夏だ、花火だ、盆踊りだ!
民俗行事
暑中お見舞い申し上げます。
とはいうものの、私自身がバテバテです。
暑いですね!
いつもの夏と違いますね。朝から霞。それでいて重苦しい暑さ。
入道雲も雷さまもまだお出ましではないし、変な夏。
で、すっかり出不精になって、花火も自宅のベランダから見ています。
なにしろ昔、徳川家康の居城だった駿府城、
その跡地に建つはるかかなたの県庁から日本平まで見渡せるので、
市内あちこちの花火は居ながらにして見物できます。
菊ではありません。
撮影が下手でこんな感じになっちゃいました。
でも気に入ってます。こんな花火の写真も面白い。

こちらの花火は、胞子になったタンポポもどき。

すっかり引きこもりの私、でもやっと夕べから動き出しました。
恒例の国指定・重要無形民俗文化財の
「有東木(うとうぎ)の盆踊り」が始まったのです。
昨日は練習日でしたが、本番はこんな感じ。

たまに浴衣を替えます。
夕べはテレビ局がきました。本番にも来るとのこと。
地元の方は慣れていて平気そうだったけど、私は緊張しました。
今年は送り盆の百万遍にも参加させていただけるとのこと。
本堂に車座になってお経を唱えながら、大きな数珠を順々に回す行事です。
ナンマイダーブツ、ナンマイダー
もう静岡市内には2か所しか残っていない宗教行事です。
約70戸の有東木集落。
盆踊りも後継者不足で存続が心配なんだそうです。
以前保存会の方からいただいたお手紙に、
「いずれは消えていく盆踊りだと覚悟しています。
けれど力の続く限り、これを盛り立て継承していく所存です」
とありました。
胸がつまりました。
一緒に来た小学生の女の子、弟たちは男踊りの輪に入って楽しんでいましたが、
彼女は頑なに拒み、異様なものを見るような顔で盆踊りを見つめていました。
そうですよねえ。
今は、ソーラン踊りとか静岡で言えば港かっぽれが定番で、
老若男女、くノ一もどきの出で立ちやら、新門辰五郎もびっくりというような、
ひと昔前の侠客が着た丹前みたいな長着をゾロッと羽織り、
一糸乱れぬ隊列を組み、早いテンポで踊りまくる。
それにひきかえ、
伝統の盆踊りは伴奏は太鼓だけという素朴さ。
唄い手さんは独特の節で、マイクも使わず朗々と唄い上げる。
けれど、「〽昔、平の清盛さまは~」なんて聞かされても、
平成生まれの彼女にはねえ。
昔はこれこそが流行の先端をいっていた盆踊りだったと思います。
都の風流を取り入れ、時の権力者をおちょくり、何食わぬ顔で踊りまくる。
それが地元独自の風流や文化になっていき、
変化させることなく守り抜いて伝統芸能になった。
伝統を守り後世に伝えていくのか、それとも変化してこそ盆踊りなのか、
それは永遠の問題じゃないのかなあなんて思うんです。
でも夕べの女の子、
どんなカタチであれ、この盆踊りは女の子の脳裏に深く刻まれたはずで、
無意識の中にあっても、
彼女の人生を彩る要素の一つになると私は信じています。
そしてもう一ついえることは、これは単なる盆踊りではないということです。
この地区を知る、当時の日本を知る歴史そのものだということです。
何度でも言います。
「義元や家康だけが歴史の登場人物ではない。
名もなき庶民の歴史にこそ、生の真実が隠されている」
それは力石にもいえることです。
東雲寺境内にて=静岡市葵区有東木

「受け継がれてきたしずおかの民俗文化」
=静岡市無形民俗文化財保存団体連絡協議会=より「有東木の盆踊り」
ご先祖の御霊を乗せた灯ろうを中心に踊ります。
男踊りと女踊りがあり、こちらは女性だけで踊る女踊り。
夕べは集落の若いお母さんたちが総出で、
唄に、太鼓に、踊りにと張り切っておられました。
町の衆の私たちを歓迎してくれて、丁寧に踊りの指導。
休憩には、
冷たいお茶に山盛りのスイカや梨、ブドウ、菓子の振る舞い。
幸せな一晩をすごさせてもらいました。
が、
日頃の運動不足がたたって、足腰ガクガクで帰宅とあいなりました。
余談ですが、
このお寺には平安時代の作といわれる大日如来像があります。
夕べ地元の方がこんなことを…。
「ここでは昔はありがとうのことをおおきにって言ってたんだ」
静岡市中心部から車で1時間。山を越えれば山梨県。
標高約600㍍の山上にポツンと開けた小さな集落です。
盆踊りには扇やなぎなたを持つ踊りもあり、歌詞も優雅。
村人のみなさんも大日如来さまも、
「いったいぜんたい、ここへはハア、どっからきたズラなあ」
とはいうものの、私自身がバテバテです。
暑いですね!
いつもの夏と違いますね。朝から霞。それでいて重苦しい暑さ。
入道雲も雷さまもまだお出ましではないし、変な夏。
で、すっかり出不精になって、花火も自宅のベランダから見ています。
なにしろ昔、徳川家康の居城だった駿府城、
その跡地に建つはるかかなたの県庁から日本平まで見渡せるので、
市内あちこちの花火は居ながらにして見物できます。
菊ではありません。
撮影が下手でこんな感じになっちゃいました。
でも気に入ってます。こんな花火の写真も面白い。

こちらの花火は、胞子になったタンポポもどき。

すっかり引きこもりの私、でもやっと夕べから動き出しました。
恒例の国指定・重要無形民俗文化財の
「有東木(うとうぎ)の盆踊り」が始まったのです。
昨日は練習日でしたが、本番はこんな感じ。


たまに浴衣を替えます。
夕べはテレビ局がきました。本番にも来るとのこと。
地元の方は慣れていて平気そうだったけど、私は緊張しました。
今年は送り盆の百万遍にも参加させていただけるとのこと。
本堂に車座になってお経を唱えながら、大きな数珠を順々に回す行事です。
ナンマイダーブツ、ナンマイダー
もう静岡市内には2か所しか残っていない宗教行事です。
約70戸の有東木集落。
盆踊りも後継者不足で存続が心配なんだそうです。
以前保存会の方からいただいたお手紙に、
「いずれは消えていく盆踊りだと覚悟しています。
けれど力の続く限り、これを盛り立て継承していく所存です」
とありました。
胸がつまりました。
一緒に来た小学生の女の子、弟たちは男踊りの輪に入って楽しんでいましたが、
彼女は頑なに拒み、異様なものを見るような顔で盆踊りを見つめていました。
そうですよねえ。
今は、ソーラン踊りとか静岡で言えば港かっぽれが定番で、
老若男女、くノ一もどきの出で立ちやら、新門辰五郎もびっくりというような、
ひと昔前の侠客が着た丹前みたいな長着をゾロッと羽織り、
一糸乱れぬ隊列を組み、早いテンポで踊りまくる。
それにひきかえ、
伝統の盆踊りは伴奏は太鼓だけという素朴さ。
唄い手さんは独特の節で、マイクも使わず朗々と唄い上げる。
けれど、「〽昔、平の清盛さまは~」なんて聞かされても、
平成生まれの彼女にはねえ。
昔はこれこそが流行の先端をいっていた盆踊りだったと思います。
都の風流を取り入れ、時の権力者をおちょくり、何食わぬ顔で踊りまくる。
それが地元独自の風流や文化になっていき、
変化させることなく守り抜いて伝統芸能になった。
伝統を守り後世に伝えていくのか、それとも変化してこそ盆踊りなのか、
それは永遠の問題じゃないのかなあなんて思うんです。
でも夕べの女の子、
どんなカタチであれ、この盆踊りは女の子の脳裏に深く刻まれたはずで、
無意識の中にあっても、
彼女の人生を彩る要素の一つになると私は信じています。
そしてもう一ついえることは、これは単なる盆踊りではないということです。
この地区を知る、当時の日本を知る歴史そのものだということです。
何度でも言います。
「義元や家康だけが歴史の登場人物ではない。
名もなき庶民の歴史にこそ、生の真実が隠されている」
それは力石にもいえることです。
東雲寺境内にて=静岡市葵区有東木

「受け継がれてきたしずおかの民俗文化」
=静岡市無形民俗文化財保存団体連絡協議会=より「有東木の盆踊り」
ご先祖の御霊を乗せた灯ろうを中心に踊ります。
男踊りと女踊りがあり、こちらは女性だけで踊る女踊り。
夕べは集落の若いお母さんたちが総出で、
唄に、太鼓に、踊りにと張り切っておられました。
町の衆の私たちを歓迎してくれて、丁寧に踊りの指導。
休憩には、
冷たいお茶に山盛りのスイカや梨、ブドウ、菓子の振る舞い。
幸せな一晩をすごさせてもらいました。
が、
日頃の運動不足がたたって、足腰ガクガクで帰宅とあいなりました。
余談ですが、
このお寺には平安時代の作といわれる大日如来像があります。
夕べ地元の方がこんなことを…。
「ここでは昔はありがとうのことをおおきにって言ってたんだ」
静岡市中心部から車で1時間。山を越えれば山梨県。
標高約600㍍の山上にポツンと開けた小さな集落です。
盆踊りには扇やなぎなたを持つ踊りもあり、歌詞も優雅。
村人のみなさんも大日如来さまも、
「いったいぜんたい、ここへはハア、どっからきたズラなあ」
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コメント
No title
名もなき庶民の歴史にこそ、生の真実が隠されている。
おっしゃるとおりだと思います。
為政者の思いに左右されない庶民の思いにこそ真の歴史があるのですね。
拙ブログでも庶民の思いの一片を紹介していきたいと思います。
路傍学会長拝
2015-08-11 18:27 路傍学会長 URL 編集
文化
おっしゃるとおりです。
生活に密着した伝統文化です。時代と共に変わる部分もあれば古いままのものも間に残っていたりしてそれが庶民の伝統文化でしょう。
ワタクシも泉光院を通して庶民の生活を少しでも残しておきたいと思っています。
ちから姫さまの踊る姿、いいですねぇ。ほれぼれしちゃいますよ。
2015-08-11 20:42 ヨリックです URL 編集
No title
コメントありがとうございます。
会長様のブログ「路傍学会」、いつも拝見させていただいています。
都内に庚申塔があんなにたくさん残っていたのも「路傍学会」より知りました。こちらでは、ああいう美しい庚申塔にはなかなかお目にかかれません。
また古い看板というのがいいですね。あれはだれも気が付かなかった分野ではないでしょうか。田舎へ行くと「オリエンタルカレー」の看板が残っていたり、看板もまた時代を物語る、しかもデザインや広告の歴史も知ることができる貴重なものだと思います。
2015-08-12 17:33 雨宮清子(ちから姫) URL 編集
No title
「ほれぼれしちゃう」なんて、褒めすぎです。
とはいうものの、やっぱり嬉しいな!
明後日は本番。
張り切って踊ってまいります。
2015-08-12 17:36 雨宮清子(ちから姫) URL 編集