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庶民はお気楽?

柴田幸次郎を追う
10 /08 2016
海千山千の外国勢を相手に、
なんとか「開港・開市」を5年先へ延ばすことに成功した遣欧使節団。
しかし帰国してみると、この9か月の間に時勢は再び一変。

自分たちを見送った老中・安藤信正と,久世広周(ひろちか)は失脚し、
一橋慶喜(よしのぶ)と松平慶永(よしなが)の新体制になっていた。

なんとも目まぐるしい。

将軍後見人となった徳川慶喜さん、この方は幕府崩壊後、
あの新門辰五郎を護衛係にして、静岡市へやってきます。
30年ほどこの地で過ごしましたから、今でも静岡市民から、
「ケーキさん」と親しみを込めて呼ばれています。

でも以前、私は会津の人から、
「ケーキは会津を置き去りにして逃げた卑怯者」と言われてしまいました。
確かに、大阪城から逃げました。そのケーキ公に成り代わって謝ったら、
「でも長州よりはいい。今でも長州人には宿を貸さない人がいるくらいです」と。

下の絵は「金ちゃんとケーキさん」を描いた風刺画の一部です。

左の矢印の「金」と書いた着物の男の子がのちの明治天皇
右の矢印の男が「ケーキさん」。「金ちゃん」を抱いているのが長州です。
ちなみに「金」とは将棋の金将を現わしているそうです。

img022 (2)
「絵解き 幕末諷刺画と天皇」より

長州に抱かれた金ちゃんが、
「早くあそこ(江戸城)へ連れていっておくれよ」と言い、
ケーキさんはというと、もう戦意も消え失せてふて寝しています。

この風刺画の登場人物には、
着物などにどこの藩かどういう人物かなどの符号が描かれています。

その符号一覧表が売り出されていて、
江戸庶民はそれと錦絵とを照らし合わせて、
これはどこの藩だとか誰それだなんて当てながら楽しんだそうです。

武士たちが攘夷だ開国だと命がけの闘争をしているというのに、
庶民というのはいつも「他人事」で…。
と、思いましたが、
いや、そうではない。むしろ非常に関心を持って政治の動きを追っていた。
不敬にならぬよう諷刺という形に細工してシャレのめして…。

こういう知的ゲームを立案製作した人も、その謎解きを楽しむ人々も、
洗練されていて、江戸庶民のレベルの高さを感じました。

さて、この安藤信正は、
桜田門外で暗殺された井伊直弼の開国路線を継承した人ですが、
遣欧使節団が日本を離れて間もなく、
その上司と同じように刺客に襲われ重傷を負ってしまいます。

世にいう「坂下門外の変」です。

でもですね、こんなご時世でも両国広小路浅草奥山などでは、
見世物興行をやってたっていうんですから、

オヨヨ~です。

大碇兼吉の力持ちだとか、あやつり人形だとか。
「干物の人魚とカッパの見世物」なんてのも。

異人さんにしても、攘夷なんて
「関係ねー」とばかりに華々しくやっています。

左は、「アメリカ人一座の曲馬」。元治元年、横浜。芳員画。
右は「象の見世物」。文久3年、両国広小路。一龍齋芳豊画。
曲馬団 img164.jpg
神奈川県立歴史博物館蔵 「錦絵 幕末明治の歴史」より

老中・安藤がなぜ襲われたかというと、
公武合体政策というのがありまして…。
これは井伊大老が推し進めていた政策で、
公(朝廷)と武(幕府)が合体することで幕藩体制の強化を図ろうとした思想です。
安藤はこれをも継承します。

そこで、将軍・家茂の正室として皇女和宮を江戸城へ迎え入れます。
そのことが尊王攘夷派の人たちの反発を招き、
ついに水戸藩浪士ら6人に襲撃されてしまったのです。

幕府の権威失墜を招いたということで、安藤は蟄居させられますが、
なんだか気の毒ですね。一生懸命やったのに大ケガした上にお役御免とは。

この時期、攘夷を藩論と決めた長州藩(山口県)が暴れまくります。
なんと、下関で英、仏、蘭の船をドカンドカン砲撃。
薩摩藩も神奈川県でイギリス人を殺傷する生麦事件を起こします。

外国勢はもちろん黙ってはいません。
英、仏が下関を報復。鹿児島では薩摩藩とイギリスとの戦争が勃発します。
とうとう長州藩は京都から追放され、あげくに新撰組に襲われますが、
逆に京都御所を襲って、会津・薩摩と合戦に及びます。

もう、ひっちゃかめっちゃか。

庶民同士はこんなに仲が良いのに。

義太夫を語る金髪男と日本人
それにしても日本人の顔、不細工すぎ。
img163 (3)
「幕末・明治の絵双六」より

こちらは「首引き」という力比べをする異国人と日本人。
img163 (2)
同上

英国公使館は攘夷派の暴徒に2度も焼打ちされ、
生麦事件やら長州藩からの砲撃やらで、英国との関係は急速に悪化。
これらのことから、遣欧使節の仲介の労をとったオールコックは、
幕府崩壊を予感して距離を置き始めます。

そのイギリスに替わり、
日本の主導権をとろうと近づいてきたのがフランスです。

先の遣欧使節は、吹き荒れる攘夷運動の鎮静化のために、
「開港・開市の延期」に出掛けて行ったはずでしたが、
鎮静化するどころか、事態はますます悪化の一途。

実は文久の遣欧使節が開港・開市の延期協定を結んできたのは、
どこの港と市場かというと、新潟・兵庫の港と江戸・大坂の市場。
一番重要な横浜は双方とも避けたのです。

政治も石担ぎもバランスが大事! アラ、ヨット!
百貫目の石を持ち上げる「洋人の力持ち」
img334 (3)
同上

そこで幕府は今度こそ、
「横浜を鎖港し、貿易は函館と長崎に限定する」ことに踏み切りますが、
諸外国との交渉は難航。
横浜を閉鎖して、長崎や函館という遠隔地のみでの貿易なんて、
賛成するわけがありません。

そのとき助け舟を出したのがフランスです。
「フランス皇帝に直談判したらどうかね」と勧めます。

こうして元治元年(1864)の第2回遣欧使節団33人は、
フランス軍艦「ル・モンジュ」で横浜を出港したのでありました。

<つづく>

※参考文献・画像提供/「絵解き 幕末諷刺画と天皇」
           名倉哲三編著 柏書房 2007
※画像提供/「錦絵 幕末・明治の歴史2 横浜開港」小西四郎
      講談社 昭和52年
     /「幕末・明治の絵双六」「内地雑居ポンチ寿語録」
      長谷川常治郎版 明治32年 
      東京学芸大学附属図書館双六コレクション。
      加藤康子・松村倫子編著  国書刊行会 2002

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コメント

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紅毛人と力石

力石の世界も広いですねぇ。
よくいろんな資料が集まりますね、スゴイ!
それにしても、長州人は今でも日本の政治に大きな力を持っているのは困ったもんです。
東北人の力で今の日本の状況を換えてみたいですねぇ。

平成下降

ヨリックさま
コメントありがとうございます。

昨日は文化財修復に関する展覧会などへ行ってきました。地元で文化財保護を助成している企業の表彰式があって、考古学の重鎮、このブログでもお世話になった民俗学の野本寛一先生、歴史学者でおなじみの小和田哲男先生、それに文化財の修理保存をしている建築家が表彰されました。

そこでこの4人の方が異口同音に訴えたのは、「目先の利益しか考えない今の政府は間違っている。このままでは日本はダメになる」ということでした。

文化系を失くすという発想やすぐ利益を生まない基礎研究費の削減などに、4人の方は非情な危機感を持っていました。
この現象を「平成下降」と表現していました。

今回、ノーベル賞を受賞した方も同様のことをおっしゃったそうですね。バブルのころは企業も競って文化活動へ助成金を出していましたが、この不況でそれも頭打ち。目先の「金」にしか興味がない政治家が多すぎるような現況では…。

昨日はいろいろ考えさせられました。

訂正

非情な危機感↦非常な危機感

No title

こんばんは、kotodayoriです。

初コメントします。

先日は、弊ブログへのコメントありがとうございました。

歴史が好きで、昔は歴史小説もよく読んでいました、今は本を読む時間がなかなかとれなくて、ネットで代読しています。幕末のお話、興味深く読ませていただきました、続きが楽しみです。

また、よろしくお願いいたします。

No title

kotodayoriさま
コメントありがとうございます。

歴史をちゃんと勉強したわけでもないのに、ちょっと厚かましいかなあと思いつつ、厚かましく書いています。

学校ではいつも真正面から権力者の目線で教わりましたが、横や斜めや後ろから庶民の目線で見て感じて想像していいのでは、なんてちょっぴり思っています。

脱線してばかりですが、今後ともよろしくお願いいたします。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞