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望月良英さんのこと

由比の力石
03 /23 2016
阿僧在住の郷土史家、望月良英さんを知ったのは、
6年前の平成22年のことでした。

図書館で何気なく手にした冊子「郷土研究 結愛(ゆうあい)」を見て、
あ、この本欲しいなと思ったんです。

それは静岡市清水区由比の「結愛文化クラブ」の郷土史愛好家たちが、
正法寺のご住職、手島英真氏の指導の下、
自分たちの郷土について先人たちが遺した資料に学び、
自分たちの足で調べた機関誌でした。

気負いもてらいもない、真っ直ぐで率直なところに魅かれました。

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家に帰ってすぐ巻末の電話番号へかけました。
そのとき応対してくださったのが、
この機関誌を編集していた望月良英氏だったのです。

それからしばらくして、私は再び良英氏に電話をかけました。
「由比に力石はありませんか?」

今思えば、いささか厚かましかった。
でもすぐ応じてくれたんです。「望月久代さんなら」と。

これは良英氏が今は亡き最愛の息子さんに捧げた本です。
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発行は平成24年3月15日。
この前年の同じ日、つまり東日本を襲った大震災の4日後の3月15日、
息子さんは赴任先の会津若松市で急逝。

金沢大学電気情報工学科で学んだ前途洋々たる好青年。
41歳を迎えたばかりでした。

そうとは知らず、私は19日に行われる東山寺・薬師堂での
「力石の重さ当てイベント」への参加の電話をかけてしまいました。
あのとき電話へ出られた奥さまの気丈な声は今も忘れることができません。
以来、東山寺の力石と良英氏のご家族のことは切り離せなくなりました。


他人様の悲しみに触れることにはためらいがあります。
こういう形で書くことはいけないことではないのかとの思いもあります。

良英氏には正式なお悔みさえ、私はいまだに言ってはおりません。
口に出して言えば薄っぺらなものになる、そんな気がして…。
それでも変わらぬ笑顔で、私の力石の講演会には久代さんと共に、
2度もかけつけてくれました。

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静岡県富士宮市 西山本門寺
私が子供の頃遊ばせていただいたお寺です。当時のご住職は由比さん。
同級生だったこの寺の娘さんもすでにいない。

穏やかな良英氏を見て、人は言うかもしれない。
「あなたは強い人ねえ」と。
私自身が幾たびか言われてきた一番嫌いな言葉です。

「強くなんかない。本当は情けないほど弱くて、
針で身体のどこをつついても涙がほとばしり出てくるほどなのに。
今にもボロボロ崩れそうな自分をなんとか支えて不器用に生きているのに。
悲しみや辛さに遭遇して強くいられる人なんているわけないじゃない」


押しつぶされそうな現実に耐え、泣きわめかず、懸命に生きている人に、
決して言ってはならない言葉、
「あなたは強い人ねえ。私だったらとてもそんなふうにはなれないわ」
たまりかねて相手にこう言ったことがあります。
「じゃあどうすればいいの? 死ねば弱い人と思ってあげられるってこと?」

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巴川の灯篭流し 毎年、行っています。

息子さんは亡くなるひと月前、良英氏にこう言ったそうです。
「父さん、身体の不自由な人やつらい生活をしている人は、
人として意識レベルの高い人間なんだよね」

良英氏は定年を迎えた時、一冊の本を書いた。
「知っていると役立つルール」
職場で教えられたことや一緒に郷土史を学ぶ仲間たちから得た教訓を
ご自分なりにまとめた本です。
息子さんが言い残していった言葉は、父から贈られたこの本の中にありました。

父は子に人生のルールを文字に託してそっと伝え、子はその父に
「父さん、わかったよ」と無言のうちに感謝しつつ伝えていった。

本来なら、良英氏の著作や活動のご紹介をさせていただくのが筋ですが、
あの日以来、
私の胸に刺さったままの痛みや思いを記させていただきました。

などかくもつらき別れぞ今宵また
         思い出たどるこぞ逝きし子の 
  望月良英
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞