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由比の力石めぐり②

由比の力石
03 /29 2016
4月初旬の思わぬ花冷えの朝、
四日市大学の高島教授と私は、待ち合わせ場所の阿僧宇神社で、
由比の郷土史家・望月久代さんと無事、合流。

そこから徒歩で「瘤山(こぶやま)観音堂」へと向かいました。

瘤山観音堂です。
img975.jpg
「阿僧の歴史」(望月良英)より

縄文遺跡があるここ阿僧は、
由比最古の人の居住地といわれております。
また、鎌倉時代には由比氏の祖、由比五郎入道浄円の屋敷があり、
室町期にはそこが二万三千石の川入城になりました。

このときの城主は今川氏二十四将の一人、由比光詔
しかし、
天文15年(1546)、信州の村上義清(甲斐・武田説も)に攻められ落城。
光詔の遺児・光秋は今川氏滅亡後帰農して、由比今宿の里長になります。
その川入城跡に出来たのが、法城山常円寺
昔は「古城山常円寺」といっていたそうです。

そんなわけで、この阿僧地区は歴史も深く、
江戸時代には経済的にもゆとりのある村だったようです。

話を瘤山観音堂に戻します。この観音堂は、
明治の廃仏毀釈で廃寺となった
深谷寺(新国寺)=しんこくじ=の境内仏堂で、
寛文六年(1666)の鰐口や、
由比地域最古といわれる慶長十七年(1612)の墓石などが現存しています。

これは明暦元年(1655)建立の多宝塔式の浮彫観音石塔です。
img955.jpg
「由比町の歴史下巻」(手島日真)より

右側の石塔は寛文六年(1666)の庚申塔です。
望月良英氏によれば、三猿が彫られた上部に、

「庚申を共に守り、終夜至心にして更に違うことなく、清浄本然として、
三彭(さんぼう=三尸の虫)是非を説くを遮らず」

と漢文で刻字されているそうです。
由緒ある観音堂ですが、今はちょっと寂しい風情です。

瘤山観音堂の力石です。
CIMG0033 (2)

立派な力石ですが、
今はもう、誰にも顧みられることなくこのように放置されています。

昔はこの境内で賑やかに盆踊りが行われていたそうです。
そんなとき、村の若者たちは娘っこたちの前で、
石を担いで競い合い、力自慢をしたことでしょう。

   
今はただ木の根枕に夢の中 
      力石(いし)は語らず人も語らず
  雨宮清子

※参考文献・画像提供
/「阿僧の歴史」望月良英 私家本 平成28年
「由比町の歴史・下巻」手島日真 由比文教社 昭和47年
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞