春日神社の力石・その2
力石の保存
昨日の続き、静岡市清水区追分3丁目の春日神社です。
追分とは、
旧東海道より清水湊へ抜ける分岐点(追い分け)のこと。
「是より志みず道」の石の道標があります。
道標は、創業300年を誇る「追分ようかん」の店の傍らにあります。
赤いのれんが目を引きます。
ここのご主人だった府川松太郎さんが「追分今昔記」(昭和60年)の中で、
春日神社と力石のことを書いています。
「力蔵さんという人は鷺坂伊三郎氏の先祖の人で、
非常に力のあった人だったと伝えられています。
戦時中、春日神社境内に鷺坂力蔵片手ざしの力石があったが、
普通の人では持ち上げることができない重量の丸い石であった。
これを片手で持ち上げたというから、驚くほどの力持ちであった」
春日神社は道路建設のため、昭和46年に現在地へ移転したそうだから、
そのとき力石も持ってきたものと思われます。
府川さんが戦時中に見た力石は今ある石と同じもので、たぶんこれです。

寸法は48×33×30。重さは不明。
こんなふうに誰にも顧みられず、長い間放置されていました。
鳥にフンまで落とされています。
近所のご老人がいうには、
「子供のころは二つあった。大きい方は戦時中なくなってしまった」
そのたった一つ残された石も、その後はフンだり蹴ったりの境遇でしたが、
幸運にも神社の総代さんがこの石に関心を持たれて、
平成24年、急ピッチで保存がなされました。それが昨日の写真です。
説明板も立てられました。名文です。
なんと私の名前まで入れてくださった(赤丸のところ)。

初春や装い新た片手差し 雨宮清子
この「片手差し」、片手に乗せた石が蓮華の花のように見える所から、
「蓮華差し」ともいいます。
またこの「かたて」の刻字のある石は珍しく、この春日神社の「片手差し」、
姫路市栗山・法圓寺の「片手留」、同峰山・広峯神社の「片手止」の刻字は、
それぞれ全国で唯一のものです。
講演で熱弁をふるっている私です。新聞記事です。
寝癖のついた髪の毛が、緊張を物語っています。

さて、会場にお借りしてきた力石、どういう風に運んだかというと、
二つ折りにした毛布の上に石を転がし、毛布の四隅を4人で持って運びました。
これを一人で片手で頭上高く差し上げた鷺坂力蔵さんに、完敗です。
追分とは、
旧東海道より清水湊へ抜ける分岐点(追い分け)のこと。
「是より志みず道」の石の道標があります。
道標は、創業300年を誇る「追分ようかん」の店の傍らにあります。
赤いのれんが目を引きます。
ここのご主人だった府川松太郎さんが「追分今昔記」(昭和60年)の中で、
春日神社と力石のことを書いています。
「力蔵さんという人は鷺坂伊三郎氏の先祖の人で、
非常に力のあった人だったと伝えられています。
戦時中、春日神社境内に鷺坂力蔵片手ざしの力石があったが、
普通の人では持ち上げることができない重量の丸い石であった。
これを片手で持ち上げたというから、驚くほどの力持ちであった」
春日神社は道路建設のため、昭和46年に現在地へ移転したそうだから、
そのとき力石も持ってきたものと思われます。
府川さんが戦時中に見た力石は今ある石と同じもので、たぶんこれです。

寸法は48×33×30。重さは不明。
こんなふうに誰にも顧みられず、長い間放置されていました。
鳥にフンまで落とされています。
近所のご老人がいうには、
「子供のころは二つあった。大きい方は戦時中なくなってしまった」
そのたった一つ残された石も、その後はフンだり蹴ったりの境遇でしたが、
幸運にも神社の総代さんがこの石に関心を持たれて、
平成24年、急ピッチで保存がなされました。それが昨日の写真です。
説明板も立てられました。名文です。
なんと私の名前まで入れてくださった(赤丸のところ)。

初春や装い新た片手差し 雨宮清子
この「片手差し」、片手に乗せた石が蓮華の花のように見える所から、
「蓮華差し」ともいいます。
またこの「かたて」の刻字のある石は珍しく、この春日神社の「片手差し」、
姫路市栗山・法圓寺の「片手留」、同峰山・広峯神社の「片手止」の刻字は、
それぞれ全国で唯一のものです。
講演で熱弁をふるっている私です。新聞記事です。
寝癖のついた髪の毛が、緊張を物語っています。

さて、会場にお借りしてきた力石、どういう風に運んだかというと、
二つ折りにした毛布の上に石を転がし、毛布の四隅を4人で持って運びました。
これを一人で片手で頭上高く差し上げた鷺坂力蔵さんに、完敗です。
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