FC2ブログ

12戸の村

金沢駅前からバスは一路白山市へ。
行くほどに雪が深くなる。

「東二口(ひがしふたくち)は本当に山の中なんですよ。
国道ができてやっと行き来ができるようになって…」と友人。

その国道とは、石川県から福井、岐阜をつなぐ157号線のこと。
険しい山間地が連続するため「酷道」と呼ばれているとか。

「落ちたら死ぬ」などと書かれた看板が立つほどだと聞いていたが、
集落までは難なく通行できた。
それでも4年前にはそこも土砂崩れを起こしたとか。

金沢から70分ほどで、本日の会場「東二口歴史民俗資料館」へ到着。
雪の壁には歓迎の絵が描かれていました。

29 東二口の積雪

玄関先で待っていてくれたのは、集落のかあさんたちです。
大鍋で煮込んだおでんで迎えてくださった。

CIMG4142.jpg

ここ東二口集落の「文弥(ぶんや)人形浄瑠璃」(でくの舞)は、
今から350年ほど前の江戸初期、
京都や大阪へ学問修行に出掛けた集落の若者たちが持ち帰ったもので、
現在、国の重要無形民俗文化財になっています。

「文弥」とは、当時大阪にいた浄瑠璃太夫「岡本文弥」のこと。

現代人は「こんな山の中の人たちが大阪へ?」などと言いますが、
それは「車で行く道」を想定しての考えで、
昔の道は、海上の道か山の稜線を越えていく道が「日常の道」でした。

だから、山中に集落が出来たのは自然の成り行きなんですね。

そしてその生活道路を人々は行き来したわけですから、
当然、他国の文化も流入します。
「陸の孤島」は決して「文化果つる寒村」ではなかった、
むしろ高度な文化の集積地だったと思います。

当地でも今、民俗文化財に指定されている神楽や田遊びの集落は、
金山を背負った金堀衆などの豊かな村でした。

静岡市の山間部に「八草」という、今は廃村になった村がありますが、
そこの神社では毎年、神楽の衣装や面を背負った近隣の若者たちが
山越えして集まり、一晩中、神楽を楽しんだと伝えられています。
そして自分たちの「創作神楽」までも演じていたのです。

ここでちょっと静岡市の神楽のお話を。
金沢から帰ってすぐ、静岡浅間神社での「大神楽祭」へ出かけました。

新田神楽の「チキドン」です。
CIMG4208 (2)

野外へ飛び出した神楽。一種の「門付芸」、道化です。
演者が羽織っているものをよくご覧ください。優勝旗なんですよ。
神楽用の特別な装束を着ているわけではないのに、サマになっています。

そこが楽しい!

この時期、山間部の神楽が年に一度、ここ静岡浅間神社に集まります。

こちらは「清沢神楽」の「鬼の舞」です。
この舞殿は今川時代、能の大成者・観阿弥が舞った場所です
観阿弥はそのあと、ここで没してしまいます。

CIMG4212.jpg

写真右端のビデオ機材の持ち主さん、椅子に立ちビデオをまわしながら、
小型マイクで自ら実況して録音までしています。

民俗芸能がよほどお好きなようで、いろんな場所でよくお見かけしますが、
以前、この場所を巡って大声出していて…。神さまの前なのに。
浅間神社さん、
この場所への立ち入りや舞台へ機材を置くのを禁止できませんか?

機材が邪魔をして、
橋掛かり上の演者をまともに見ることも撮ることもできないんです。
私もみなさんも暗黙の常識で、客席に座って撮影していますから。
それにマスコミ各社でさえ、
客の目障りにならない場所でカメラをまわしているじゃないですか。

とまあ、イラついてもしょうがないですね。

さて、東二口の人形浄瑠璃に戻ります。
歴史民俗資料館に保存されている「でく」たちです。

49

開演前の館内です。
床へ直に座るのがチョイと苦痛ですが、
始まってしまえばなんてことありません。

CIMG4143.jpg


<つづく>
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

こんにちは

伝統の演芸を楽しんではいますが、
非常識なカメラマンが居て幻滅、しかも舞台が観難いとは。
主催者の関係者でも他の観客の邪魔はいけません。
地元の関係者は嫌われてもやめさせなければ、と思います。


最近は、カメラを持った常識はずれが多くなっています。
私はうんと後ろの方から写す事にしています。

楽しい観劇は羨ましいです。
それにしても雪が物凄いですね。

続きも楽しみにしています。

こんばんは

この「大神楽祭」は市の主催です。
ビデオの方はアマチュアの方だと思います。

この催しは市の職員で民俗研究者の方が農山村活性化と山間地域の人と町の人とを結ぶ目的で開催したもので、今年で2年目。
この職員はその前は文化財課にいて、私もお世話になった「有東木の盆踊り」や「神楽」「田遊び」などに携わっていました。
「大神楽祭」では山村のかあさんの店もたくさん出店して大盛況でした。昨年、愛知県から移住してきた若夫婦がいて、今年出店をのぞいたら赤ちゃんが出来ていました。嬉しいですね。

いい写真を撮りたい気持ちはわかりますが、みんなで楽しむ場所ですからどなたも立ち入らせないのが一番だと思います。



柴木町

珍しい物を見て来ましたね。体験なさったことはゆっくりお聞かせ下さい。
酷道157を野々市町から鶴来町へ南下する途中に「柴木町」(町と言うにはあまりに小さい)町があります。きっとワタクシの家の先祖は、はるか昔はこの町の東にあった富樫左衛門(芝居の勧進帳に登場して、弁慶と丁々発止のやりとりをする関守)の部下になっていて、時移り、戦国時代が終わって江戸時代の初めになると、加賀国は前田の殿様の支配下となってしまったので、ワタクシの祖先は金澤の城下へと移り住んだのでしょう。
そしてどうやら加賀藩の鉄砲隊に入れて貰えたらしくて、住居を下主馬町31番地という(主馬(シュメ)は鉄砲隊の隊長の役名らしい)場所に住むようになったらしいのでした。
一方、酷道157を鶴来町からさらに白山下の方へ向かって進むと、手取川の支流、直海谷川(のみだにがわ)に出会います。この谷を遡って4つか5つの部落で下折(そそり)という、今は殆ど廃村に近い村がありますが、ここで炭焼きをしていた家の娘がどういった縁があったのか分かりませんが、金澤の下主馬町の柴木家へ嫁に来て、そうしてワタクシを産んだのでした。
昭和8年の暮れに、産み月となった母は下折の実家へ戻ってワタクシを産み、その後そこで死んだ(おそらく結核か何かで)のでした。ワタクシは生後数ヶ月で、大雪の山道を叔父の背に負われて金澤へ戻り、祖母の手で育てられ、そして今迄生きているのでした。
ちから姫さまが酷道157を通ったと知ったので、ついワタクシ事を並べてしまいました。

追記

書き忘れましたが、ヨリックは柴木という姓をを名乗っております。

おはようございます

ヨリックさま、詳しい地理的状況などありがとうございます。

「大雪の中を叔父の背に負われて…」
なんだかそのときの情景が浮かぶようです。

私には大雪の経験はないのですが、今回、東二口集落へ行って雪の壁を見たとき、これは大変なところだと思いました。ここまで行くのにずっとなんという川だったか、とにかくバスはずっと川沿いを走りました。

ヨリックさんはご両親の分まで生き抜かれて。
きっとご両親が見守っていてくださったんだと思わずにはいられません。
今回はおかげさまで、非常に濃密で有意義な旅になりました。
観光ツアーでは決して味わえない貴重な体験ばかりでした。
たまには外へ出かけるのも大切だと実感いたしました。

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

お願い
このブログに掲載されている 写真・記事等には著作権があります。 無断使用はご遠慮ください。
カレンダー
11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
最新コメント
訪問者数
ブログランキング
ブログランキング
ランキングに参加しています
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR