てきてびっくり。

その方は、
国際日本文化研究センターへ留学されていた韓国の大学の先生で、

オビシャの研究で日本に来ました。
かつては韓国にもあった風習でしたが、今は途絶えてしまったんです。
それが日本には残っていたんです」と。

これは千葉県立関宿城博物館・友の会発行の図録です。

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昨年、「万治石」保存式典に出かけた際、関宿城博物館で求めたものです。

「オビシャ」は「御奉射」「御歩射」「鬼射」とも書き、
おびしゃ、おんびしゃ、ほうしゃ、ぶしゃとも言います。

1月から2月にかけて行う年のはじめの「厄払い」の行事で、
三本足のカラス魔王の目などを描いた的を弓矢で射るものです。

図録から的の写真をお借りしました。

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茨城県取手市野々井・白山神社

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栃木県日光市小倉・三所神社(写真提供・篠崎茂雄氏)

この図録は関東一円のオビシャを扱ったものなので静岡県のものは皆無。

でもわが県にもあるんですよ。
かつては、弓矢を鉄砲に替えた「オビシャ」も。

下の動画は、
静岡県の伊豆松崎町池代・日吉神社「おんびしゃまつり」です。

ここでは的に鬼の文字を描き、それを黒く塗りつぶしてあります。



こちらは静岡浅間神社「奉射祭・大的式」です。

「奉射神事」は関係者のみで屋内で行われたのか、
屋外でのこの式がその両方だったのか、只今、問い合わせ中です。

神社弓道会の方々の登場です。女性がお二人いました。

CIMG5076 (2)
静岡市葵区宮ケ崎町・静岡浅間神社

片肌脱いで凛々しく弓をひく若者です。

CIMG5084 (2)

たおやかに矢を射る若い女性です。

CIMG5089 (2)

 なんと、いきなりど真ん中に!

CIMG5090 (2)

近くの幼稚園児たちも見学です。

今はよくわからなくても、
「ああ、これはあのとき見たのと同じだ」
という日がきっときます。

CIMG5093 (2)

「万治石」がある野田市今上でも、今ごろ厳かに行われていることでしょう。

この日私は、
厄が払われて、すっきりした気分で浅間神社を後にしました。

静岡浅間神社の百段階段です。
CIMG5099.jpg

大きな神社での奉射神事も素晴らしいけれど、
やっぱりムラの小さなお社での「オビシャ」を見てみたい。

と思いつつ、これを書き終えてわが身を見るとエプロンをつけている。

ブログを書くぞ!と意気込んでパソコンに向かうとき、
なぜか自然にエプロンを腰に巻いてギュッ。

妙なところで習性が出るものですね(笑)


※参考文献・画像提供/令和元年企画展「オビシャはつづくよ400年
               ~年のはじめの村まつり~」
               千葉県立関宿博物館友の会 2019


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コメント

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No title

おじゃまします、ご紹介いただいた”オビシャ 鉄砲”の検索で、0.45秒でたどりつきました。”弓を射る”行事は日本全国津々浦々で残っていると思います。名称もそうですが、衣装、的、作法など各地の違いを見比べると興味深いものがありますね。

No title

早速ご訪問くださり、恐縮しています。ありがとうございます。こういう伝統行事は大切に次世代へ繋げていって欲しいですね。なんでも合理的、化学的なばかりがいいわけじゃないですし。

ブログにお書きになっていた「川勧請縄」。私もかなり以前に、奈良の明日香村で見ることが出来ました。あそこのは女綱と男綱が飛鳥川に渡されていたと記憶しています。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞