新聞に載った東助

明治を代表する力持ち、
本町(浪野)東助の今まで知られていなかった姿を、
「河鍋暁斎絵日記」をお借りしてご紹介してまいりました。

東助は終生の友、暁斎に遅れること2年後の
明治24年6月2日に病没します。

この偉大な力持ちを讃えた記念碑を建てようと、
東京力持ち連や門弟、交流があった著名人たちが立ち上がります。
そして、一周忌を迎えた翌年、「力士本町東助碑」が完成。
加えて、追善力持ち興行も開催することになりました。

そのことが明治25年の東京朝日新聞に掲載されました。

img272_20171122153547524.jpg

東京朝日新聞の記事です。
記事冒頭で「力持ちにて有名なりし」とあることから、
東助はその名を知らない者がないほどの人気者だったのでしょう。

img066.jpg
「東京朝日新聞」明治25年5月22日。

最初に名前が挙がっている門弟の本町忠蔵は、
明治21年の番付に師の東助と並んで載るほどの力持ちです。
忠蔵の力石は、隅田川神社(墨田区堤通)に一つ、
そしてもう一つ、世話人として名を刻んだ石が静岡県伊東市にあります。

下の写真は、伊豆大島出身の大島傳吉が担いだ「大傳石」です。
本町忠蔵の名が刻まれているのはこの石です。

大島(嶋田)傳吉の力石は、9個確認されていますが、
静岡県の三嶋大社で傳吉の力持ち興行が行われたという話も残っています。
この神社には東京の力持ちたちの名を刻んだ石があったのですが、
今は神社裏の藪に捨てられてしまって…。それがなんともつらい。

「大傳石」です。
CIMG0178.jpg
静岡県伊東市物見が丘・仏現寺

明治25年5月の新聞記事によると、東助碑建立の発起人に、

戯作者の仮名垣魯文
姫路藩酒井侯のお抱え力士で、高砂部屋の開祖・高砂浦五郎
馬術指南の草刈庄五郎

将軍様お抱えの骨接ぎ医師・名倉弥一
ちなみにこの名倉家はその後、多くの整形外科医を輩出しているそうです。
そして、剣術家の榊原健吉が名を連ねています。

ここに登場する方々は、明治21年の
東助が会主となって開催した書画会にも補助者として出ています。

もちろんみなさん、河鍋暁斎の親しい友人たちでもあります。
榊原健吉は幕府崩壊後、謹慎を命じられた徳川慶喜の護衛として、
静岡市で一年ほど暮らしています。

こちらは暁斎が描いた榊原健吉と写真です。

img067 (2)
「河鍋暁斎絵日記」よりお借りしました。

で、もう一つ、先の5月22日の新聞から約2か月後に出た記事があります。
いろいろあったのでしょうか。
追善力持ち興行の場所が最初の予定地の浅草公園から、
回向院境内へと変更されています。

ただし興行日数は3日間から5日間に延長。

img271_2017112216284446d.jpg
「東京朝日新聞」明治25年7月16日。

この番付には有名力士がたくさん出ています。
たびたびこのブログに登場する
神田川徳蔵の大先輩、竪川大兼も大関を張っています。

西の張出大関の関原金蔵は伊東市・仏現寺の傳吉の石に、
本町忠蔵と共に、世話人として名を残している人です。
その関原金蔵と連名で、
東京都江東区の冨賀岡八幡宮に石を残した須賀文八の名も見えます。

東の張出大関は大阪の若濱常次郎です。
ほかに花川戸、小網町、佐賀町、扇橋など有名一門がずらり。

これだけの名力士たちが「本町東助」のために馳せ参じたのです。
さすが、東京の力持界を統率した大物だけあります。
暁斎さんが生きていたら大張り切りで、
雄渾な、それでいて茶目っ気たっぷりの絵を描いたことでしょう。

で、河鍋姓で思い出したのですが、
天保7年ごろ、河鍋寅松という力持ちがいたのですが、
この人、ひょっとして暁斎さんの親戚?


※参考文献・画像提供/「河鍋暁斎絵日記」河鍋暁斎記念美術館編
               平凡社 2013
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こんばんは

曉斎さんと榊原健吉が友人だったんですね。
鬼平忌で四谷須賀町の戒行寺に行く途中に、
榊原健吉の墓がある寺、一度お参りしましたが、
酒などが供えてありました。

この通りの寺、何代目か忘れましたが、
弾左衛門の墓もあります。

これ等は、鬼平忌の主催者「釣洋一氏」に、
何年か前に一緒に行ってもらいました。

鬼平

one0522さまは釣洋一氏の「江戸史談会」などに入られていると以前、うかがいましたが、いい会に入られていて羨ましいです。メンバーに榎本武揚や北町奉行のご子孫がいらっしゃるそうで驚きました。

で、鬼平さんですが、ご先祖は静岡県焼津市の、こちらでは「法永長者」とか「小川(こがわ)長者」などといわれている長谷川氏の出だとされていますが、どうなんでしょうか。
この長谷川氏は今川義忠の遺児を保護した人です。

暁斎にしても是真、榊原健吉にしてもみんな元幕臣。新政府の世で必死に、でも楽しく生きていたと思います。
がむしゃらというか、物凄いエネルギーを感じます。
そうそう。史談会や鬼平忌のあとは居酒屋で懇親会とか。
これもまたいいですね!

おはようございます

以前、もう一人鬼平の研究されていた「西尾忠久氏」の、
勉強会に何年か所属していました。
当時、静岡でも講座を持っていました。
今は鬼籍に入られて残念です。
そのころ、長谷川家の歴史でその話をされていました。
当時のテキスト・資料など、今は保管が奥の方になって、
出せない事態ですから詳しくは見ることが出来ませんが。

鬼平忌には、長谷川家本家の方がこられていましたが、
やはり鬼籍に入られてしまいました。

徳川の関連、東京と静岡はつながりが強いですね。

No title

鬼平さん、そうでしたか。

静岡市は東西の通過点で田舎でしたが、今川時代には京都の文化が入り、また徳川家康がいたことで大きな地方都市になりました。でも明治になって旧幕臣たちや商人たちが東京へ去って行ったため、一挙に寂れたようです。

歴史好きの知り合いと話すと出るのが、「ここにはものすごい文化遺産があるのに行政ではなかなか目を向けてくれない」という愚痴です。特に江戸の頭脳が大挙してやってきた静岡移住のころは、本当にすごい人たちがたくさんいました。だからいろんなところにその痕跡があるのですが、手つかずのままです。

特に現在は、歴史も文化も科学も経済効果優先で儲からなければダメとなって、それで当地では新しくできる博物館は家康一色なんです。
昔から今川派と徳川派がちょっとしたライバル意識をもっていた地域ですが、行政があんまり家康に肩入れするので、最近、今川派が派手に動き出しました。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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