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由比の力石めぐり①

由比の力石
03 /16 2016
由比の力石のほとんどは、
郷土史家の望月久代さんによって発見された、
ということは以前にもお伝えしました。

東山寺・薬師堂(東山神社)の力石発見を皮切りに、
私の元に、矢継ぎ早に情報が届きました。

「久代です」
受話器の向こうからふんわりと柔らかな声。
やや間をおいて、
「ありましたッ」
このときばかりは息がはずんでいます。

由比川を挟んだ東山寺の対岸に、阿僧(あそう)という地区があります。
由比氏の本拠地、川入城があったところですが、
その阿僧の瘤山観音堂白井沢・第六天神社の力石も、
久代さんからの情報です。これらは稿を改めてご紹介します

こちらは自治会館の庭に半分顔を出している力石です。
CIMG0302.jpg
静岡市清水区由比西倉沢 倉沢自治会館

後日、師匠の高島愼助教授とお訪ねしました。
「ここいらの若者は漁で鍛えているからね」と元自治会長の松永元信氏。
「でもこのままじゃあ、いつか忘れられてしまう。どうしたものか」

みんなに愛されてきた力石です。
散逸を恐れた先人たちが、
せめて、という思いを込めてここに並べて置いたのでしょう。


刻字が難しければ、
とりあえず文字を書いておくことを提案してみました。

倉沢自治会館です。
CIMG0301.jpg

波に踊る2尾の魚の彫刻、懸魚(げぎょ)がなんとも美しい。

こちらは以前、「戦争と若者と力石」の中でご紹介した中峯神社の力石です。
CIMG1937 (3)

右の二つが力石です。赤丸の中に盃状穴があります。
この力石は向かいの家の奥さまが、
「これは力石で、若い衆がみんなで担いだんだよと祖父から聞いていた」
と証言してくれました。

左側に神社への登り口があります。戦争中は、
弾除け祈願に兵士たちの家族が大勢この道を登って行ったそうです。
この石を担いだ若者たち、無事、戦地から帰ってきたでしょうか。

手島日真氏の「由比町の歴史(上巻)」に、
第二次世界大戦で亡くなった
夥しい数の由比の若者たちの名が記されています。

戦没場所バタン海峡、ミンダナオ島、レイテ島、ビルマ、満州…。
遺族の名の多くは母親で、ひさ、たけ、しの、ふく、はな、たみ…。

この中には何人もの息子さんを亡くした母もいるかもしれません。
著者の手島氏も本の中に「長男出征」と記してありました。
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コメント

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ありましたー!

こんばんは。いつもお世話になっております。
力石、ありましたー!初めて力石を力石として見ることが出来ました!
記事には明日アップしますが、とても大きくて、丸くて、こんなものを持ち上げたのかと感動しました。
ちゃんと撫でて愛でてきましたよ。とても嬉しかったです。
場所は堺市の開口神社。石碑の囲いになっていましたが、力石でしたー。

ありましたかー!

そうです、そうです。
大きくて丸くて重そうなのが力石です。
嬉しいなあ。力石を見つけてくださったなんて。
昔の若い衆の汗や涙や喜びや悲しみがいっぱい沁みこんでいます。

石を撫でてくださったとのこと。
力をいっぱいいただいたことと思います。
明日のブログ、楽しみにしています。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞