心のうたかれんだあ

今年も海野阿育先生からカレンダーが届いた。

癒しの詩人といわれた坂村真民(しんみん)の詩と、
海野阿育(あしょか)先生の版画の「心のうたかれんだあ」です。

海野先生には在学中教えを受けたことはなく、
ただ、女子大同窓会の理事をしていたころ、1度お目にかかっただけという
まことに希薄なつながりしかありませんでした。

ですが、私にとって決して忘れてはならない人なのです。

話は20年近く昔にさかのぼります。
ある日突然、大学同窓会の理事を乞われた私。
それがどういうものかわからないまま引き受けたのが、
そもそもの間違いで…。

理事になって数年後、それほど親しくなかった役員の一人から、
「今度の理事会、欠席した方がいい」との電話です。
なんでも私は危険人物とされていて、
今度の理事会で役員数人が追い出す算段をしているとのこと。

同窓会なるものが事業所になっていて、同窓生たちは正規職員として
多額の給与を支給されている。そのことに驚いた私、
つい、「ボランティアじゃなかったのねえ」と口走ったことが、
事務局長の逆鱗に触れたというのだ。

加えて、私がノンフィクションで佳作に入ったことが、
事務局長の警戒心をさらに強める結果になったとも言われた。

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平成26年「心のうたかれんだあ」より

で当日、のこのこ出かけて行ったらやっぱり陰湿な吊るし上げを食らった。
即、辞職。でも驚いたことに、その話はまたたく間に広がり、
顔も知らない同窓生から「辞めて正解ですよ」との電話が何本も。
同窓会の内幕を暴露する声も。

でも、辞めたあともちょいちょい私の「悪い噂」が流布されて。
その一つが年金問題。

かつて、
納めたはずの年金が漏れている「消えた年金」問題がありました。
私はそのことが社会問題化する10年ほど前からこれに取り組んでいたのです。

きっかけは会計士からの、
「あなたの年金記録にはおかしな点がある」との指摘でした。
それまで年金など興味も関心もなかったのに、
調べ始めたら本当におかしなことだらけ。

でも、役人からは「役所が間違うはずがない」と何度も門前払いされ、
年金保険事務所では女性係員から「頭のおかしなのが来てる」と侮辱されて、
怒りと絶望とこの国はどうなっているんだという不信感でいっぱいになった。

しかし複数の役人からオフレコで、
「あなたの言うことは真実です。でも現状はどうしようもないんです」
と、驚くべきことを打ち明けられてもいた。

「現状はどうしようもない」なら、書いて世間に知らしめるしかない。
で、書いた。
そしたら、2005年の「週刊金曜日ルポ大賞」の佳作に入選。

題名は「”ふつう”は、やらない?」と付けた。
理由は、役人も友人たちも異口同音に、こう言ったから。
「そんなこと、ふつうはやらないよ」。つまり「アンタは変わりモンだよ」と。
そのとき、私は思ったんです。

「ふつう」って何だろうって。

世間でやっと年金問題が騒がれ始めたのはそれから5、6年もたってからです。
騒がれ出したら、私のところに取材の申し込みが来始めました。
私は乞われるまま、テレビや雑誌に顔も実名も出して、どんどん出た。

もう後先考えず。

民主党時代の長妻大臣の事務所からメールをいただき、
安倍政権になってからは電話出演という形でスタジオの茂木大臣に、
「最後の一人まで救済を」とお願いした。

「見えない根たちのねがいがこもって、美しい花となるのだ」
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平成30年「心のうたかれんだあ」より。

職場でも住まい周辺でも身内にも味方は誰ひとりいませんでした。

「金の事をとやかく言うなんてやだねえ。そんなに金が欲しいかねえ」
「これだから貧乏人はいやだよ」
「テレビに出て目立ちたいだけなんでしょ」
「恥知らず」
「おカミに楯突くなんて身の程知らずだ。何、考えてんだか」

取材の雑誌記者からも、
「主張が通ったら戻ってくる金額は? いくらにもならんでしょう。
がんばるだけ無駄では?」と言われた。
「お金の多寡ではないんです」と言っても、ただ笑われるだけだった。

そんなとき、例の同窓会の理事の一人から電話が来た。
辞めてからもう6,7年もたっているのに何だろうと思ったら、
私の年金の件だという。

「みなさんがあなたのテレビを見て、悪口言って。
それで盛り上がっていたとき、海野先生が言ったのよ。
ぼくは立派だと思いますって」

その一言で、みんな黙ってしまったのだという。

一度しか会ったことがないこの私の行動を理解してくださった。
胸がいっぱいになりました。

その後、さんざん「意地汚い行為だ」と言っていた知人から、
「自分にも何年もの記載漏れがあって訂正してもらった。あなたのおかげです」
と感謝され、ああ、結果が出て良かったと心底思った。

もう来ないだろうなとあきらめていても必ず届く、
年に一度の海野先生からのプレゼント。
そして私から年に一度差し上げる先生への年賀状。

ただそれだけのことだけれど、
わたしにはこの微かなつながりが何にも代えがたく嬉しい。

「かれんだあ」はいつも目に触れる真正面の壁にかけて、
私は毎日、「心のうた」を心でなぞっているのです。

※肝心の私の消えた年金は、その後どうなったかというと、
第三者委員会が役所から、「なかったはずの納入書類」を出させたことで、
消えた分を受け取ることができました。

まさに「念ずれば花ひらく」でありました。

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No title

雨宮さん、おはようございます。

この手の役所に限らず、最初のシステム設計
の問題が大きいような気がします。
年金なんて、OBの回顧録かなんかで書かれた様な、
単なる集金システムとして発想してたら、
何十年も続く、その間に当初の前提条件が変わる・色んなミスが入り込む可能性を想定してなんて最初からまともに検討してたとはとても思えない..
んで、問題がどんどん大きくなって誰も手を付けたがらなくって、くさいものに蓋..

そうですか、この大きなうねりの端緒に雨宮さんの
活動があったのですか。感謝してます。

おはようございます

ジャーナリストの魂
そして強さ
敬服します。
野良公にはできない話。

大魔女様の御前にただひれ伏すのみでございます。
(茶化しているのではない)

ありがとうございます

三島の苔丸さま、「感謝してます」のコメントいただいてホッとしました。
この一件が強烈だったのか、今でも「あの人、めんどくさい人みたいよ」とか「すぐ訴えるぞと脅すらしいよ」なんて言う人もいますので。
でもそういう人こそ、この恩恵を受けていたり、やたらお金に細かったりするんで、ナンかなーと思っています。

確かに「単なる集金システム」としてしか考えていなかったように思います。
市役所に行ったとき、役人が「以前にもあんたと同じことを言ってきた男がいて、倉庫の書類全部見せろと怒ったけどね。出てくるわけがない」とヘラヘラ。

当地では不透明な時期がある年間に集中していました。かなり被害者がいたと思いますが、問題発覚した時点でその多くは鬼籍に入られていたのでは、と思います。年金って、受給の時になって初めて目が行くものですし。

でも今また問題山積ですね。

損な性分ですね

もうね、悩みを自分で作り出すので平常心を保つのに大変です。
お酒飲めないからクダも撒けないし、大声出してケンカするなんてできないから、ただ静かに穏やかに闘って、怒りを鎮めるためにひたすら単純作業に没頭。

だから餃子やシュウマイ、干し柿が山のようにできてしまいます。子供のころはこんがらがった毛糸ほぐしでしたが、
今は食べるという楽しみに方向転換しました。

こんにちは

年金問題、未だに解決できていないようですね。
そんなに前から良く調べたものです。

国家公務員は一般人を馬鹿にしていることが多いです。
自分達はプロだと息巻いて市民の声を聞きませんね。

車事故のときに警察に相談しても、
他人事で民事の仕事だという事ですから。
結果は、双方の主張で平行線になっていますが、
ドライブレコーダーが無いと正当化されませんでした。

事故などは些細なことですが、
雨宮さんの敢然とした仕事に感謝しています。
そのことが無ければ、恐らく多くの人が泣き寝入りでしょう。
海野先生のように良識のある人にも感謝です。


TVも後になってからでは、ご都合主義に見えます。
「週刊金曜日」今度本屋でどんな雑誌か見てみます。



こんばんは

one0522さま、コメントありがとうございます。

私の消えた年金は国民年金ですが、市役所とのやり取りは、こんなことをいっては不謹慎かもしれませんが、本当に思わず笑ってしまうほどおかしかったです。

役所へは必ず書面で質問し書面での回答をお願いしていました。ところが回答が毎回「この前のお答えは訂正します。今度のが正しいです」となるのです。

「窓口で領収書を渡したはずだ。家で探して見ろ」
といったかと思うと、今度は「この前のは訂正します。当時は窓口でお金を受け取るのはできなかったから、あなたは自分でここの地下にある銀行で振り込んだはずだ。その半ペラが家にあるはずだ」と。
当時は引っ越してきたばかりでそこに銀行があるなんて知らないし、第一、口座も開いていない。
「はずだはずだ」って憶測ばかりで。思わず笑ってしまいました。で、可能な限り情報公開で書類をもらいましたが、もう黒塗りのオンパレードでした。

で、なぜ訂正を繰り返したかというと、昔は目まぐるしく年金制度が変わっているんです。年金保険事務所の真面目な職員が言ってましたが、「あまり変わりすぎるので、職員で完全に理解している人はほとんどいません」と。
真面目な職員ほど矢面に立たされていて気の毒でした。

で、当時は文学賞はたくさんあったのですが、ノンフィクション賞はなかなかなくて、やっと見つけたのが「ルポ大賞」でした。ダメ元で送ったらなんと佳作に入りました。でも私は本当に生き方が下手なんだなあとつくづく思います。今さら変えられませんんが。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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