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意外な展開

柴田幸次郎を追う
09 /16 2016
隅田川河畔、元柳橋たもとの柳の木。
その根元にどっかり座っていた「大王石」
それは図書館で偶然手にしたフランス士官の写真集の中にあった。

その後、この石を持った人物が、鬼柴田とも鬼幸とも呼ばれた
柴田幸次郎なる人物であることを、
和竿師・中根忠吉の一代記「竿忠の寝言」で知りました。

しかし、幸次郎の消息はそこでぷっつり途絶えます。

元柳橋に近い神田に、同じ柴田姓の力持ちがいることを知り、
今度はその柴田勝次郎なる人物とその一門を追いかけたものの、
またまた行き詰った。

あられもない姿、今再び。柴田勝次郎です。
勝次郎15065487-s (3)

「大王石」と「幸次郎」探しを始めてから1年後の昨年5月、
藁にもすがりたい思いで、ブログをお読みいただいている方々に、
「どなたか知りませんかあー!」と呼びかけたところ、

こんなコメントが…。

「この柴田勝次郎やその一派ですが、神戸文書館に所蔵されている
柴田剛中文書の中に出てくる
「神田の親戚」にあたるのではないでしょうか?
ちなみに柴田剛中は外国奉行で、
そのフランス士官を日本に招いた人物です」

うわあ! 
思いがけない展開です。


あの「大王石」の写真を撮ったフランス士官、ルイ・クレットマンが、
この柴田剛中(たけなか)という人物につながったのですから、
もう胸が高鳴りました。

img188 (13)
ルイ・クレットマンが明治初年に撮影した「隅田川にかかる橋」

コメントを下さった方は、
「神戸文書館」「柴田剛中」「外国奉行」という貴重なヒントを下さいましたが、
しかしそれを残したまま、こちらの消息もぷっつり。

とにもかくにも、その日から、
新たなる「柴田」を追いかけるべく資料を漁りまくる日々が始まりました。

しかし、この柴田剛中
勝次郎をつなぐ糸がなかなか見つかりません。
自棄(やけ)になってエイッと投げ出したのが昨年の夏のこと。

それから1年たった今年の夏、
野望の残り火が燃えあがり、再び、探索の日々に(ちょっと、オーバーか)。
思えば、写真集の中に未確認の「大王石」を見つけてから早や、3年目

改めて向き合った外国奉行「柴田剛中」

この方、知れば知るほど魅力的な人物ございます。

<つづく>

  =私のひとりごと=

世間では「ポケモンGO」というゲームが流行っているそうですね。
私はゲーム音痴の「ボケモン」ですから、昔ながらの人探しをしていますが、
でも、ゲームのポケモンさんが力石のあるお堂なんかに現れて、
力石をヒョイヒョイ担いでくれたなら、
たくさんの若者たちに力石を知っていただくいい機会になるのになあ。

※画像提供/「フランス士官が見た近世日本のあけぼの」
    ルイ・クレットマン アイアールディー企画 2005
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞