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べんけい石

の話はひとまずおいといて、へ移ります。

上杉本「洛中洛外図屏風」に描かれた「べんけい石」の話です。

とはいうものの、これが難しいのです。

どこから手をつけてよいのやら、ここ数日、悩んでおりました。

なぜ悩んでいたかというと、
この石を持ったとされる「武蔵坊弁慶」なる人物は、
はたして実在していたのか不明なんです。

人は存在しなかったのに力石だけは存在するって、どうよ?

それはともかく、歴史学者の川嶋将生氏は、
この屏風に描かれた景物について、こう言っています。

「(屏風の絵は)
そこにそれを描いて当然であるとする当時の人々の共通認識と、
一定の了解のもとで描かれている。

そこにそれを描くのはおかしいというものはまず描いていない。
事実のかなりを反映しているのではないか。
弁慶石もそうしたものの一つである」

ということは、

弁慶の存在の有無はさておき、
この屏風ができた織田信長の時代には、石はすでにここにあって、
それが「弁慶ゆかりの石」であることは誰もが知っていた、

ということになります。

img068_20190907114812a42.jpg

石担ぎの場にいる人たちは刀を差していますから武士でしょう。
右下に槍を持っている人がいます。

後日ご紹介しますが、ここでは相撲を取っています。
足軽などの下級武士が力比べや相撲をやっているのだと思います。

場所は、京都・鴨川の三条河原。

今の「弁慶石町」です。

日本中世史がご専門の瀬田勝哉氏によると、

「この地は、
江戸時代の初めから弁慶石町と呼ばれていた
このことは、寛政14年作成の「洛中絵図(宮内庁書陵部蔵)」により明らか」

そして、
この町と屏風の絵の場所は、ほぼ同じなんだそうです。

「べんけい石」があったことで生まれた町名なんでしょうか。

で、さらにびっくりするのは、
この弁慶石町には実物の石が今もあるということです。

「弁慶石」です。
京都市中京区・弁慶石2 (4)
京都市中京区三条通麩屋町東入ル弁慶石町

石の高さは推定120~130㎝。かなりの大きさです。
屏風の「べんけい石」とは、大きさや形が違うのが気になります。

こちらは説明板です。

京都市中京区・弁慶石3

物語の創造上の人物かもしれない弁慶ですが、
室町時代から令和の今に至るまで、
人々はその実在を疑わず、これを弁慶が持った力石だと信じてきた。

なぜなのか?


※参考文献/「図説・上杉本洛中洛外図屏風を見る」小澤弘 川嶋将生
        河出書房新社 1994
       /増補「洛中洛外の群像・失われた中世京都へ」瀬田勝哉
         平凡社 2009  
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非公開コメント

No title

雨宮さん、おはようございます。

え?
弁慶って史実かどうか疑われてたんですか?
う~ん、初めて知った。
次の記事が楽しみです。

No title

三島は台風の被害はなかったようで、よかったですね。
でも、この暑さ、たまりません。

弁慶の話、書き方が難しいのですががんばりますので、
楽しみにしていてください。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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