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素顔の力持ちたち

神田川徳蔵物語
07 /18 2017
前回の「大正十三年四月三日 本郷丸山某宮家・別荘空地ニテ
     峰崎家主催宴遊会ノ余興」

の連続写真の2枚目です。

力石に刻まれた名前しかわからなかった力持ちたちが、
こうして突如、眼前に姿を現わしたのですから、これはもう、
ワクワクを通り越して震えがきます。

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写真提供/Eさん

ここで写真の人物特定、最初の特定の訂正です。

左側の右足膝下に包帯を巻いた後ろ向きの男が神田川萬平
演者は佐賀丁(町)浅吉
浅吉の横が神田川徳蔵、ここまでは確定です。

徳蔵縁者のEさんから、
「太鼓をたたいている人物は悠玄亭玉介ではなく飯定組の者」との
ご指摘がありました。

これは私の早とちり。訂正いたします。
問題なのは、徳蔵の横で上半身裸でおどけている人物です。

Eさんは「最初重吉とお伝えしましたが、どうも栄吉ではないか」と。
埼玉の研究者・斎藤氏は「椅子に開脚で座っているのが栄吉」と、
意見が分かれました。

進展があり次第、ご報告します。

さて、神田川萬平に戻ります。
彼の名が刻まれた力石(百度石の斜め後ろ)がこちら。
萬平の石は現在、これ1個のみ。

この「百度石」も神田川徳蔵が足で差し上げた力石です。
後日、ご紹介します。
   
CIMG3852 (2)
東京都千代田区神田須田町・柳森神社  60余×46×26cm

      「面形 神田川 萬平」

この神社には神田川一門の力石が15 個奉納されています。

その柳森神社です。
子供たちの遊び場として開放されていました。

CIMG3837.jpg

火消し組の玉垣です。

CIMG3839.jpg

神社の裏には神田川が流れています。
川の右側の土手沿いにはかつて柳が植えられ、
その一画で怪力の鬼熊が居酒屋を出していました。

左側一帯は「佐久間河岸」と呼ばれていたところで、
荷役「飯定組」が属していた「神田川米穀市場」があり、
米穀倉庫群が建ち並んでいました。

CIMG3869.jpg

橋を渡ると間もなく「秋葉原電気街」。
中国語が飛び交い、中国語の説明書きがたくさん見られました。

秋葉原駅はすぐそこです。
「秋葉原停車場」といわれていたころ、ここに東北地方からの米が運ばれ、
飯定組の若い衆たちが米俵を担いで働いていました。

さて、前回お見せした写真では、神田川栄吉が演者でしたが、
この写真では佐賀丁(町)浅吉が演じています。

浅吉の力石は現在まで確認されていませんが、
世田谷区・幸龍寺の「本町東助碑」裏面にその名が刻まれています。
詳細は後日書きます。

この写真で面白いのは、
徳蔵と飯定組の一の子分、重吉、あるいは栄吉おどけた姿ですね。

とっても楽しそう!

柳森神社の徳蔵の力石、次回、ご紹介します。

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コメント

非公開コメント

おはようございます

益々楽しくなってきますね。

当時の神田界隈の雰囲気が伝わってきます。

随分と秋葉原も行っていなかったけど、
中国語が氾濫(?)ラオックスは向こうの経営と聞きますが、
他の店も・・・ね。


おはようございます

one0522さま、コメントありがとうございます。

もうね、惣吉だの重吉だの栄吉だのって頭の中でクルクル。
昔の不鮮明な写真なので人物がはっきりしません。でも斎藤氏も縁者のEさんも一生懸命、人物特定をしてくださっています。ありがたいです。

No title

いろいろなことが石一つに絡まってくるのが面白いですね。サスペンス読んでいるようです

No title

sukunahikonaさま、コメントありがとうございます。

ちょっとイイカッコシイを言うと、こんな感じ。

「石はこちらから話しかけなければ何も語らない。だから私は一生懸命話しかけています。そうすると、石自身がいろいろ語り出してくれます」

石という、決して特別のものではない、どこにでもあるものだからそれがまた魅力なんです。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞