はこぶことは生きること

  =写真を追加しました=

下の写真は、故・平原直(ひらはらすなお)氏のご著書、
「物流史談 物流の歴史に学ぶ人間の知恵」です。

平原氏は、
「個々バラバラに分断され、分散されて、無力化のまま放置されてきた
輸送、保管、荷役、包装、情報という「物流機能」を個別に考えず、
トータルシステムとして捉えよ」と主張。
その普及・啓蒙に生涯を捧げた方です。

img111_2018051312584876c.jpg

この本は、流通研究社の月刊「マテリアル・フロー」に書き続けたものを
1冊にまとめたもので、連載期間は1996年から2000年までの4年半。
執筆したときの年齢はなんと、94歳から97歳のとき。

驚くべき記憶力と精神力です。

本の序章にはこう書かれています。

    はこぶことは生きること
   生きることははこぶこと


「ものを運ぶということは、この世に生きとし生けるものの、悲しい宿命である。
生きるためには、まずものを運ばなければならないし、
ものを運ばなければ、人間も虫けらも生きることができない」

どんなに文明が発達し産業構造が変わろうとも、
「ものをはこぶことは生きること」という本質は変わらない。

その原点を忘れず、そこで育まれた人間の知恵に学ぼうと、
日本の産業を底から支えてきた「ものを運ぶ」人たちを、
平原氏は全国各地に訪ね歩きます。

米どころ、山形県酒田市の山居倉庫で働く女性です。
img117_20180513163702441.jpg

なんて美しい笑顔でしょう。
私は一瞬、往年の大女優・原節子さんの映画のワンシーンかと思いました。

この場所はNHKの朝の連続ドラマ「おしん」の舞台になったところです。
ここの女性たちは美しいだけでなく、おしんのごとく、
ものすごいがんばり屋さんだったんだと改めて思いました。

こうした女性仲士を「女丁持ち」(おんなちょうもち)といったそうです。
絣の着物に地下足袋に前掛け姿。この方は米5俵を担いでいます。

米1俵は60Kgですから米だけで300Kg。
それにバンドリという背あての重さ10Kgが加わりますから、
〆て310Kgです。

それだけではありません。

背負った米を倉庫に積み上げなければなりません。
本の中で平原氏は、これを「はいつけ」ではなく、
「併積み(はいづみ)と記しています。

彼女たちはこの「併積み」のため、夜の8時、9時まで提灯片手に、
天井まで届く「歩み板」を登っていたそうです。

これは江戸末期の力持ち、木村与五郎の錦絵です。

与五郎木村

いくら与五郎が強力の持ち主ともてはやされても、担いだ俵は4俵

酒田の「女丁持ち」には、
完全に負けているではないですか。


※参考文献・写真提供/「物流史談ー物流の歴史に学ぶ人間の知恵」
               平原直 発行者・間野勉 編集・菊田一郎
               流通研究社 2000 

      
         ーーーーー◇ーーーーー

※ヨリックさま、三島の苔丸さまからいただいたコメントに答えて。

昭和29年ごろの炭焼き窯と炭の搬出の光景です。
img001_20180515122509293.jpg

大井川流域の村々を行商して歩いていた昭和50年ごろの「シマネー」
これだけの荷物を背負い、両手には一斗缶を下げていたそうです。

img142.jpg
「大井川 その風土と文化」野本寛一 静岡新聞社 1979

20年ほど前私は、この一枚の写真を頼りにシマネーこと「しま」さんを探し、
ようやく見つけてお会いしました。

しまさん(大正11年生まれ)は旅館で賄いをしていました。
「働くのが大好き!」
「子供のころからずっと働いてきたからね」とサラリと語ったしまさん。
とびきりの笑顔、今も鮮明に覚えています。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

山村の暮らし

今はもう廃村になって消えたかも知れないけれども、ワタクシの母親は石川県の白山山脈から流れ下る川の一つ、直海谷川(のみだにがわ)流域にあった下折(そそり)という村で生まれました。ワタクシがこの村を訪れたのは1942年3月、大雪でした。二度目がその翌年の夏でした。小学校4~5年の頃です。
この村での産業は炭焼きでした。
木炭の製造です。
急な斜面の中腹に炭焼釜を作り、主に楢・樫の木を切り倒して、サイズを揃えて切って釜に入れ、火をつけます。出来た木炭は炭俵に入れて背中に担いで運びます。
食料は、水田が全くない山中なので、山の斜面を「焼き畑」にして、サツマイモや蕎麦などを植えますが、肥料は自分たちの出した人糞尿で。それを樽に入れて担ぎ上げます。
動物性蛋白は、村で一年に一匹捕るツキノワグマの肉を村人で分配した貴重なものと、直海谷川で捕るイワナで、それを捕るのは、夜、ランタンに火を灯して川面を照らし、寄ってくるお魚を銛で刺して捕るのです。
お米は木炭を売ったお金で買うのだが、貴重なので、食事の前にはまず蕎麦粉を練って「そばがき」にしてまずそれをたくさん食べてお腹を膨らませておいてからお米のご飯を少量食べるのでした。
昼の労働の殆どは運搬で、夜になると炭俵を編んで拵えます。
殆ど自給自足の生活でした。
ワタクシの記憶している山村の生活でした。

No title

雨宮さん、おはようございます。

絵とかだと、本当?って思ってしまうんですが
写真に残ってると、疑ってすいませんでした
っとなります。
荷物の重さは全然違うんですが、
地元が常磐線なんで、昔よく行商のおばちゃんが
大きな荷物を背負って乗ってたの思い出しました。
最近は、ああゆう風景も見なくなりました。

No title

昔の人はみんな働き者でしたね。すべてが人力でしたから。

苛酷な労働だったと思いますが、精神的にはどうでしょうか。今の労働形態を見ているとガシッとした手ごたえを感じる人は少ないように思います。
5俵も俵を担ぐ女性の笑顔には「これだけ担げるんだよ」「家族を養っているんだよ」という自信にあふれています。

労働の旨み、楽しみを今はみんな機械に盗られてしまい、バーチャルな世界で心の安定を失っているような…。

No title

苔丸さま、コメントありがとうございます。

担ぎ屋のおばさんと呼んでいましたね。
私も子供のころ電車の中で目にしました。
あんな大荷物、よく担げるなあと驚きました。痩せガエルのような私は体育は大の苦手。母親となっても子供をおんぶするのも5分ともたなかった。

でも30代で登山を始めたらメキメキ力がついて、すごい荷を背負うようになりました。何事も修練でしょうか。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

お願い
このブログに掲載されている 写真・記事等には著作権があります。 無断使用はご遠慮ください。
カレンダー
06 | 2018/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
訪問者数
ブログランキング
ブログランキング
ランキングに参加しています
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR