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身をば削るな

「雨宮さん、力石があるよ」

先日、所属する「静岡市文化財協会」の会員さん達と、
愛知県新城市の「鳳来山(ほうらいさん)東照宮」へ行ったときのことです。

鳳来山東照宮への道です。
国重要文化財の蓬莱山、国宝の日光(栃木県)、
国宝の久能山(静岡県)の三社は、日本三大東照宮と呼ばれています。

CIMG4019.jpg

「力石とくれば雨宮さん
もうね、ことあるごとに「ちからいし!力石!」とわめいたおかげで、
今や「力石」と「雨宮さん」は同義語になっております。

会員のお一人が教えてくださったのはこの石です。

CIMG4012.jpg

本当に力石そっくりです。
ですが、実はこれ、「狛犬」なんです。というか成れの果て。

なぜこんな姿になってしまったのか、ご説明していきます。

戦国時代には武将が力石を担いで力自慢をしました。
近・現代になってからは、戦死した若者の墓に力石が置かれるようになった。
息子が愛用した力石をご両親がそっと墓石に添えたのです。

力石にも戦争は影を落としているのです。
そして狛犬さんにも。

東照宮の拝殿両側に、
聖域を守る狛犬がそれぞれ三代ずつ置かれています。
こちらは向かって右側の狛犬群です。
左から慶安4年、昭和15年、そして平成2年寄進の狛犬です。

CIMG4008.jpg

うしろから見るとこんな姿です。
一番奥の狛犬はもう完全にただの石。
真ん中のはかろうじて原型をとどめていますが、顔もシッポも消滅。

CIMG4011.jpg

立札に歌が書かれていました。

   戦争の絶えし世なれば神護る          
              身をば削るな狛犬われの


この狛犬は戦地に赴く若者たちが、
「弾丸除け」のお守りに削ったため、こんな姿になったものでした。

「お国のため」と強制され、せめて「生きて帰りたい」と、
より強い御利益を求めて山深く遠いこの鳳来山に殺到した。
出征する若者自身も送る両親も、本心は行きたくない行かせたくないんです。

狛犬のこの姿を見れば、その思いがいかに強かったかわかります。
戦争、戦争と安易に言ってほしくないですね。

戦争体験者の手記を読むと、若者たちのほとんどは、
「お国のために」とか「天皇陛下万歳」などとは言わず、
「お母さん、お母さん」と言って死んでいったそうです。

墓に置かれた力石です。
CIMG1082 (7)
東京都江戸川区東小岩・万福寺

鳳来山東照宮のこの削られた狛犬は、無残な我が身をさらすことで、
今の私たちに警告しているのだと思いました。

それは、
最前線に立たされた村々町々の名もない若者たちが味わったような、
「国が人の命を支配するという理不尽な思いを、
今の若者たちにさせてはならない
再び、私の体を削るような世の中にしてはいけないという…。

狛犬をブログで紹介されているブロガーのみなさん、
いつかこのような姿の狛犬と出会うかもしれません。

そのときは、自然風化ではなく、
「弾丸除け」のお守りに削られた狛犬かもしれないと、
そんな目でも見ていただけたら…。

そして狛犬さんのこの切なる願いに、そっと耳を傾けてほしい。

   身をば削るな狛犬われの


       ーーーーー◇ーーーーー

   =ちょっとひと言=

タイのバンコクからコメントを下さったPERNさんのご紹介です。
ラジオの「パーンのバンコクからこんばんわ」の日本語放送をされている方で、
「魔女の手紙 バンコク」のブロガーさんです。

日本とタイで共通する「こどもの遊び」で、タイで「蛇がシッポを食べた」
でしたっけ? とにかくその遊びが、日本の「ことろことろ」と同じ遊び
ということを放送していただきました。

で、河鍋暁斎の「賽の河原」に、その「ことろことろ」がありましたので、
PERNさんとみなさまにご紹介します。(絵は部分)

img065_201711192041330a4.jpg

賽の河原で鬼が水子や亡くなった子供たちを捕ろうとするのを、
お地蔵さまが両手を広げて守っているところです。

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不覚にも

こんばんは。ご無沙汰しております。
不覚にも泣いてしまいました。

砂岩だから真ん丸な石になったと思っていた狛犬さんが、もしかしたら、そうなのかもしれないと。

母が残した日記で「日本なんか今すぐ負ければいい。そうしたら、兄ちゃんは帰ってくる」と記した上に、先生が赤ペンで「そんなことを言ってはいけません」と添削されています。
伯父は沖縄の、どことも知れぬ砂浜で戦死しましたが、絶対に「お母ちゃん」と叫んだと思います。

No title

つねまるさん、本当に本当にお久しぶりです。お元気でよかった!

戦争にまつわる話はつらいですね。力石にもいろいろあります。
甲種合格を願ってみんなで氏神さまで力石を担ぎ、ちゃんと担げたら嬉しくてそのまま村中を見せて歩いたという話も残っています。でもね、そういう元気な若者ほど帰ってこなかった。

日赤の看護婦さんたちの手記を読んだら、もう兵隊さんは家族のことばかり気にかけていたそうです。
大ケガで膿だらけの兵隊さんが日本へ帰されることになった。で、その人が「自分は娘にお土産を持っていくこともできない。ダメな父親だ」というので看護婦さんが小さな人形をあげたそうです。その人はこれで娘に会えると泣いて喜んだそうですが、翌日には亡くなってしまったということでした。

伯父様はきっと「お母ちゃん」と叫んだと思います。
私が聞き取りをした方は子供のころ、兵隊になった伯父さんを峠まで送ったけど、とうとう帰らなかったと言っていました。
「あの峠を越えてきっと帰ってくると、みんなで待ってたんだけど」
と寂しそうに言ってました。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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