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小鍛冶と小ぎつね

三重県総合博物館
10 /17 2019
「文治二年」「ちから石」「稲荷の鳥居」

私はコレで迷路に迷い込みました。

壁にぶち当たったら原点に帰る、それしかない!
というわけで、発端の屏風絵に戻ります。

上杉本「洛中洛外図屏風」の「べんけい石」の場面です。
img068_20191016101931c2f.jpg

そして重要なのがこの絵の上部に描かれていた「粟田口」

弁慶石もここから入洛したという洛中・洛外の出入り口です。

文治三年、東大寺院主の勧修坊得業という高僧が、
義経に通じたとして鎌倉の頼朝の元へ連行されます。

その時の経路もこの粟田口から始まります。

粟田口ー松坂、山科を通って逢坂の関。
そして、
園城寺ー瀬田の唐橋を通って伊吹山…、東海道を下って鎌倉へ。

その粟田口です。
img032 (4)

平安時代、この粟田口に、
名工・三条小鍛冶宗近という人が住んでいたそうです。

時の一条帝の求めで剣を打つことになったが、
相槌(あいづち)がいなくて困っていたら、
どこからともなく一人の童子が現れて相槌となった。

相槌(あいづち)=剣を打つ職人の相方。
    金鎚を持った職人と木槌を持った職人が気持ちを一つにして
    「丁々、しっていころり」と打合せること。
    転じて相手の話にうなづくこと。
            
右側が小鍛冶宗近、左側が小きつねの童子。
img20191016_10265161 (2)

めでたく剣は出来上がり、童子は稲荷山へ消えた。
この童子、稲荷山に住む小キツネだったそうな。

そこで宗近、剣の表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐」と名を入れ、
「小狐丸」と名付けて帝へ捧げ奉った。

でもねえ、初期のころのものには狐は出てこないんですよ。
女房が相槌になって、美しい夫婦愛になっているんです。

キツネが出てくるのも一匹だったり三匹だったり。

下は柳森神社の「おたぬきさん」です。

「キツネばかりじゃないよ。おいらたちもこうしてがんばってるんだよ。
他(た)を抜(ぬき)たい、出世したい人は参拝に来てね!」

CIMG3864 (2)
東京都千代田区神田須田町。
ここには力持ちの神田川徳蔵一門が持った力石群があります。

ま、それはさておき、
宗近の氏神は「稲荷の明神」

そして相槌となった小狐は、剣が完成するや、

「これまでなりと言い捨てて群雲(むらぐも)に飛び乗りて、
東山稲荷の峰にぞ帰りける」

この稲荷社ってどこだ、と探したら二社あった。

知る人ぞ知る「伏見稲荷大社」
そしてもう一社は「花山稲荷神社」

小ぎつねがやってきたのは、どっち?


※参考文献・画像提供/「謡曲三百五十番集」江戸文藝之部 
               日本名著全集刊行会 昭和三年
※画像提供/「上杉本洛中洛外図屏風を見る」小澤弘 川嶋将生 
        河出書房新社 1994
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コメント

非公開コメント

No title

ただただ不可思議な世界に迷い込んだような
あたくしにはついてゆけないような魔界かもしれぬ。
はまったら抜けられない世界の扉が見え隠れしているよyな。

No title

ホント、書いてるあたしもなんだか朦朧としてきました。ゴールはすぐそこに見えているのに、あれも書きたいこれもと欲張っておりますので、こんがらがってきました。

どうぞお見捨てにならず、最後までお付き合いくださいませ。

自分の名前を誤字。すみません

姓が雨で名が清い。どちらも水に関係が…。高校時代、同級生から「あなたにぴったりの名前だ」といわれたけど、そうかもな。だってこの清らかな心のまま、サラサラと素直に人生を流れてきましたから(笑)

このブログが三重県総合博物館へ収蔵されたことは以前、お話しましたが、今度fc2さまでインフォメーションに取り上げてくださるみたいなんです。

この勢いで歌舞伎俳優の向こうを張って、国会図書館収蔵へとこぎつけたいと密かに願っております。念ずれば花開くですものね。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞