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再び、神田川徳蔵です

大正・昭和を代表する力持ち、神田川徳蔵。
前の記事から1か月半ぶりの登場です。

もうね、みなさんの記憶から消えているんじゃないかと。
だって書いている私が「ハテ? 話はどこまでいったっけ?」なんですから。

頭を切り替え記憶を取り戻して、再スタートです。

前回は、
今から95年前の大正12年に起きた関東大震災でのお話でした。
大惨事の被服廠跡へ親方の娘・おスミさんを捜しに行った徳蔵。
しかしどこにも姿はなく。
もうこの世にいないものと、家の跡から溶けた硬貨を形見に持ち帰った。

被服廠跡でのおスミさんです。
イラストは文字もはっきりしていますが、PCのせいで読みにくくてすみません。
絵からそのときの状況を読み取っていただければ…。

sumi_hihukushouato.jpeg
イラスト/章さん

幸いにもおスミさんは無事でした。
で、その関東大震災の58年前に起きたのが「安政の大地震」。
下の絵はその状況を描いた「鯰(なまず)絵」です。

地震を起こすのは「なまず」との言い伝えから、
そのなまず(ここではなまず坊主)の首根っこを「要(かなめ)石」で押さえて、
封じ込めようとしている絵です。

描いたのは天才絵師の河鍋暁斎(かわなべきょうさい)、
文は戯作者の仮名垣魯文(かながきろぶん)。
なまず坊主を懲らしめているのが人気役者の七代目市川団十郎ですから、
この錦絵は大当たり。売れに売れました。

img097_20180330121331fb7.jpg
埼玉県立博物館蔵

で、河鍋暁斎、仮名垣魯文と来れば、
やっぱり明治の大力持ち、本町東助(ほんちょうとうすけ)です。

みんな酒に目がない飲み仲間連中です。

徳蔵は、その本町東助がこの世を去った年に生まれていますから、
この人たちとは全く交流はありません。

ですが、東助没後から35年後
徳蔵はこの大先輩と深く関わっていきます。

その関わりを象徴するのがこれです。

CIMG0705_20180330122849d8f.jpg
東京都世田谷区北烏山・幸龍寺

東助を讃えた「本町東助碑」です。
東助への並々ならぬ思慕と尊敬が、この石碑には込められているのです。
それを順にお話してまいります。


※画像提供/「仮名垣魯文」興津要 有隣堂 平成5年
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No title

本編に戻りましたね。
前の紀行の記事も楽しかったですよ。

幸龍寺、昔参拝したような気がしますが、
前にも書いたように、駆け足だったのか、
力石を覚えていません。
京王電鉄の催しで回ったと思いますが…
もう一回は、江戸名所会図の長谷川家の墓所に、
鬼平関係で回ったようでした。

烏山に、今は準特急も停まりますから、
ツツジ園も兼ねていこうかな、とも思っています。

寺町なので、いろいろと楽しめると良いのですがね。

No title

やっと戻って参りました。
でも、4月も計画が目白押し。
横道、路地へ入り込むのが性分なのでちょっと心配です。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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