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徳蔵の絶頂期

大正15年(1926)前後から昭和前期にかけては、
徳蔵の絶頂期だったと思います。

ことに大正15年はその活動がめざましく、各地で力持ちを披露。

下の写真は、

「大正十五年 高園寺ニ於テ角□店先ニテ寫(写)ス」

の覚書がある記念写真です。

赤矢印が神田川徳蔵です。徳蔵、このとき、35歳
t5_web.jpg

斎藤氏は、
背後の幟に書かれた「天力 丙寅仲夏から開催月は「大正15年5月」、
店は日本蕎麦屋、左隣りは歯科医院と推定。

こちらが写真に貼付されていた「覚書」です。
徳蔵の自筆と思われます。

t5覚書

この年徳蔵は、地元だけでなく、遠く名古屋にまで出かけて、
当地の経済界や地元の力持ちたちから大歓迎を受けます。
これについては次回、詳述します。

そしてこの年の11月、
東京の力持ちを結集して、
身延別院へ「本町東助碑」を再建したことは先述した通りです。

まさに「飯定組」二代目としての華々しい船出です。

こんなポストカードも作っています。

hagaki1_web.jpg hagaki2_web.jpg
 
また、
昭和29年(1953)発行の日本運輸倉庫株式会社の社内報、
「とびら」にこんな一文が載っています。
これは徳蔵没後の8年後の、徳蔵の偉業を称えた回想記事です。

「大正15年11月1日に、
それまで秋葉原にありました数百軒の小運送業者が統合して
秋葉原事業組合を結成した。
当時の積却組合倉庫取締役・神田川徳蔵さんのーー」

この記事から徳蔵はこのころ、「飯定組」のほかにもう一つ、
倉庫会社の取締役に就任していたことがわかります。

この大正15年という年は、
それまで3社あった大手運送業者が合併して新たに「合同運送(株)」をつくり、
1駅1店制を決めるという運送業界大変革の年でした。

ちなみにこの合同運送はのちに、戦時国策会社「日本通運」となります。

これは相撲のポストカードです。右端にいるのが徳蔵です。
こういうポストカードを作るという発想、なかなかのものですね。

sumou_postcard_web.jpg

この2年後の昭和2年には金融恐慌が起り、
やがて15年もの長きにわたる第二次大戦勃発という、
風雲急を告げる時代に突入していきます。

同じ年、
「飯定組」が所属する神田川米穀市場も深川米穀市場と合併。

そんな中徳蔵は、従業員の士気を高め、統率する手段として、
また、会社の宣伝の一つとして、
精力的に東京や名古屋で力持ちを披露して歩いたのです。


  ーーーーー◇ーーーーー

本日は久しぶりに「能」を鑑賞してきました。
「能」は「杜若」、狂言は野村万作さん出演の「佐渡狐」。

で、ヒヤッとしました。
市民文化会館での特設舞台で、杜若の精が舞台から落ちそうになったのです。
いやにこちらに寄り過ぎているな、危ないなあとハラハラしていたら、
次の瞬間、片足が半分、外へはみ出た。もう、どうなることか、と。
慌てて後ずさったため、落ちずにすみました。
後見さんがとっさに立ちあがりましたが、無事でよかった!

以前にも浅間神社舞殿での「羽衣」で、社殿を上がる狭い階段でつるり。
転ばずに体勢を立て直しましたが、あのときも本当にヒヤリでした。


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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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