「ごせっぽい」
民俗行事
友人から急なお誘いを受けました。
なんだかよくわからないまま、午前の仕事の後、そのまま町へ。
待ち合わせのショッピングセンターへ行くと、山車(だし)が。
「オオーッ、なんだこりゃあ」

「木花車」
「山車がねり歩くんですって」と友人。
「祭りでもないのになんでまた」
「家康公400年祭の関連なんですって」
徳川家康が没してから今年で400年。
静岡市ではこれに力を入れて、このところイベントのオンパレード。
家康は今川氏の人質時代の幼少期、青年期、隠居後の大御所時代と、
人生の重要な時期に駿府(静岡市)に住んだことで、こことは縁が深い。
でもだからといって、市がいうように、
「駿府は家康が作った」と断言しちゃうのは、ちょっとなあ。
とにかく山車の「お踟(ねり)」を見ようと、巡行コースへ急いだ。
巡行は3台とのこと。
1台目がいました。
「暫(しばらく)車」です。

山車の前で町内の方々が踊っています。

線からはみ出さないで踊る。静岡市民は律儀なんです。
イベント広場を抜け、左へ曲がるといました、2台めです。

「神武車」。神武天皇の顔が見えます。

踊りの衆は直立不動で合図を待っています。
静岡は「日本の北京」といわれるくらい、自転車の多い町です。
でも、自転車があっても除けて踊りますから大丈夫。

先導役のおじさんたちものんびり待っています。
花笠を背にした少女たちも、静かに出番を待っています。

すべてこんな調子。のんびりしています。
静岡には「ごせっぽい」という言葉があります。
同じ静岡でも私が育った県東部では使いません。
だから初めてこれを聞いたときは、
「のどがいがらっぽくてムズムズする」意味かと思ったら、全く違った。
一般的には、
「晴れ晴れした」「せいせいした」「清々しい」という意味で使います。
例えば「今日はうるさい夫がいなくて、ごせっぽいやあ」なんていう風に。
また「御所(ごせ)っぽい」という字をあてることもあるそうです。
一説には、大御所・家康が駿府に来たとき、町の平穏な様子に、
「居心地がよくて御所っぽい」と言ったことから広まったとか。
ブログ「駿府は96ヵ町」のブログ主さんは、
「平穏で清々しい様」という解釈をしています。
そしてブログにこう書いています。
「駿府はちぃーと覇気がないけぇが、ごせっぽくていいじゃん」
この「御所っぽい」説で行くと、本日の祭りの方々は、
実にごせっぽい=平穏そのもの。単なるのんびりとは違うんですね。
さて、もう一つ。
子供たちが舞い人になる「稚児舞」を、静岡浅間神社に奉納する
「廿日会祭」(はつかえさい)という行事があります。私も見ましたが、
背筋をピッと伸ばして凛々しく踊る小学生の舞い姿は実に感動的です。
この稚児舞の歴史は古く、
室町時代の公卿、山科言継の日記にも出てきます。
舞い人の稚児たちは安倍川の向う側の集落からやってきます。
この稚児たちを浅間神社まで連れて行くとき、こういった山車に乗せ、
町をねり歩くわけですが、本日のお踟はその稚児舞ではなく、
家康400年祭にひっかけて行われたようです。
展示されていた山車「稲荷車」。右はまとい持ちのおにいさん。

桜の花が咲くころ、静岡市では静岡祭りを開催します。
元は稚児舞の廿日会祭を中心に、家康の花見行列を行っていましたが、
ある年から廿日会祭や浅間神社と切り離し、
市独自の祭として、東京から家康役の俳優を呼び、
市庁舎前でチャンバラなんかをやるようになったんです。
「駿府は96ヵ町」のブログ主さんは、このことについて、
「庇を貸して母屋を取られた」といい、
「市当局は、奇をてらうものばかりに一生懸命で、
伝統行事にあまり興味を示さない」と嘆いていました。
今度できる市立博物館にしても、そんな感じになりそうです。
なにしろ、家康を中心に据えた歴史博物館だそうで、
ある会合で、市側が、
「家康が作った駿府に家康の博物館を作るのは大変意義がある。
いずれ、これが経済効果を生むようになる」と胸を張った。
すかさず委員の一人が反論しました。
「なにも家康だけが駿府を作ったわけじゃない。
家康の関連施設なら、すでに立派なものが名古屋にある。今さら」と。

家康像。静岡市企画展「武SHOW徳川家康」チラシより。
一にも二にも家康さま。
民俗関連などは、完全に消してしまった博物館です。
公立図書館を民間の本屋に任せてしまった結果、
本屋は貸し出しのあまりない郷土資料や明治大正の古い新聞などを
焼却してしまったというニュースがありましたが、
市歴史博物館構想には、それと同じような、
集客、経済効果、観光にこだわるという残念な姿勢が垣間見えます。
これでは、力石を博物館の庭に置いて欲しいという私の願いなんて、
嘲笑されるわけです。
気を取り直して。
最後の5台目はこれ。「咲耶車」。

平成8年に作った一番新しい山車だそうです。
5台の内、一番古い山車は明治時代、あとの3台は大正時代のもの。
次の踊りの場所まで歩く踊りの衆。

市では、「5台の山車が400年の時を超え、
現在の城下町を大いに賑わします」と宣伝していましたが、
ご覧のように人々は、静々と「ごせっぽく」歩いています。
喧嘩もなく酔っぱらいもいない、けたたましい笑い声も歓声もない。
あるのは穏やかな人々とそれと同じような空。
その空に響くのは、朗々とした木遣りの声と横笛の音と鉦、太鼓。
「覇気がないけぇが、ごせっぽくていいじゃん」
私も今日は久々に、ごせっぽくていいっけやあ!
なんだかよくわからないまま、午前の仕事の後、そのまま町へ。
待ち合わせのショッピングセンターへ行くと、山車(だし)が。
「オオーッ、なんだこりゃあ」

「木花車」
「山車がねり歩くんですって」と友人。
「祭りでもないのになんでまた」
「家康公400年祭の関連なんですって」
徳川家康が没してから今年で400年。
静岡市ではこれに力を入れて、このところイベントのオンパレード。
家康は今川氏の人質時代の幼少期、青年期、隠居後の大御所時代と、
人生の重要な時期に駿府(静岡市)に住んだことで、こことは縁が深い。
でもだからといって、市がいうように、
「駿府は家康が作った」と断言しちゃうのは、ちょっとなあ。
とにかく山車の「お踟(ねり)」を見ようと、巡行コースへ急いだ。
巡行は3台とのこと。
1台目がいました。
「暫(しばらく)車」です。

山車の前で町内の方々が踊っています。

線からはみ出さないで踊る。静岡市民は律儀なんです。
イベント広場を抜け、左へ曲がるといました、2台めです。

「神武車」。神武天皇の顔が見えます。

踊りの衆は直立不動で合図を待っています。
静岡は「日本の北京」といわれるくらい、自転車の多い町です。
でも、自転車があっても除けて踊りますから大丈夫。

先導役のおじさんたちものんびり待っています。
花笠を背にした少女たちも、静かに出番を待っています。

すべてこんな調子。のんびりしています。
静岡には「ごせっぽい」という言葉があります。
同じ静岡でも私が育った県東部では使いません。
だから初めてこれを聞いたときは、
「のどがいがらっぽくてムズムズする」意味かと思ったら、全く違った。
一般的には、
「晴れ晴れした」「せいせいした」「清々しい」という意味で使います。
例えば「今日はうるさい夫がいなくて、ごせっぽいやあ」なんていう風に。
また「御所(ごせ)っぽい」という字をあてることもあるそうです。
一説には、大御所・家康が駿府に来たとき、町の平穏な様子に、
「居心地がよくて御所っぽい」と言ったことから広まったとか。
ブログ「駿府は96ヵ町」のブログ主さんは、
「平穏で清々しい様」という解釈をしています。
そしてブログにこう書いています。
「駿府はちぃーと覇気がないけぇが、ごせっぽくていいじゃん」
この「御所っぽい」説で行くと、本日の祭りの方々は、
実にごせっぽい=平穏そのもの。単なるのんびりとは違うんですね。
さて、もう一つ。
子供たちが舞い人になる「稚児舞」を、静岡浅間神社に奉納する
「廿日会祭」(はつかえさい)という行事があります。私も見ましたが、
背筋をピッと伸ばして凛々しく踊る小学生の舞い姿は実に感動的です。
この稚児舞の歴史は古く、
室町時代の公卿、山科言継の日記にも出てきます。
舞い人の稚児たちは安倍川の向う側の集落からやってきます。
この稚児たちを浅間神社まで連れて行くとき、こういった山車に乗せ、
町をねり歩くわけですが、本日のお踟はその稚児舞ではなく、
家康400年祭にひっかけて行われたようです。
展示されていた山車「稲荷車」。右はまとい持ちのおにいさん。


桜の花が咲くころ、静岡市では静岡祭りを開催します。
元は稚児舞の廿日会祭を中心に、家康の花見行列を行っていましたが、
ある年から廿日会祭や浅間神社と切り離し、
市独自の祭として、東京から家康役の俳優を呼び、
市庁舎前でチャンバラなんかをやるようになったんです。
「駿府は96ヵ町」のブログ主さんは、このことについて、
「庇を貸して母屋を取られた」といい、
「市当局は、奇をてらうものばかりに一生懸命で、
伝統行事にあまり興味を示さない」と嘆いていました。
今度できる市立博物館にしても、そんな感じになりそうです。
なにしろ、家康を中心に据えた歴史博物館だそうで、
ある会合で、市側が、
「家康が作った駿府に家康の博物館を作るのは大変意義がある。
いずれ、これが経済効果を生むようになる」と胸を張った。
すかさず委員の一人が反論しました。
「なにも家康だけが駿府を作ったわけじゃない。
家康の関連施設なら、すでに立派なものが名古屋にある。今さら」と。

家康像。静岡市企画展「武SHOW徳川家康」チラシより。
一にも二にも家康さま。
民俗関連などは、完全に消してしまった博物館です。
公立図書館を民間の本屋に任せてしまった結果、
本屋は貸し出しのあまりない郷土資料や明治大正の古い新聞などを
焼却してしまったというニュースがありましたが、
市歴史博物館構想には、それと同じような、
集客、経済効果、観光にこだわるという残念な姿勢が垣間見えます。
これでは、力石を博物館の庭に置いて欲しいという私の願いなんて、
嘲笑されるわけです。
気を取り直して。
最後の5台目はこれ。「咲耶車」。

平成8年に作った一番新しい山車だそうです。
5台の内、一番古い山車は明治時代、あとの3台は大正時代のもの。
次の踊りの場所まで歩く踊りの衆。

市では、「5台の山車が400年の時を超え、
現在の城下町を大いに賑わします」と宣伝していましたが、
ご覧のように人々は、静々と「ごせっぽく」歩いています。
喧嘩もなく酔っぱらいもいない、けたたましい笑い声も歓声もない。
あるのは穏やかな人々とそれと同じような空。
その空に響くのは、朗々とした木遣りの声と横笛の音と鉦、太鼓。
「覇気がないけぇが、ごせっぽくていいじゃん」
私も今日は久々に、ごせっぽくていいっけやあ!
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