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謎解き

珍しい写真をお見せします。

今から94年前大正12年4月
「力持同好会」のメンバーや家族が船で花見に出かけた時の写真です。

img755.jpg

これは日本橋浜町でそば屋を経営していた
浜町(田口)秀太郎のご子息が所持していた写真で、
1975年に週刊朝日のグラビアに掲載されたものです。

船の舳先に力石が積まれています。
お囃子も同行。もちろん、こも被りの酒樽も。
出発場所は日本橋浜町の蛎浜橋。行先は千住です。

写真左上の看板に「釣舩(船)」「汐干(潮干狩り)」などと書いてあります。
のどかな光景ですが、
この5か月後に、あの関東大震災が起きるなんて誰も知る由もなし。

さて、ここで船上の人物の特定にいきます。
特定したのは埼玉の研究者の斎藤氏です。

まずはこれをご覧ください。
img755 (4)

赤丸が神田川徳蔵、黄色の丸が浜町秀太郎
白丸はもしかしたら青山八百喜代かも。
そして、大きな黄色の丸の中の女性は秀太郎の妻と息子の田口俊一氏。
日本髪のお母さん、いいですねえ。明治生まれの女の気概を感じます。

子息の俊一氏が1975年、週刊朝日の記者に語ったところによると、
「母の後方にいるのが父の秀太郎。母に抱かれているのが4歳だった私です。
船上でも力石担ぎや米俵の曲持ちを披露しました」

そしてこちらは羽根木政吉です。
全体写真では、船の舳先、提灯の横におります。
隣りのチョンマゲのカツラの男、花見気分満開ですね。

img755 (5)

そしてこちらが「謎の男」
船の最後尾におります。

img755 (6)

つまり、この花見の写真には、
あの「青山熊野神社納石」写真と同じ人物たちが写っているということです。

もう一度、その写真をお見せします。
いますねぇ、「謎の男」
人物特定の天才、斎藤氏もこの男の正体は突き止められません。

でも斎藤氏は黄色の丸の男については、
花見の船の前列右端の男と同一人物であることを突き止めました。

aoyama_web (8)

子息の俊一氏によると、
浜町秀太郎は日露戦争で負傷してからは、力持ちの世話人をしていたそうです。
そして昭和51年、93歳でこの世を去ったということです。

昭和51年までご存命だったなら、
そしてそのころの私が力石と出会っていたなら、
ひょっとしてお会いできたかもしれません。

親友の秀太郎さんよりひと足早く
黄泉の国へいってしまった徳蔵さんの話も聞けたかも。

かえすがえすも残念!

それはさておき、人物特定の謎解き、いかがでしたか?
いかにもマニアックなお遊びですよね。
でも私はこんなふうに思っているんです。

押し入れの奥にしまい込まれていた古びた写真一枚からも、
歴史が見えてくるんだって。

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こんばんは

姫と、斎藤氏と共同作業は素晴らしい!

益々面白くなって来ました。
目が離せなくなりましたよ♪

No title

one0522さま、コメントありがとうございます。

いつも励ましのお言葉で、やる気が出てきます。
斎藤氏はこの夏、連日連夜写真とにらめっこ。
私はその結果をこうしてお伝えするだけ。
ご子孫がたくさん名乗り出てくれたら嬉しんですけど。

No title

前々回、「そば屋の秀太郎さん」の二枚目の写真にも真ん中に帽子の「謎の男」がいますね!

No title

弥五郎丸さま、コメントありがとうございます。

外付けHDDが満杯になって、本日は急きょ町まで買い物へ。今、やっと新しいのにバックアップ完了です。PCももうだいぶ使っているしハラハラです。

帽子の男、ホントですね。洋装ですがどうなんでしょう。熊野神社には二人もいます。なんか力持ちのスポンサーのような…。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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