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江戸の火消し

江戸時代の消防組織は三系統あったそうです。
幕府直轄の大名火消し定火消し(じょうびけし)。これと、
町人で組織された町火消し、つまり「いろは四十八組」の三つです。

大名火消しはその名の通り、大名の私設消防隊です。
でも、将軍家の墓所や米蔵などの消防義務も課せられていました。

img646.jpg
有馬藩江戸屋敷の火の見やぐら  「風俗画報」より

大名火消しで有名だったのは、加賀百万石・前田家の「加賀鳶」
江戸火消しの花形といわれ、
その装束の華麗さは、浮世絵師の格好の題材になったようです。

なぜ「鳶」かといいますと、昔の消防は水で消し止めるのではなく、
周囲の建物を鳶が使う鳶口で壊して延焼を食い止めるという
「破壊消防」だったからです。

これがその「鳶口」
img627.jpg

木場で鳶職たちが木材をひっかけて使う道具です。
これで家屋をひっかけて倒し、延焼を防いだんですね。
「川並鳶」と呼ばれていたのは、江戸の木場で働く男たちのことです。
火消しの鳶のことを「臥煙(がえん)といっておりました。

さて、「定火消し(じょうびけし)」です。
これは明暦の大火で危機感を募らせた幕府によって、
機能性を重視して組織された火消しで、旗本にその指揮をとらせ、
江戸城をとりまくように配備されていました。
定火消しの臥煙は、多い時で2000人ほどいたそうです。

定火消し屋敷です。
img644.jpg
定火消し屋敷には四方が開いた火の見やぐらがあり、半鐘と太鼓があった。
「尾張屋版江戸切絵図」より

丸太を枕にして寝ている臥煙たち。
img645.jpg
半鐘が鳴ると不寝番が丸太を叩いて起こした。 「江戸の花」より

さて、ここからはいよいよ「いろは四十八組」の町火消しの登場です。
町火消しは、それまであった店火消し(たなびけし)を発展させたもので、
八代将軍吉宗のとき、南町奉行の大岡越前守が名主たちの協力を得て着手。

隅田川以西の江戸市街を20町ごと一組として47組つくり、
それに「いろは四十七文字」をあてはめました。
火消し人足は、鳶と店人足合わせて1万数千人を数えたというから凄い。

ここでちょっと寄り道。
「いろは」にちなみ、泉岳寺の「いろは石」をお見せします。
いろは泉岳寺
東京都港区高輪・泉岳寺・妙海尼の墓所。 撮影/S氏

泉岳寺は、
主君の仇を討った大石内蔵助を始め、赤穂浪士四十七士が眠るお寺です。
この石には「いろは かな可き」(いろは仮名書き)と刻字があります。
「いろは四十七文字」を「四十七士」になぞらえて刻まれたものと思われます。
そしてもう一つ、いろは文字には隠された暗号があって、
それが「とかなくてしす」(咎なくて死す)と読めるところから、
罪もなく死んでいった義士たちを暗示しているとも言われています。

残念ながら、これが力石だったかどうかは不明です。
みなさんも泉岳寺へ行かれたら、ぜひ見てくださいね。

で、元へ戻って、町火消しの「いろは」についてです。
この「いろは四十七組」はのちに、
「へ」は「屁」、「ひ」は「火」、「ら」は「摩羅」に通じるとして嫌われ、
代わりに「百」「千」「万」とし、
それに語呂の悪い「ん」を「本」にして加え、四十八組となりました。

img649.jpg

前回ご紹介した力石に、「百組」と刻字されていたのは、
この「町火消し百組」のことだったのです。
百組の地域は、南茅場町、本八丁堀、亀嶋町などで、火消し人足は141人
力石に刻まれた「長吉」「平蔵」は、
この「町火消し百組」に所属していたことになります。

CIMG1034.jpg CIMG1036~1
神奈川県川崎市・平間寺(川崎大師)にある「江戸消防記念碑」

これは、石工の酒井八右衛門が、
「いろは四十八組」の名を永久に伝えるため、明治21年に起工。
いろは歌弘法大師作と伝えられているところから、
大師ゆかりのこの寺に建立したのだそうです。
火消しの組や人名を刻んだ石の壁が、記念碑をグルリと囲んでいる様は見事で、
一見の価値があります。

この平間寺(川崎大師)には、立派な力石がたくさん保存されています。
またの機会にご紹介します。



<つづく>


※参考文献・画像提供/「江戸の火事と火消」山本純美 河出書房新社
               1993 「風俗画報」明治31年12月
               /「江戸の火事」黒木喬 同成社 1999 
                「江戸の花」上編 東陽堂 1898
               /「大江戸今昔マップ」かみゆ歴史編集部 新人物往来社
                2011 「尾張屋版江戸切絵図」
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江戸時代

いつもいつも楽しく読ませて頂いております。

江戸時代はいい時代のようでしたね。杉浦日向子さんも江戸時代に生きている様な顔をして、お酒を呑んで隠居してサッサと死んでしまったけれども、ワタクシは泉光院と一緒にウロウロしながらまだ生きながらえております。
ワタクシの生きております間、少しばかり柔らかい石の話など読ませて下さいね。

No title

ヨリック様
いつもコメントありがとうございます。
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兄と姉が相次いで旅立ちまして、いよいよ私もそういう範疇に入ってきたんだなあなんて思っています。老いを生きるって難しいですが、そういうことをしばし忘れられるのがブログです。調べものをしたり、仲間と情報交換したり…。

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雨宮清子(ちから姫)

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昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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