納札睦会

神田川徳蔵の結婚前の名は佐納徳蔵。
荷揚業「飯定組」の親方、飯田定次郎に見込まれて、
定次郎の5女お千代さんの婿養子となり、二代目を継いだ。

この結婚がいつごろかは定かではないが、
縁者のEさんによると、大正10年から12年ごろではないかという。

徳蔵30~32歳のころにあたります。

最初授かった女の子を幼くして亡くし、
震災の翌年、待望の男児を授かります。飯田定太郎です。

下の写真は、定太郎誕生のころの力持ち興行です。

「大正十三年四月三日 本郷丸山某宮家・別荘空地ニテ
 峰崎家主催宴遊会ノ余興」

黒いスーツ姿は東京漫才の東喜代駒、その右に徳蔵がいます。
さし石1 (3)
徳蔵ご子孫提供

この徳蔵長男の定太郎はいとこの飯田一郎や勝康とともに、
日本ウエイトリフティングの生みの親になった人です。

結婚、飯定組二代目就任、長男誕生と、
お目出度いことが続いたわけですから、もう徳蔵の人生は絶好調。
仕事や力持ちの世界だけではなく、
千社札の粋人たちとの交流を初め、東京漫才の東喜代駒
お座敷芸の幇間・玉介などをも仲間に加えていきます。

そんな中での「東助碑」の再建です。
この再建には「力持連」はもちろん、
千社札の「納札睦会」の先輩たちからも助けられました。

これが千社札です。これは文字札。
CIMG4263.jpg
静岡市内の某寺

写真を撮っていたら石垣の上からお坊さんがものすごい顔で睨んでいた。
貼る場所を物色していると思ったみたい。
建物を汚されるから江戸の昔から問題になっていて大変なのはわかります。

こんなのもあります。額に入れて奉納したものです。
額奉納
埼玉県越谷市・浄山寺

ここには納札塚も。

塚納札

これなら建物も汚れないしいいねと思ったら、やっぱりありました。

埼玉千社札

またまた話が逸れてしまいました。
ダメですねぇ、ついついしゃべり過ぎちゃって…。

「東助碑」を再建しようとがんばっている徳蔵を、
「納札睦会」の方々が協力したお話に戻ります。

睦会の方々の協力の証しがこれです。
「東助碑」の台座にざっと50余人もの会員の名が刻まれています。

1東助碑納札睦会

こちらには著名な高橋藤之助紺三いづ赤など、
千社札ではお馴染みの名があります。右端に徳蔵の名も見えます。

4東助碑納札睦会

徳蔵は所属する「納札睦会」の交換会へ出かけては千社札を集め、
それを丁寧にアルバムに貼っていました。
その徳蔵コレクションは、
飯定組・親方の三女おスミさんのご子孫宅に保管されていました。

おスミさんのご子孫・Eさんの話では、
「徳蔵さんの長男の定太郎さんとスミの息子が大の仲良しだったから
定太郎さんから譲られたのではないか」と。

その中から2つほどお見せします。

「紀元二千六百年奉祝神田明神 両国御假舎之図」
右端に徳蔵の名。
SANY1496.jpg

こちらは「俳優見立納札繭玉七福神」の「福禄寿・市蔵」。

左下の赤い瓢箪の横に徳蔵の名。
SANY1550.jpg

ほかに、
「江戸玩具集納札」「洒落紋」「引き出し駄洒落集」「納札睦尻取り合わせ」
などもありました。
また、東京漫才の東喜代駒の札もありますが、ここでは割愛。
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雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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