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そば屋の秀太郎さん

(浜)町秀太郎、以後、浜町と表記します。

写真の登場人物の特定も、いよいよ佳境に入って参りました。
浜町秀太郎、本名、田口
日本橋浜町のそば屋の主人。関東大震災のあと、世田谷区大原へ移転。
秀太郎の力石は、都内3カ所9個残っています。

赤矢印が本日の主役、浜町秀太郎です。
aoyama_web (6)

青矢印の人物は麹町生島
生島の横の帽子の男は「謎の男」です。あとでまた出てきます。

埼玉の研究者の斎藤氏によると、赤い星マークの石には、
「四十□メ 青山八百喜代」の刻字があるそうです。
もしかしたら、青山熊野神社のあの「四十五メ」の石かもしれません。

それにしても斎藤さん、よくこの状態から判読するものですね。
並はずれた眼力、恐れ入りました。

さて、前列左端(白矢印)の男性をとくとご覧ください。
我らが神田川徳蔵ではないかとされる人物です。
もしこれが徳蔵ならこのとき29歳。まだ独身です。
秀太郎は徳蔵より8歳年長ですから、このとき37歳ということになります。

この写真の「徳蔵」のことはのちに詳述します。

もう一枚、お見せします。
img755 (3)

この写真は1975年の「週刊朝日」のグラビアに掲載されたうちの一枚です。
左端の着物姿の男性が秀太郎です。
写真を所持していたご子孫の話では、
「大正5年、東京都杉並区の大宮八幡神社に力石を奉納する際の
地元の力持ち力士たちの記念写真」とのこと。

屈強そうな男たちが写っていますが、名前が判明しているのは秀太郎のみ。
この大宮八幡神社で保存されている力石は全部で14個
前回お見せした羽根木政吉八百喜代の石もその一つですが、
ここに写る男たちの奉納した力石は、まだ特定されていません。

当てずっぽうですが、
「松ノ木の井川新太郎」や「促成園の松島」がヒントになりそうな…。

この「週刊朝日」に写真を提供した秀太郎のご子息の田口氏は、
当時、取材記者に「このとき父は35歳です」と話していますが、
生年から計算すると33歳です。
奉納年を間違えたのか? それとも記者の書き間違えか?

どちらにしても、
八百喜代と写した「青山熊野神社納石」の記念写真より若いですね。

こちらは徳蔵秀太郎連名の力石です。
CIMG3880.jpg
東京都杉並区高円寺南・氷川神社

拡大したのがこちら。

CIMG3887.jpg

六拾貫余 大正十五年 神田川徳蔵 持之 
 立会人 竪川大兼 川岸寅太郎 濱町秀太郎

徳蔵はこの六十貫余、およそ240㎏もの石を両手で持ったのでしょうか。
それとも立会人が介添えして足差しをしたのでしょうか。

240㎏といわれてもピンとこないので、
私はいつも10㎏の米で何個分かと考えます。
これでいくと240㎏は10㎏の米袋24個分です。
もう凄いとしかいいようがない。

ちなみに人力の時代の男の一人前の基準は米俵1俵です。
米俵1俵を担げて初めて村の若者(15、6歳)は、
若い衆組の仲間入りを許され、一人前の給金をもらえました。
また「一人前」というのは、
「女の尻を追いかけてもいいよ」ということでもありました。

徳蔵の直系のご子孫によると、
「神田川米穀市場での米俵を運ぶ男の一人前は村の若者と同じ1俵
徳蔵のようにそれを積み上げる人は2俵持てて一人前」だったそうです。
徳蔵子孫の方のおじさんは3俵担いで新聞に載ったとか。

江戸風俗研究家の三田村鳶魚によれば、
相撲取りの一人前は2俵だったそうです。

ですが、各地の民俗調査資料を見ると、
昔は女性も荷揚げに従事したとあり、米俵を2、3俵は担いだそうです。

大井川の船着場から荷揚げした荷を背負い峠越えをするお母さんたち。
img197 (2)

北アルプス山麓・安曇村の人と生活を書いた「山人(やまど)のムラ」
(横山篤美 産学社 1989)によると、
「野麦峠を往来するボッカ衆(持子)たちは、普通50貫(190㎏)を背負った。
 30貫では駆け出し者扱いだった」そうです。

すごいですね。
しかしいくら強力でも、そうそう長い時間歩けないので、
5、60歩歩いては念棒(つっかい棒)を荷の下にあてて休んだとありました。

話を戻します。

神田川徳蔵が持った「六十貫余」の立会人の3人については、
次回の「本町東助碑」で再び、お目にかけます。

    
        ーーーーーー◇ーーーーーー

※神田川徳蔵のお孫さんは、
現在、「麺飯珍(めんはんちん)という中華屋さんを経営されています。
 =埼玉県児玉郡神川町新里220-1=
 最寄駅は八高線丹荘駅。定食も焼肉もあるお店だそうです。
 食べログにも載っています。

お近くに行かれた際は、ぜひ自慢の中華料理をご堪能ください。
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おはようございます

もう、素晴らしいとしか言いようがありませんね。
一連の「力石」と「力士」の話、感動して見ています。

機会がありましたら、いずれかの神社に参拝して、
力石を見ます。

なるほど、一人前・・・現在の若者は!?
スマートフォンしか持てないかも(^^

おはようございます

one0522さま、コメントありがとうございます。

感動してみていてくださるなんて、本当に嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。

スマートフォンしか持てないー。
昔、箸より重い物は持ったことがないなんて言い方がありましたけど、そうですよねえ。今はスマートフォンしか持てない。

昔の人たちは重い物を持ち続けて体を壊すこともあって、日本通運にいた平原氏はそのことに心を痛めて機械化を進めました。
でも彼らは機械に負けるもんかとがんばった。
現代人が聞いたら「バカだなあ」と思うかもしれませんが、私には彼らの心意気は尊いと思えます。

平原氏の著作に「同じ労働者でも他の国の人はわざと自分が持てる荷物以下しか持たないが、日本人は自分の力以上のものを持つんだ。それだけ仕事に誇りを持ち、手を抜かなかった。真面目なんだ」

このことがものすごく印象的でした。
プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。今、「力石からバーベルへの道」を書いています。

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