立派に保存された力石
力石の保存
長年放置されていた力石が、立派に保存された例です。
場所は、静岡県富士宮市内房(うつぶさ)大晦日(おおづもり)です。
深い山のてっぺんに、大きく枝を広げたカヤの木があります。
その木の下は「芝返しの辻の広場」といい、
昔の若者たちのたまり場でした。力石はそこに放置されていました。
そのときの状態がこれです。

それが平成25年、こんな風に保存されました。立派でしょう。

石碑も碑文も素晴らしいです。

これを手掛けた石屋さんが言ってました。
「長いこと石屋をやっていましたが、力石は知りませんでした。
いい勉強をさせてもらいました」
ちなみにこれ、この石屋さんが無償で手掛け奉納したんです。
息切らせ祭りの子らが登りゆく 大カヤの木の力石まで
大晦日と書いて「おおづもり」と読みます。
古い言い方の「おおつごもり」が訛って、「おおづもり」となったわけです。
ここは駿河から甲州への塩の道でした。
そしてここには、鎌倉時代の京都の久我大納言を祀る芭蕉天神宮があります。
その神社の総代さんがこの方です。

大正5年、大正14年生まれのMさんご夫妻です。
今は限界集落となってしまったこの大晦日を、こよなく愛するお二人です。
杖揃え力石背に並びをり 美しきかな翁と媼
場所は、静岡県富士宮市内房(うつぶさ)大晦日(おおづもり)です。
深い山のてっぺんに、大きく枝を広げたカヤの木があります。
その木の下は「芝返しの辻の広場」といい、
昔の若者たちのたまり場でした。力石はそこに放置されていました。
そのときの状態がこれです。

それが平成25年、こんな風に保存されました。立派でしょう。

石碑も碑文も素晴らしいです。

これを手掛けた石屋さんが言ってました。
「長いこと石屋をやっていましたが、力石は知りませんでした。
いい勉強をさせてもらいました」
ちなみにこれ、この石屋さんが無償で手掛け奉納したんです。
息切らせ祭りの子らが登りゆく 大カヤの木の力石まで
大晦日と書いて「おおづもり」と読みます。
古い言い方の「おおつごもり」が訛って、「おおづもり」となったわけです。
ここは駿河から甲州への塩の道でした。
そしてここには、鎌倉時代の京都の久我大納言を祀る芭蕉天神宮があります。
その神社の総代さんがこの方です。

大正5年、大正14年生まれのMさんご夫妻です。
今は限界集落となってしまったこの大晦日を、こよなく愛するお二人です。
杖揃え力石背に並びをり 美しきかな翁と媼
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コメント
No title
暗い雰囲気の山中に眠っていた石を晴れの舞台に登場させた関係者のみなさんの熱意に感激します。キラキラとフットライトを浴びている感じがします。
今後は地区の文化財として認定されると良いですね。否、すでになされたのでしょうか?
石屋さんの心意気にも打たれます。だんだんと衰退して行く地方の町おこしに力石が一役買ってくれることを期待してやみません。行政の目も届く様に関係者の協力をお願いします。
2014-06-19 04:30 s.h. URL 編集
あの節はありがとうございました
せっかく力石を見つけても、それが力石であると証言してくれる人はいなくなっていますから。
これを民俗文化財にして欲しいと少し動きましたが、なかなかです。今やっと、「力石って初めて知った」という段階なので…。
2014-06-19 08:16 雨宮清子(ちから姫) URL 編集