FC2ブログ

晴れ舞台

牧之原の真実をなんとしてでも後世に書き残しておかなければならない」

静岡市在住の作家・江崎惇氏が、
その思いをようやく「侍たちの茶摘み唄」として世に出したのは、
亡くなる3年前の平成4年のこと。構想からすでに20年もたっていた。

それから19年後、今度は地元生まれの郷土史家・塚本昭一氏によって、
より詳細で、写真をふんだんに取り入れた
「牧之原開拓秘話 遺臣の群像」が刊行された。

img725.jpg img721.jpg

その塚本氏は本の末尾にこう記しています。
「彼らは幾多の困難にもめげず、直参旗本としての矜持を保ち続け、
この地に異質の文化と新しい産業振興をもたらした」

その彼らが、
直参旗本だったかつての栄光を再び世に知らしめた出来事が起きます。

明治維新もすでにふた昔前となった明治20年の春、
大草高重の元へ東京の勝海舟と山岡鉄舟から手紙が届いた。
なんと、明治天皇天覧流鏑馬(やぶさめ)への出場要請でした。

それから半年後の10月31日、いよいよ天覧流鏑馬の当日を迎えた。
場所は東京・千駄ヶ谷の徳川家達邸。
出場は16組。うち牧之原からは、
大草高重、山名時富、小島勝直の3人が三騎揃えで晴れ舞台に挑んだ。

写真は、天覧流鏑馬で見せた山名信次郎時富の雄姿です。

山名家の祖は、清和源氏の支流・新田義貞の子、山名冠者義範。
大草家とは親戚で、代々御庭騎射を務めた騎射の名家。

img719.jpg
山名家蔵         「遺臣の群像より

リーダーの大草高重は、
「騎射は大草殿の右へ出る者はいない」といわれた名人です。
鎌倉時代の装束で、威風堂々の出場。

このときの様子を江崎惇氏はこう書いています。

「進行係の鉄舟が百戦錬磨の肺腑をえぐるような大声で呼ばわった。

   静岡県牧之原士族 大草高重

静岡県の次に牧之原がついている。
誰もが、この男が旗本でありながら名利に拘泥せず、
刀や槍を鋤や鍬にかえて悪戦苦闘している男か、と一様に感嘆した」

「牧之原士族」
重々しく、栄誉ある紹介です。
苦労を共にした三人に、熱い思いが込み上げたはずです。

私はこの「牧之原士族」の活字を見るたびに、ウルウルしてしまいます。

「天覧流鏑馬図鑑」の冒頭に描かれた大草多喜次郎高重です。
出自は三河国大草郷。祖は足利尊氏に仕えた公経(きんつね)。
四条流と並ぶ儀式料理の大草流庖丁師を輩出しています。

img715.jpg
徳川宗家蔵                          「遺臣の群像」より

大草、山名、小島ともに三箭(や)、見事に命中。
この日、大草高重は、征夷大将軍しか所有できない
「重籐弓(しげとうのゆみ)を天皇から賜りました。

元々、騎射の名門に生まれ、その才能にも恵まれた大草は、
かつて藩主に騎射を教えていたほどの身です。
名誉あるこの弓を与えられるのに一番ふさわしい人物だったのでしょう。

実はこの弓には後日談があるのです。

弓は戦後、大草家から離れてその後長い間、行方不明になっていたそうです。
「遺臣の群像」の著者・塚本氏がそれを静岡新聞で呼びかけたところ、
静岡市文化財協会の理事から「個人が所有している」との連絡がきた。

塚本氏と島田市博物館の関係者が所有者宅へ駆けつけてみると、
まさしく本物
いろんな人の手を経て骨董屋に流れたとのことで、
60年ぶりに最後の所有者から、無事、大草家へ戻ったということです。

弓の発見は今から14年前の平成15年のこと。
その10年前の平成5年に、
今、私がちょっぴり関係している静岡市文化財資料館での刀剣展で、
「伝・大草高重所有の弓」として展示されたそうです。

ちなみに現在、同資料館では、
企画展「日本刀 鉄(くろがね)の輝き」が始まったばかりです。
で、やっぱりおいでになりました。着物姿の「刀剣女子」さんたちが…。
嬉しいですね。刀に着物のお嬢さんたち、会場がとっても華やぎます。

こちらの写真は、天覧流鏑馬に出場したときの小島勝直です。
出自は近江国。先祖は家康の直参旗本。勝直は小笠原流騎射の名手。

img720.jpg
小島家蔵                          「遺臣の群像」より

さて、明治天皇はこの流鏑馬がよほどお気に召したのか、
翌11月、今度は大草たちを皇居に招き、皇太子(のちの大正天皇)と共に、
吹上馬場にて流鏑馬をご覧になったそうです。

しかし、
いつも牧之原の侍たちを気にかけていた山岡鉄舟は、
彼らの見事な活躍ぶりを見届けた翌年、病死。

大草はこの天覧流鏑馬に、
「徳川家への人生最後のご奉公」として臨んだそうですが、
その任を見事に果たした5年後、57歳で波乱の生涯を閉じました。

その大草と共に出場した山名も、大草と同じ年に59歳でこの世を去り、
小島はその2年後、二人のあとを追うように、57歳を一期として
開拓に生涯をささげた牧之原の土となりました。

明治2年、入植した旗本は240余世帯
現在、牧之原で茶農家をしておられる旧士族は、
天覧流鏑馬に臨んだ大草、山名、小島家と、
大草高重の生家・和田家の4家を含む9世帯だそうです。

富士を背に、牧之原の台地に建つ中条金之助景昭の銅像です。
金之助中条
静岡県島田市  昭和62年建立。         島田市HPよりお借りしました

大草と共に入植士族の先頭に立ち、
牧之原を大茶園に育て上げた開墾方頭の中条景昭は、
大草に遅れること4年後の明治29年、69歳で他界。

山岡鉄舟の一刀正伝無刀流を継承した中条の子息・克太郎は、
のちに剣道の指導者として静岡市へ転出しますが、
中条景昭は今も牧之原を見守るように
地元の種月院に眠っています。


<つづく>


※参考文献・画像提供/「牧之原開拓秘話 遺臣の群像」塚本昭一
               初倉郷土研究会 平成23年
※参考文献/「侍たちの茶摘み唄」江崎惇 鷹書房 平成4年
※画像提供/島田市役所HP

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

フリーエリア
お願い
このブログに掲載されている 写真・記事等には著作権があります。 無断使用はご遠慮ください。
カレンダー
09 | 2020/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
最新コメント
訪問者数
ランキングに参加しています
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR