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豊かさをありがとう

玄関を入ると目の前の壁に、ご一家の写真が飾られている。
いずれも正装して写真館で撮ったものだ。

最初は友人夫妻と3人のお子さんの写真。
壁の写真はそこからスタートして、次の写真にはそれぞれのお嫁さんが加わり、
さらにお孫さんが増えていき…。

そのどの写真にも、家族の要(かなめ)に友人がいた。

間もなく沖縄で挙式するという三男さん。
そのお嫁さんもすぐに新しい家族としてこの壁を飾ることでしょう。

結婚に失敗した私には、望んでも果たせない世界だ。
羨望と称賛とほんの少しの反省のあと、私はきっぱりと「我が道」へ戻った。

金沢を去る朝、友人が篠笛を吹いてくれた。

CIMG4192.jpg

曲は「笛吹童子」と「山さくらの唄」

10年前、友人は私立高校からの要請を受けて学習塾をたたみ教師となった。
同時に海外トレッキングの軸足をエベレスト街道からヨーロッパへ移した。
そしてこの20日後には、南米ペルーに旅立つことになっていた。

山歩きにはこの篠笛を必ずザックに入れていくのだという。
笛の音色はどこでも歓迎され、ことに山岳民族には共感され喜ばれるとのこと。
今ごろペルーの山々に篠笛がこだましているに違いない。

正味1日半という金沢滞在だったのに、ものすごい濃密な時間を過ごせた。

私は来た時と同じように着ぶくれて、お世話になった友人宅をあとにした。
このむさくるしい髪は帰宅後バッサリ切って、元の短髪に戻しました。

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なぜ、金沢の食べ物はおいしいのか。
なぜ、金沢の文化は厚く、庶民にまで行きわたっているのか。
人口70万人の政令都市・静岡市が、
人口46万人の金沢市に遅れをとっているのはなぜなのか。

結論めいたことを言えば、
それは江戸時代の藩の在り方にあるのではないか、と。

江戸初期、徳川家康が駿府城にいたころの静岡市は、
人口15万人ともいわれた東海一の大都市で、
スペイン、オランダ、イギリスなどの使節が訪れた国際都市でもあった。

駿府城・巽櫓と東御門。左端のビルは静岡県庁。
CIMG3481.jpg

現在発掘調査が行われている駿府城跡からは
江戸城よりもはるかに大きい日本一巨大な天守台が見つかり、
かつてここは日本の政治経済の中心地で、大都市であったことを裏付けた。

日本最初の全国通貨「慶長小判」を作った金座も、
日本初の活字印刷、初の西洋式帆船の建造もすべてこの駿府が発祥。

しかし家康没後、孫の忠長が城主になったものの自刃。
以後、城主を置くことはなく、
サラリーマン武士が交代で城代になるという不完全な状態が幕末まで続いた。

家康が没して以後、政治や経済はことごとく江戸へ移り、
金座も銭座も遊郭も武士たちもすべて江戸へ引き揚げてしまい、
たちまち人口はかつての10分の1にまで激減した。

東御門
CIMG3482.jpg

今川氏時代に根付いた京文化も風前のともしびとなり、
駿府96ヵ町は田舎町に転落、ただの東西交通の通過点に成り下がった。

それに比べて金沢は、前田家支配のもと、加賀百万石の栄華を極めた。
結果、江戸時代の260年もの歳月の中で金沢は着実に文化を蓄積し、
城主がいないままの静岡は、衰退の一途をたどった。

転勤族の城代が支配者では、郷土への愛情も誇りも熱意も違ってくる。
その違いが味にも文化にも出ているのではないか。

ここはもう、「金沢のみなさん、参りました」と白旗をあげるしかない。

今、静岡市では「夢よもう一度」とばかりに、
大御所・家康さまにお出ましいただき、観光の目玉に据えている。
家康さまもおちおち安眠してはいられませんね。

篠笛の余韻を楽しみつつ、バスに乗った私。
金沢駅で買った笹寿司をリュックに入れて、無事、車中の人に。

次の停車駅の富山駅を出るころ、左手に日本海が見えた。
最初は大きな川だなあなどと思っていたら白波が立っていて、
「あ、日本海なんだ」と。

そのころから急に睡魔に襲われた。
その心地よい眠りの中に、夕べ見た兼六園のライトアップが現れた。

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美しい光景だった。


<おわり>

※ブログには金沢の友人が撮影した写真をたくさん使わせていただきました。

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こんばんは

楽しく、羨ましく、拝見いたしました。

素晴らしい友人をもって幸せですね。
男の友情より、濃厚に見えるような気がします。

一連の「金沢旅行記」ありがとうございました。

こんばんは

one0522さま、コメントありがとうございます。

本当にいい旅をさせていただきました。
知り合ったのはずいぶん前ですが、ふだんはそれほど濃密な付き合いはしていないんです。賀状と年数回の近況報告ぐらい。直にお会いしたのは3回だけ。

でも会えば違和感なくスッと入れます。
それは友人の人柄とご親類や山の会、仕事の付き合いなどで大勢の方と接してきた経験によるところが大きいです。私よりずっと大人です。

そのほか強いて言えば、お互い損得を考えない性格ということでしょうか。相手が喜んでくれればそれでいいという。

今度の旅で「雪のある場所への旅」「冬の旅」を見直しました。

前田の殿様

前田の殿様は百万石の収入がありました。だが外様大名なのでちょっとした軍備増強とか武士の俸禄加増といったことには江戸幕府からすぐ不審の眼で見られました。
だからお金の使い道としては軍事には使えないので、絹織物、陶磁器、といった物を高額で買い取り、美味しいものを食べるために料理屋を開かせ、先祖のお墓を山の中に開かせて、墓参りと称して途中に作っておいた料理屋で美味しいものを食べました。
歴代の殿様は女房が死ぬとお寺を建てて供養をしましたし、お散歩のために兼六園という庭を造らせたり、20kmも先の川の水を御城に取り込むために「辰巳用水」という水道を掘らせたりしたのでした。
武士には剣道の代わりに魚釣りをさせて、めぼそ針という釣針や、殆ど美術工芸品と言った趣の釣竿が作られました。
金澤の町は、単に生活をする町ではなくて、「お遊び」の町になったのでした。
金澤では空から謡曲が降ってくる、といいますが、それは植木屋が民家の松の芽を摘んでいる時に謡曲を謡っているからなのです。
ワタクシは金澤から、仕事の町である静岡県の町に住みついてしまいましたが、遊ぶ事にしか興味はなくて、仕事をしないで遊んでいるうちにいつのまにか歳をとってしまいました。
ワタクシも笹寿司を買って帰ります。安くてオイシイし、人にあげても喜ばれます。

No title

ヨリックさま、コメントありがとうございます。

「空から謡曲が降ってくる」って、いいですねぇ。
それでも若者世代が増えるにつれて、そういう「遊び心」も薄れてきたかもしれません。地元の友人の方、お座敷遊びのイベントが毎年あることをご存知なかったんです。白山市の人形浄瑠璃も初めてとおっしゃっていました。

友人は会合には必ず着物。能にも少し関わっていたようなお話でした。とにかくご自分や息子さんの結納品、床の間に飾ってありましたが、こちらのデパートでは見かけないような本格的なものでした。伝統をとても大事にしていました。

金沢の印象、ひと言でいうと、「どこへ行っても気が利いた町」って感じです。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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