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「金澤町屋」を歩く②

金沢紀行
02 /28 2018
「大きく美しい黒瓦の屋根、木虫籠と黒漆喰の正面意匠」ー。

金沢市文化財課では、料亭「壽屋」の建物をこのように紹介しています。
で、「木虫籠(きむしかご)」って何だろうと思ったら、
これ「キムスコ」と読み、町屋のあの細い出格子のことでした。

建物を覆った木の格子は、まさに「虫かご」。

その格子にインドのベンガラ地方の赤い顔料を使ったことから、
「弁柄(紅柄)格子」ともいうそうです。

そういえば前回ご紹介した町屋、格子が全部赤く塗られていました。

その「木虫籠」の3階建ての料亭を背に、さらに歩を進めます。

CIMG4105.jpg
金沢市指定保存建造物の「壽屋」

路地から路地を歩いているうちに、急に開けたところへ出た。
石鳥居のかたわらに立派な石柱が立っていて、
「久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)」の文字が…。

しかしこのころから雲行きが怪しくなって、時おり突風が吹き始めた。
大きな石鳥居の下に、着物姿のお嬢さんが二人、
風に裾を舞上がらせながらも、楽しげに佇んでいます。

「京都の真似をして観光客に着物を貸しているのよ」と友人。

でもとっても可愛くて、
「写してもいいですかァー!」と叫んだら、
「うわー! ふふっ。 いいですよォー!」

そこでパチリ。

CIMG4106.jpg
金沢市下新町

「ブログに載せてもいいですかァー!」
すると二人声を揃えて、
「うわーっ! いいで~す!」

なので大きく写しました。仲良し二人組。
若さがまぶしいなァ。
左の方で狛犬が口をあんぐり開けて見ています。

ここは縁結びの神社だそうだから、きっといいご縁談に恵まれますよ!

CIMG4108.jpg
 
お嬢さんたちと別れて、私たちは「暗がり坂」へ。
建物のすき間に作られた狭い石段が暗がり坂だそうで、
ここはギンギンに凍っていて滑ること滑ること。

石段を降りたら浅野川河畔に出た。
このあたりは花街で、「主計(かずえ)町茶屋街」というのだそうで。
金沢の旦那衆は暗がり坂を下りて、この花街に遊びにきてたのねぇ。

河畔に立つ「主計町」の石碑の前で説明してくださる友人の声が、
風に乱されかき消されていく。
雪がくるくる回って四方へ飛び散って行きます。

江戸時代、
ここに加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったところから、
その名を継承して「主計(かずえ)町」と呼ばれているとか。

で、「主計」という文字を見て連想したのが、
磯田道史氏原作で映画にもなった「武士の家計簿」。

これは、
「そろばん侍」の異名を持つ加賀藩御算用者・猪山家を描いたもので、
幕府崩壊で多くの武士が路頭に迷う中、
この猪山家だけが生き延びたという実話です。

下級武士で家計はいつも火の車だった猪山家だけがなぜ生き延びたのか。
それは「そろばん」という実務の腕を明治政府に買われて、
当主の息子が海軍主計官として重用されたからなんだそうです。

何が身を助けるかわかりませんね。

下の写真は、「かずえ町茶屋街」の夕景です。
強風でカメラを出すチャンスがなかったので、
金沢市商工会議所のパンフからお借りしました。

左が浅野川。向うに見えるのが浅野川大橋です。
img085_20180226143546c24.jpg

御算用者の謹厳実直な当主・猪山直之は、
この浅野川で友禅流しをしていたお駒さんと出会い結婚した。

映画のそのワンシーンが鮮やかに蘇ってきて、
雪の舞う川面がより一層美しく感じられました。


<つづく>
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コメント

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太郎

右側の家並みに2個点いている門灯の、向こう側のお店は多分「太郎」というお店だろうと思います。
五木寛之氏はかなり度々そのお店に通っていておかみさんに可愛がられていたと思います(ハタチ代の頃ですから)。浅野川慕情なんていう名前の短編に登場したりします。

No title

「太郎」さんですか。
それにしてもヨリックさん、よくご存知です。
さては若き日のヨリックさんもこの辺りを徘徊したのでしょうかv-410

金沢へは以前にも来たことがあるのですが、今回は名ガイドさんの案内でしたから本当に細かく知ることが出来ました。

徘徊

昭和20年頃迄は主計町は東・西に次ぐ遊郭街でした。その頃はワタクシはまだ小学生なので、暗がり坂を下りて主計町に足を踏み入れる、なんてことはしませんでした。
日本の敗戦とともに金澤にもアメリカ軍が占領軍として進駐してきまして、兼六園下、本多町にあった旧日本海軍(多分日本海方面の司令部)の建物を接収して占領軍の事務所として使っていましたが、2棟あったもう一つの方は、アメリカ文化センターという名目で、図書館なども併設して、その中には膨大な量の「楽譜」!もあったのです。高校生になった頃のワタクシなどかなり頻繁にSCAP図書館(といいました)に出入りして、何冊かの楽譜は返却しないまま占領は終わってアメリカ軍は帰国してしまったのでした。
アメリカ軍は、主計町や東・西の遊郭街は売春の装置であるとして、商売を禁止させたのでした。
だからいまのような茶屋街としても存在できなくて、学生相手の下宿という程度の商売をする事になったのでした。
ワタクシの知っている金沢大学に通う女子学生の何人かもここに下宿していました。
朝鮮戦争が始まると金沢郊外日本海に面した砂丘にアメリカ軍砲弾試射場というのが設置されるということが日本政府の方針として決定され、学生や労働組合員、ワタクシのようなうたごえ運動のグループ、その他おおぜいが反対運動で内灘試射場反対の座り込みなどに出かけるようになったのでした。
そしてそんな時期になると、東・西・主計町など旧遊郭街は茶屋街として再スタートするようになったのです。
当然女子学生の下宿なんてことはなくなってしまったのでした。
いろいろ書きたい事はたくさんありますが、そのうち少しずつ書きましょう。

占領軍

ヨリックさま、いろいろありがとうございます。

焼けなかった金沢にもアメリカの占領軍がきていたんですね。驚きました。
また立ちいかなくなった花街が学生の下宿屋になったというのも、なんというか珍しい話ですね。

友人からは下宿屋がたくさんあったけど、金沢大学の移転で廃業したという話を聞きました。
「うたごえ運動」の最後のころでしょうか、東京へ出たころ「うたごえ喫茶」なるものに出掛けました。そのあとすぐ廃れてしまいましたが、今、こちらでは貸会議室のような所で復活、4月から私も通います。

また金沢の知られざるお話をお聞かせください。

おはようございます

紀行文、楽しく拝見していますし、
ヨリックさんとの対談(のような話)も大いに楽しんでいます。

進駐軍や歌声喫茶なども体験しています。
子供でも「ギブミーチョコレート」とか覚えて使っていました。

歌声喫茶も誰かに連れられていきましたが、
歌曲に馴染めず1,2回くらいでした。
当時は、ジャズの方が楽しかった!

毎回、ヨリックさんとの会話も楽しみです。
金沢が好きになっていますよ♪

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浅野川と犀川

金澤出身の文豪というと、泉鏡花と室生犀星のお二方。そして性格も書いたものも全く違うのも面白い。
そして鏡花は浅野川近くの下新町(主計町へ入る暗がり坂の上の方の町)で生まれて浅野川大橋を渡って、馬場小学校へ通った。小学校の向かい側、北國街道を隔てた所が東の廓(愛宕町)だった。
犀星の方は、私生児として生まれて、生後一週間で、犀川の左岸下流、裏千日町にある雨寶院に貰い子として預けられた。
鏡花の父方は彫金の、母方は鼓の、両方とも芸術家の血筋だったし、学校も高等小学校から英和学校へ入って専門学校(後の四高)へ入ろうと思ったのだが受験に失敗して、私塾で英語の代教師をしていたのだが文学に志して19歳で尾崎紅葉に入門を許され、玄関番として住込み修行に励んだ。
犀星は13歳で金澤地方裁判所に給仕として働きに出て、貰った給料2円50錢はすべて養母に差し出さなくちゃならなかった。犀星の育った雨寶院のすぐ近くには西の廓(石坂町)があって子供の時はそのあたりの雰囲気で生きている。

これだけではないのだが、浅野川寄りの人と、犀川寄りの人では思想や生活など違う面があるようだ。
また、浅野川は「女川」、犀川を「男川」と呼ぶらしい。長い間に地域差が生じたようだ。

ジャズ喫茶

one0522さま、楽しんでいただきありがとうございます。

ジャズ喫茶全盛のころがありましたよね。みんな喫茶店に長居して。私は上京して大都会の見るもの聞くものがすべて新鮮で、もう怖いもの知らずでどこにでも一人で出かけました。

ジャズはよくわからないのにわかったふりして。シャンソンはよく聞きに行きました。三輪明宏さんが丸山明宏で出ていた頃です。
もうはるか昔になりましたけど。

浅野川と犀川

浅野川と犀川流域では思想や生活が違うということや「女川」「男川」と呼ぶというのは初めて知りました。面白いですね。
やはり花街が関係しているのでしょうか。

犀星さんんは13歳で働きだしたとありますが、昔は小学校を卒業する13歳で働きに出る子が多かったみたいですね。私が手紙をやり取りしていた老人ホームの方も13歳で行商に出たと言ってましたし。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」も好きですが「雪あたたかくとけにけり。しとしとしとと融けにけり」も好きな詩です。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞