由比の力石めぐり④
由比の力石
熊本県で大きな地震が起きたようですね。
被害が拡大しないよう、皆さまの無事を祈るばかりです。
ここ静岡では「東海大地震」が来ると言われてから、すでに40数年。
水、パンの缶詰、アルファ化米、簡易トイレ、非常用ローソクは2週間分常備。
寝室には太陽光携帯ライト以外は何も置かず、
いつでも飛び出せるようパジャマがわりにスポーツウエア着用。
各部屋にペットボトルを置き、玄関への逃げ道には倒れるものは置かず、
タンスは一部屋に集中設置。本棚には転倒防止策。
なにしろ40年間、「来るぞ来るぞ」ですから、自然にこうなりました。
準備万端でも建物自体が倒壊したら何もなりませんけど。
さて、由比の力石めぐりです。
由比の力石の情報提供者・望月久代さんがある日、小声で言いました。
「「静岡の力石」に載っている石の中に、ちょっと疑問の石が…」
思わず、ギョエ!
それがこれ。確かに少し大きすぎるような…。

静岡市清水区由比・個人宅 84×48×25㎝、68×39×20㎝
それで久代さんと石の所有者宅へ伺いました。
ここには江戸時代、由比宿の木戸と、
閻魔様を祀る十王堂があったそうです。
出てきたこの家の奥さん、
「エエーッ! これが力石? 聞いたことないっけやあ。
庭を掘ったら出てきた石だって聞いてたけど、う~ん」
この石の情報は10数年前のことで、提供者は他県の方です。
石は玄関わきにあって門扉を開けなければ入れませんし、
寸法もちゃんとはかってありますから、無断で入ったはずもない。
当時の住人に力石であると確認してのことだろうと思います。
同じ家にいても知っている人と全く知らない人がいる、
こういう例はママあります。
こちらは清水区小河内和田・金毘羅神社の参道の力石です。

63×36×30㎝
「奉納」と刻字があります。斜めの線は絡まった蔦(ツタ)。
こちらの情報も10数年前のことで、市の石造物調査の折りに、
当時の調査者が土地の古老から聞き取ったものです。
ところが現在の地元の郷土史家は全くご存知なかったのです。
というより「力石」という名称すら知りませんでした。
たった10数年でこんな状態になってしまうんですね。
同じ土地の住人でも先輩から後輩へと伝えられていない、
あくまでも個人の思い出の中にしか残っていないのです。
現在ここにお住いの郷土史家にいくら説明しても、
「これが力石だなんて聞いたことがない」と頑強に認めませんでした。
こんなふうなので、
その証拠を調査報告書に残しておかなければうやむやになります。
全国調査をした高島愼助教授の仕事の価値はここにあります。
今この力石は頭部の一部を欠いた状態で、参道に放置されています。
由比の個人宅の力石は、
寺社へでも保存しない限り所在不明になる確率が高そうです。
愛着を持たれなかった力石の運命は無残です。
※参考文献/「静岡の力石」高島愼助・雨宮清子 岩田書院 2011
被害が拡大しないよう、皆さまの無事を祈るばかりです。
ここ静岡では「東海大地震」が来ると言われてから、すでに40数年。
水、パンの缶詰、アルファ化米、簡易トイレ、非常用ローソクは2週間分常備。
寝室には太陽光携帯ライト以外は何も置かず、
いつでも飛び出せるようパジャマがわりにスポーツウエア着用。
各部屋にペットボトルを置き、玄関への逃げ道には倒れるものは置かず、
タンスは一部屋に集中設置。本棚には転倒防止策。
なにしろ40年間、「来るぞ来るぞ」ですから、自然にこうなりました。
準備万端でも建物自体が倒壊したら何もなりませんけど。
さて、由比の力石めぐりです。
由比の力石の情報提供者・望月久代さんがある日、小声で言いました。
「「静岡の力石」に載っている石の中に、ちょっと疑問の石が…」
思わず、ギョエ!
それがこれ。確かに少し大きすぎるような…。

静岡市清水区由比・個人宅 84×48×25㎝、68×39×20㎝
それで久代さんと石の所有者宅へ伺いました。
ここには江戸時代、由比宿の木戸と、
閻魔様を祀る十王堂があったそうです。
出てきたこの家の奥さん、
「エエーッ! これが力石? 聞いたことないっけやあ。
庭を掘ったら出てきた石だって聞いてたけど、う~ん」
この石の情報は10数年前のことで、提供者は他県の方です。
石は玄関わきにあって門扉を開けなければ入れませんし、
寸法もちゃんとはかってありますから、無断で入ったはずもない。
当時の住人に力石であると確認してのことだろうと思います。
同じ家にいても知っている人と全く知らない人がいる、
こういう例はママあります。
こちらは清水区小河内和田・金毘羅神社の参道の力石です。

63×36×30㎝
「奉納」と刻字があります。斜めの線は絡まった蔦(ツタ)。
こちらの情報も10数年前のことで、市の石造物調査の折りに、
当時の調査者が土地の古老から聞き取ったものです。
ところが現在の地元の郷土史家は全くご存知なかったのです。
というより「力石」という名称すら知りませんでした。
たった10数年でこんな状態になってしまうんですね。
同じ土地の住人でも先輩から後輩へと伝えられていない、
あくまでも個人の思い出の中にしか残っていないのです。
現在ここにお住いの郷土史家にいくら説明しても、
「これが力石だなんて聞いたことがない」と頑強に認めませんでした。
こんなふうなので、
その証拠を調査報告書に残しておかなければうやむやになります。
全国調査をした高島愼助教授の仕事の価値はここにあります。
今この力石は頭部の一部を欠いた状態で、参道に放置されています。
由比の個人宅の力石は、
寺社へでも保存しない限り所在不明になる確率が高そうです。
愛着を持たれなかった力石の運命は無残です。
※参考文献/「静岡の力石」高島愼助・雨宮清子 岩田書院 2011
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