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渡辺崋山が描いた「飯田町万屋金蔵」

力石・力士の絵
07 /20 2014
亀戸天神社の「臥龍石」に刻まれた「金蔵」のお話です。

江戸時代の文政のころは、力持ち界の全盛期で、
たくさんのプロ力士や素人力士が活躍しました。
江戸の新川、神田鎌倉河岸、神田明神下の酒問屋の若者たちは、
酒樽を持ち上げては互いに力量を競ったそうです。

そんな中から、スターが出てまいります。
その一人が、ここに登場する酒問屋万屋の奉公人金蔵です。

蘭学者で画家の渡辺崋山が描いた「力自慢 飯田町金蔵」
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この絵は、渡辺崋山が甥のために描いた「喜太郎絵本」の中にあります。

金蔵のような素人力士たちは深川八幡、本所羅漢寺、御蔵前八幡、
高田南蔵院などで、力持ちを奉納しました。
木戸銭をとらないことやプロにはない新鮮さで、庶民から贔屓にされます。

この人気に目を付けたのが瓦版売りと絵草子問屋です。
瓦版売りは「力士番付」を作って売り、絵草子問屋は力士の錦絵を売り出して、
商売にしました。

生き馬の目を抜くお江戸です。抜け目がありません。

さて、この絵を描いた渡辺崋山です。
幕末、崋山は政府の政策を批判して投獄、のちに切腹します。
「蛮社の獄」といわれる言論弾圧事件です。

当時、崋山に共鳴していた人は大勢いたのですが、
政府から圧力がかかりだすと、みんな保身に走り、
「崋山なんて知らない」なんて言い出します。

でも最後まで崋山を助けた人がいました。
「崋山十哲」の一人、永村茜山(せんざん)です。

永村茜山が描いた「雲竜」
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静岡県島田市金谷「医王寺薬師堂」の天井画です。
畳八畳分あります。薬師堂・天井画ともに静岡県文化財。

崋山亡き後、茜山は流浪の旅に出ます。
金谷宿までやってきた茜山は、宿組頭の養子となってここに留まります。

この「雲竜図」は、四十一歳のときの作品で、
その二年後に茜山は病死してしまいます。

この絵に圧倒されるのは、絵のうまさだけではなく、師の崋山の怨念と
弟子の茜山の無念が塗り込められているからのように思われてなりません。


次回は「もう一つの万屋金蔵の絵」のご紹介です。


※参考資料/「見世物研究」 朝倉無声 昭和3年
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コメント

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No title

渡辺崋山のお話しが出て来て楽しいブログでした。
渡辺崋山は静岡島田出身なので作品をゆっくり見たいと思いつつも見たことがないのです。このブログを見せて頂いた機会に菊川の常葉美術館へ行って来ますよ。確か、展示してあると聞きました。良い事を思い出させてくれました。有り難う御座います。

No title

s.h..様
コメントありがとうございます。

あのう、崋山は江戸生まれだと思うんですが…。
島田や常葉の美術館で、崋山と茜山を取り上げたことがあったと思います。

「喜太郎絵本」を見ていると、崋山の甥に対する愛情がひしひしと伝わってきます。虫とか凧揚げとか。

No title

あっ、そうでしたか。恥ずかしい。三河藩士で静岡生まれとばかり若い時からの勘違いです。失礼しました。

No title

s.h..様
私も時々ヤラカシます。

このブログでも力石調査研究の先輩から、いろいろ指摘されたばかりです。
完璧じゃないから面白い、なあんて思っています。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞