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「健一君」続報

力名・神田川こと三木健一君、
のちの国乃花(立浪部屋)の詳細がわかりました。

情報をお寄せくださったのは、
ベースボール・マガジン社「相撲編集部」門脇利明氏です。

専門の方からの情報です。これほど確かなものはありません。

生年などは戦前の相撲雑誌に、
大正5年3月5日、東京市神田区佐久間町3037 三木健一とあるそうです。

神田佐久間町といえば、
徳蔵たちが働いていた神田川米穀市場があったところです。
健一君一家もこの市場と何か関係があるのかもしれません。

その健一君、
「恐らく昭和5年5月に初土俵。
まだ子供だし、そんなに強くもなかったと思われるので、
前相撲では苦労したのでしょう」と門脇氏。

入門したころの健一君(14歳)          42年後の国乃花(56歳)
s5_5_8弟子 (3) 雑誌『大相撲』昭和46年4月号 (2)

温厚そうな雰囲気はそのままですね。

で、力士の地位には12階級もあって、まず、「前相撲」から始まって、
「本中」「序の口」「序二段」「三段目」「幕下」「十両」と進み、

ここでやっと入幕への道へ

そこから「前頭「小結」「関脇」「大関」ときて、
最高位の「横綱」になるのだそうです。

厳しい!

でも昔はもっと厳しかったと門脇氏は言います。

「今でこそ前相撲は、
勝っても勝たなくても1場所で通過できるシステムですが、
当時は「前相撲」(2連勝で白星1つ。白星2つで本中へ)、
「本中」(前相撲同様、白星2つで新序出世)と、
しっかり白星をあげなければ、
何年も番付に載ることができなかった。それが昭和47年まで続いた」

健一君の力石ではありませんが、
「前相撲」の次の「本中」と刻まれた力石があります。

img107_20180504134330c0f.jpg
千葉市中央区院内・千葉神社

「北辰石 本中 市太郎」

市太郎も相撲力士だったのでしょうか。
私はこの「本中」を相撲の「本中」と勝手に思い込んでいましたが、
もしかしたら、間違いかもしれません。

よく考えたら、この「本中」、石に刻むほど自慢できる地位ではないし、
この土地独特の何か別の意味かもしれません。
ご存知の方がおられましたら、お教えください。

ちなみに、
ここで一番大きな石の銘は「三光石」で、これには「杜氏 勇助」を筆頭に、
幕末の力持ちの矢向弥五良(郎)、市太郎、小川清八の名があります。

で、国乃花はどんな経緯をたどったかというと、

昭和7年、夏場所、国ノ花健一で序の口。
同8年、春場所、序二段。同9年、夏場所、三段目
そして昭和21年、30歳で引退。

穏やかな人柄が見込まれたのでしょうか。
その後は「若者頭」として、師匠と若い者を結ぶパイプ役に専念。

これは国乃花が部屋を退職した昭和46年のインタビュー記事です。
みなさまに全文をお読みいただきたくて、4つに分けて掲載しました。

雑誌『大相撲』昭和46年4月号 (3)

雑誌『大相撲』昭和46年4月号 (7)

雑誌『大相撲』昭和46年4月号 (5)

雑誌『大相撲』昭和46年4月号 (6)
雑誌「大相撲」昭和46年4月号 読売新聞社。資料提供/門脇利明氏

「上と下の信頼感」

重く響きます。


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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