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権威って何だろう?

徳蔵の千社札コレクションの中に、
考古・民俗学の研究家、山中共古の千社札があるのは、
当然と言えば当然のことなのです。

山中共古の名前がある千社札「浅草年中行事」です。
SANY1521 (2)
「徳蔵コレクション」より

上段右端に「山中笑(共古)
下段左から2番目に江戸文字の高橋藤之助
右端の「寿多有」は、アメリカ人の人類学者、フレデリック・スタールです。
「お札博士」と呼ばれていました。昭和8年、東京・聖路加病院にて死去。

そして、上段右から4番目に「荒いせ」とあるのは、大阪の人です。
この人の別の千社札をお見せします。

「明治維新永代濱力競 うつぼ荒いせ」

大阪の靭(うつぼ)にあった永代浜での力持ち大会を描いたものです。
永代浜はコンブや塩魚などの問屋街だったそうですから、
「荒いせ」はそうした問屋の一つだったのかもしれません。

img290 (5)

力持ちの徳蔵と山中共古との間に直接の交流はなかったにしろ、
彼らは江戸趣味という共通項を持ち、
その趣味を通してさまざまな人の輪の中にいました。

その輪というのは考古学者、作家、画家、民俗学者など、
主に在野の学者・研究者たちが集う趣味の同好会のことで、
人類学者の山口昌男(のちに詳述します)いうところの
「官のアカデミー」に対する「野のアカデミー」「街角のアカデミー」
なるものに属する趣味人たちでありました。

ここからしばらく、ごく個人的な私のたわごとをお聞きください。
すでにこのブログでお話もしておりますが、再び…。

私が庶民の歴史や風習に興味を持ち、それを明確に意識し出したのは、
すでに2児の母親になってからのことでした。
民俗学という分野がぼんやりと頭に浮かび、
それなら民俗学の権威、父と呼ばれた柳田国男だと思ったのです。

で、「定本 柳田國男集」全36巻を揃えました。

その中に、父の家のことが書かれていました。
父の家は田舎の小さな神社で、江戸の初めごろから、
代々神主をやっていました。

img958 (2)
明治末ごろの神社。右端の木と鳥居の間に座っているのが祖父。

明治になって世襲制が廃止されたため、神社は村のものとなり、
このころの祖父はただの雇われ神主に成り下がっていました。

明治44年の観光案内書「日本史蹟」に、こう書かれています。

「一の祠宇あり、八幡大菩薩ならびに兄弟を祀る。祠の左右に
小祠それぞれ一あり。一は稲荷神社にして、今一は厳島神社なり。
境内12畝 老樹これを巡りて苔気(たいき)林嵐(りんらん)、
おのずから冷(ひややか)」

柳田国男はその神社や父の先祖のことをこう書いていたのです。

「ここは虎という歩き巫女が定着した小祠にすぎないのに、
曽我兄弟の祠として角田浩々歌客の父の角田虎雄が撰文を書いて、
ついに本物の祠にしてしまった。古くたどればずいぶん疑わしい」

「歩き巫女」とは、地獄絵図などを携えて各地を放浪して歩いた
女宗教者のことです。そしてこの巫女たちは行った先々で、
春をひさぐ女たちとしても知られていました。

売春婦が定着した祠? いかがわしく疑わしい家?

私はあまりの柳田国男の言葉に、立ち上がれないほど打ちのめされました。
確かに、貧乏神が住み着いたようなささやかな神社でしたから、
たびたび江戸へ出て「ご開帳」をしなければやっていかれなかった。
しかし、当時はかなりの大社や大寺院もこぞって出開帳をやっていました。

出開帳の折りの宝物を入れた箱に描かれた神紋「庵木瓜」
img974.jpg

神紋とは別に家紋は定紋「丸に二つ引き」、これは男だけが使いました。
ちなみに、今川氏と同じ紋です。
この定紋とは別に裏紋「五三ノ桐」があり、これは女性用でした。
嫁ぐとき着物に実家の裏紋をつけ、嫁ぎ先の紋は生涯つけなかったのです。

さて、出開帳とは、所持する宝物を持って江戸などの大都会へ出かけ、
それらを見せて収益を得るという経済活動のことです。

世界遺産になった富士山本宮浅間神社も数回、江戸へでかけています。
浅間神社は出開帳のほかに富興行(富くじ)も行ないましたが、
これはあまり売れず、失敗してしまいます。

左の箱書きは明和二年に使用したものを文化十三年に再利用したもの。
右は文化六年の箱書きです。

img351 (2)  img352 (2)
 
ほとんどが深川八幡神社回向院での60日の出開帳でした。
出開帳の江戸で、不慮の死を遂げた先祖もいたようです。

柳田国男の一文に戻ります。

誰もが民俗学の大家と認める柳田国男ですが、
でもどう考えても父の家には、柳田が言うような「歩き巫女」の影はない。
あるのは武士であり神主であった伝承ばかりです。

それに柳田国男は、自らの足でここには来ていないはず。
たぶん、各地にいた門下生などから又聞きしたものでしょう。
それにしても、あまりにも悪意に満ちすぎています。

柳田国男のこの一文は、父には内緒にしていました。
だから父はそんな文章が、
大民俗学者の著作の中にあるなど知ることもなく、この世を去りました。

私がのちに本を書き、新聞に記事を載せるようになったとき、
伝聞や資料の孫引きを避け、可能な限り資料は原本に、と心がけ、
他人様のことを書くときは必ず自分の足で現地へ行き、その人に会って、
見る、聞くことを徹底してきたのは、こんな苦い経験をしたからなのです。

それでも人さまを傷つけることが生じることがあるのです。

父に隠し通した柳田国男の一文でしたが、
残念なことに、それはそのままでは終わらなかったのです。

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こんばんは

学者(?)や大学教授、更に小説家などの中には、
弟子や他の作品の受け売りの者も居ると聞きます。

以前、新選組や鬼平(長谷川平蔵)の研究をしている、
釣洋一氏の勉強会(今も続いています)などでの話では、
近年の書籍が多い中から引用する研究者(らしい)なども、
新選組の史料を鵜呑みにしていることがあり、
釣氏が指摘しても訂正しないとか。

鬼平では大学教授「重松氏」が生誕地や育った場所を間違って、
書物を出しているけれど、訂正も無いといいます。
因みに、鬼平の住居跡の説明板は釣氏の仕事でした。
が、この中も間違いがあるのに、区では訂正無しとか。

いずれも、釣氏は自分の足と目で確かめなければ書きません。
写真も証拠にしているし、寺では過去帳を写しても居ます。
住職に頼んでの写真だそうです。

何冊か本がでていますが、全て実際の写真などで、
検証もしてから記述すると言います。

あの、司馬遼太郎氏の本でも、間違いを指摘したところ、
お礼の手紙が来ましたが、小説はそのままだったとか。
司馬氏も弟子たちや学生たちを使って(金で)史料を集め、
それで小説を書いているようでした。

長々と、失礼しました。
なんだか似たような話なので・・・

No title

one0522さま、コメントありがとうございます。

小説家は指摘されても「これはフィクションですから」と逃げますね。
でも小説やテレビドラマや映画で描かれた歴史は、受け手がこれは作り話だと認識して楽しめばいいのですが、魅了されればされるほど真実の歴史みたいに記憶されてしまいますから、そこが恐いですね。

ネット時代になって盗作まがいの引用が増えました。引用先の承諾を得るとか、名前を明記するなどの礼儀が薄れました。

柳田国男のいう「虎」というのは、曽我兄弟の仇討ちを物語りして歩いた女宗教者のことで、この女性たちは複数いてみんな「トラ」と呼ばれていました。
今、各地に虎石や虎の墓などがあるのはその女たちの歩いた所だとか。

曽我兄弟の兄の十郎の愛人は大磯の遊女・虎御前だったところから、それと結びついたそうですが、この物語には日蓮宗による教線拡大や箱根権現なども関わっており、いろいろ複雑です。

民俗学者だけれど、官僚の最高峰にいた柳田国男について、山口昌男先生の論をお借りして、しばらくお話していきたいと思っております。

こんにちは

お書きになっている

「私がのちに本を書き、新聞に記事を載せるようになったとき、伝聞や資料の孫引きを避け、可能な限り資料は原本に、と心がけ、他人様のことを書くときは必ず自分の足で現地へ行き、その人に会って、見る、聞くことを徹底してきたのは、こんな苦い経験をしたからなのです。
それでも人さまを傷つけることが生じることがあるのです」

何度も読ませていただきました。
身が引き締まる思いで、これは忘れてはならないと
我が身を振り返りあらためて言い聞かせております。
ときには雑文で糧を得てきた身にとりましては
初心にかえることの大切さを思い知らされた気分でもあります。

神社の話、よく似たような、いや似て非なるものまったく違う話ですが、わたしの生まれ育った地に、母親が祀った祠があり一時は司祭あるいは祈祷師のようなことを、生業ではありませんが、行っていた記憶があります。
いまも不思議ともいえる記憶なのですが、長くなりますのでいつか機会がありましたらまた。

こんばんは

ちい公さま、ありがとうございます。
何度もお読みくださったなんて光栄です。

新聞のほんの小さな記事、例えば高校野球地方予選でヒットを打ったというたった一行の記事で、少年は大きな希望をいだきます。
逆に誤報なら、
会社が倒産に追い込まれる事態にもなりますから、責任重大でした。

画家の取材なら展覧会や画集を見、演劇人なら芝居を見たりして準備していったわけですが、今の記者は事前調査はしませんね。
政治でも事件でもクラブにいて、役所や警察からの文書で記事を書く、そういう制度の弊害は私がいたころからありました。

フリーランスのジャーナリストがもっと活躍できれば、
と願わずにはいられません。

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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