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関東大震災「おすみさん行方不明」

神田川徳蔵物語
02 /11 2018
東京・秋葉原駅近くの神田川沿いにあった神田川米穀市場
そこは明治末年から昭和の戦前まで、
神田川の水運と鉄道によって栄えた米の一大流通センターだった。

その市場に所属していた荷揚げ運送業の一つに「飯定組」がありました。
荷揚げとくれば力持ちばかり。
中でも抜きん出ていたのが神田川徳蔵です。

徳蔵はのちに「飯定組」の親方・飯田定次郎の五女千代と結婚して、
飯定組二代目となります。

神田川米穀市場前で米俵の片手差しをする徳蔵
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大正5年の飯田定次郎一族です。
中列右から5人目が飯田定次郎、6人目が定次郎の妻幾ん
前列右端が定次郎五女のお千代さん。
徳蔵は結婚前なので、まだここには写っていません。

3 大正5年1月 飯田定次郎

そして後列右から2人目が今回の主人公、定次郎三女のおすみさんです。
この方は徳蔵の写真や情報をくださったEさんのおばあさまにあたります。
そのおすみさんと並んで右端にいるのがおすみさんの夫・菊次郎です。

大正12年9月1日の大震災のとき、神田川米穀市場は焼けなかったそうです。
そこで市場の人たちが一丸となって被災者の救援活動を始めます。
焼け残った倉庫の米で炊き出しをしたのです。

でも、本所に住んでいたおすみさん夫婦は無事だったでしょうか。

そのころのおすみさん(31歳)です。
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おすみさんの孫でイラストレーターのEさん(章さん)が、
そのときの様子を描いてくれました。

右側は被災者救援のための炊き出しをする市場の人々。
そんな中、菊次郎・すみ夫婦行方不明の情報が入った。
父・定次郎は愛娘の安否を徳蔵に託し、再び被災者救援の陣頭指揮に戻った。

左側には焼け跡でおすみさんたちを探して歩く徳蔵が描かれています。
うわさでは、おすみさんは裸で泥をかぶっていたという。
しかし焼け野原には、何千とも何万とも知れない黒焦げの遺体が…。

努力もむなしく徳蔵はおすみさんを見つけ出すことが出来なかった。
泣く泣く焼け跡から溶けた硬貨を拾い、それを形見として持ち帰った。

「大忙しの神田川米穀市場」
さんイラスト江田 (2)

おすみさん夫婦はどこに? 

どこかで生きているのか、それとも…。
答えはイラストの中にあります。

探してね!
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コメント

非公開コメント

ヨカッタ!

次回はおすみさん夫妻のその後を語っていただけるのでしょうね。

No title

おすみさんの運命や如何に!
と、みなさんをやきもきさせたかったのですが(笑)

菊次郎・すみ夫妻のその後、もちろんお伝えします。
そして父・定次郎の娘へのあふれる愛情も。

うーん

面白い話がまた
いいなあ
さすが大魔女様いや姫様。

No title

うーん…。

おもしろくないコメントだなァ。

No title

う~ん・・・
高木美帆が1500mで銀メダル・・・  関係ないか。

おすみさんの運命、目をショボつかせてミッけたけど、言わない。

No title

コメントありがとうございます。

オリンピック、
これがまた徳蔵さん一族と関係あるんですよ。
そのお話はまたのお楽しみに。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞