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「百組」って何?

前回のつづきの資料が間に合わず、時ばかりが過ぎてゆく。トホホ。
で、そちらは揃い次第ご披露するとして、
今回は力石に刻まれた不思議な文字のお話です。

今までにもたびたびお見せした「石観音堂」の力石です。
CIMG1024 (2)
76×51×24㎝   =神奈川県川崎市川崎区観音

石の中央に大きく「五拾八貫余」と彫られたこの石に、
謎の文字「百組」が刻まれています。
 
八町堀亀嶋平蔵 本八町堀一町目 権平 五拾八貫余 長五郎
 百組 長吉 大嶋村直吉 伊之助

お馴染みの石の平蔵の名も見えます。

もう一つご紹介します。
DSCF0233.jpg
50余×34×2㎝   =東京都練馬区高野台・長命寺 撮影/S氏

車ト石 六十五貫目 百組□ 持之 奉納寛政三年 八町堀亀嶋平蔵

これは埼玉在住のS氏が、2009年に発見した力石です。
こちらにも平蔵の名が…。このとき平蔵、35歳。

S氏によると、「百組」と刻字された力石は、現在この2個しかないそうです。

では、この「百組」とはなんなんだということですが、
これは、
江戸で組織された「町火消し四十八組」のうちの一つなんですね。
まずは江戸の火消しの世界を、ちょこっと覗いてみたいと思います。

img628.jpg
町火消しの行列             「風俗画報」より

「火事と喧嘩は江戸の華」なんてことがいわれてきました。
災害を江戸の華だなんて粋がっている場合かよ、と思いますが、
それだけ火事も喧嘩も多くて、江戸の名物になっていたということのようです。

なにしろ江戸後期には、人口120万人という世界最大の過密都市だった江戸。
一旦火を出すと、関東平野を吹きまくるからっ風にあおられて、
あっという間に大火になった。

このお江戸では、
江戸時代の267年間に大小合わせて1798件もの火事があったという。
中でも二日間にわたり燃え続けた「明暦の大火」=明暦3年(1657)=では、
死者10万人以上、江戸城から大名屋敷、町屋まで江戸の大半を焼き尽くすという
壊滅的被害をもたらしました。

これをきっかけに、幕府では防災都市づくりに着手、
消防制度の整備を本格化したといわれています。

img647.jpg img648.jpg
町火消し「ろ組」の革羽織  こちらは武家用の火事羽織 「守貞漫稿」より

江戸っ子の気風として、前述の「火事と喧嘩は江戸の華」のほかに、
「宵越しの銭は持たない」という言葉があります。

これはあまりにも火災が多いので、銭を貯めてもどうせ焼けてしまう。
そんならいっそ、その日の稼ぎはその日のうちに使ってしまったほうがよい、
そんな潔さと負け惜しみの気風を現わしているんだそうです。
だからこんな川柳も生まれたんですね。

  江戸者の生まれそこない金を溜め

まあ、使おうが貯めようが自分が稼いだ銭金ですからね。
貧困に喘ぐ庶民から吸い上げた銭を他国へ貢ぐクンよりよっぽどマシ。

てやんでえ、
人のフンドシで相撲をとるこんな輩、悪臭紛々で、
江戸っ子の風上はおろか風下にだって置かれねえやい!

と、江戸っ子が申しております。



<つづく>


※画像提供/「風俗画報」明治31年12月
        /「近世風俗事典」人物往来社 昭和42年 
         原書は喜多川守貞の「守貞漫稿」
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プロフィール

雨宮清子(ちから姫)

Author:雨宮清子(ちから姫)
昔の若者たちのスポーツ「石上げ」に使われた「力石(ちからいし)」の歴史・民俗を調査研究しています。力石のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。

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