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河津のみなさん、そりゃないよ!

力石
06 /22 2014
力石の保存に奔走している私をしり目に、逆行しちゃった現場を見てしまいました。
伊豆・賀茂郡河津町の
河津八幡神社です。

このモニュメントは、河津三郎。
仇討で有名な「曽我兄弟」のお父さんです。


CIMG0083.jpg

大変な怪力だったそうで、相撲四十八手の一つ「かわづ掛け」を
生み出した人物だそうです。
ちなみに台座に記された「河津三郎力石」は、第35代横綱双葉山の揮毫。


像の前に置かれた石は「手玉石」といい、
河津三郎がトレーニングに使った石(320㌔)といわれていますが、
四日市大学の高島先生によると、
「全国的に存在する一般人が使用した大きな部類に入る石」とか。


 力石に河津桜の散りそそぐ  高島愼助

この神社には家臣たちが鍛錬に使った力石が、10数個あったそうですが、
昭和13年の山崩れで境内に埋まったままになっているとか。


で、問題はこれなんです。

実は数年前まで、
ここには別の台座に乗せた力石が3個、保存されていたんです。
ところが、行ってみるとない!
境内にいた方が言うんです。「石段に使っちゃった」って。


CIMG0082 (2)

もうどれが力石かわかりません。
有効活用もいいけれど、せめて「力石クン」に「力石」と刻字して、
「ずっと君を忘れないよ」と示してほしかった。
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コメント

非公開コメント

No title

そう云えば、葵区有永の大御戸神社の石段の脇にも力石が土止めに使われているのを見ました。力石の文化を調べている方にとっては残念でしょう。力石ではないけれど、久能山東照宮の1159段の石段にも建物の石垣や灯篭の石が転用されています。そういうことに価値を意識しない人達は無造作に唯の石としてしか見ないのです。その当時の工事関係者の石を必死になって集めている姿も想像はできます。私は歌碑に興味を持って調べていますが、万葉歌碑や防人の歌も新しく工事をやるたびに人の目につきにくい場所に移されます。まるで、厄介物か、邪魔者の様にです。それを見て、その地域のお役人の文化意識が分る様な気がします。

No title

s.h..様
コメントありがとうございます。

大御戸神社の力石は、鳥居の壊れた一部を力石にした「代用力石」です。いずれここでご紹介します。この力石から私の力石探訪が始まりました。

No title

これは切ないですね。
多くの人たちが向かい合ってきた(抱きしめてきた)力石だから、感じる人が見たら、ほかの石とは明らかに異なる “氣” を放っているんじゃないかな。

No title

み・ねやまん様
コメントありがとうございます。

かつて力石は神聖なものとされ、石の上に腰かけたり跨いだりできなかったんです。女性が触るのを男たちはいやがりました。

使われなくなっても、この石には若者たちの思いが込められていますから、大切にしてほしいと思っています。

No title

姫君に同感です。「愛知・静岡の力石」2004年 高島慎助著 に写真掲載されている河津三郎の力石は、ブログ写真とは全く別物の小さな石が台石に載せてあり、”特別大きくもない”と思います。写真を観て下さい。2年前に友人から送られた写真を見ると、三郎さん銅像を山門左、つまり立札前に移動されてあり目前の3個の力石がない!。三郎さんがいたその跡に息子二人の銅像が新たに?設置された時に、三郎力石が載せ替えられ、消えた三個が石段に?・・・。

No title

保之進様
コメントありがとうございます。

力石が石段に化けたこの驚き、お察しください。

三郎像の前の石は以前の石と同じものだと思います。以前は縦向きに置いていたのを、横向きに変えただけだと思います。当時の紹介マップに、縦向きと横から見た石が共に出ています。

曽我兄弟の銅像は、以前は駅前かどこかにあったそうです。それを神社に持ってきたので、「いろいろ移動した。ついては3個の力石は石段にしちゃった」と境内にいた方が言っていました。

No title

縦を横に・・・。了解しました。 これで2年前からの疑念が解消しました。ありがとうございました。それはそうと、あの3個が石段にされちゃったのですね。 う~~~ん・・・。

No title

ホントにう~~~んです。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞