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清見神社は夏草の中

力石
04 /21 2015
「夜半のねざめに鐘の音ひゞきぬ。
おもへばわれは清見寺のふもとにさすらへる身ぞ。ゆかしの鐘の音や」

これは明治の文学評論家・高山樗牛「清見寺の鐘声」の一節です。

これがその清見寺(せいけんじ)の鐘楼です。
CIMG1908.jpg
 =静岡市清水区興津清見寺町

清見寺(清見興国禅寺)の歴史は古く、七世紀後半の天武朝のころ、
東北の蝦夷に備えて関を設け、そこに鎮護の仏堂を建てたのが始まりという。
時の権力者の庇護を受け、江戸時代には朝鮮通信使の宿舎にもなりました。

清見寺の五百羅漢です。
img621.jpg

ところがここには意外な一面が…。

「余はここに黙して過ぐる能はざる一事を見たり」
ドイツ生まれの博物学者ケンペルは、元禄6年(1691)、江戸へ向かう途中、
興津・清見寺門前で10歳から12歳の男の子が化粧して座っているのを見ます。
これは表向きは膏薬を売り、実は旅人に買われる子供たちだったのです。

西鶴も言っています。
「興津と僧侶と男色とは、古きころよりの由緒あることなり」
知らなかった! 学校ではそんなことひと言だって教えなかった。
「海道記」の著者は、
「ここは清見の名の通り、濁る心も澄むほど清らかな所だ」と称賛していたし。

この男色を日本に移入したのはあの弘法大師・空海さんなんだそうで…。
仏教では女を不浄なものとしたから、代わりに美少年を性の処理に使ったとか。
時宗の開祖・一遍上人も世捨て人の鴨長明も一休さんもわび・さびの芭蕉さんも、
みーんな稚児を相手の暮らしをしていたとは!
ああ、「弘法も筆のあやまり」の本当の意味?を、私は知ってしまった!

話が妙な方向へ飛んでしまいました。あまり根ほり葉ほり書くと嫌われます。
軌道修正して、

清見(きよみ)神社です。
CIMG0208.jpg
清見寺の近くにあります。前方に興津埠頭が見えます。
同じ「清見」でも寺は「せいけん」、こちらは「きよみ」と読みます。

金文字で「力石」と刻みたり 
        清見神社は夏草の中
  雨宮清子
                                
これが清見神社の力石です。
CIMG0162.jpg
奉納年も奉納者名もありません。地元の方に聞いても「さあ?」

この神社へ行くには、背後の林道から下る道と町中から登る道があります。
清見寺は明治時代の東海道線開通で境内が分断されていますが、ここも同じ。
しかし清見寺には陸橋がありますが、町中からこの神社へ行く道は、
警報機のない踏切を渡らなければなりません。これはかなり緊張を強いられます。
肝を冷やしつつ渡った先に、今度は延々とつづく急な石段が待っています。

百八十五段を登りつめ力石に会いにゆく
          振り向けば興津の海、満々
 
 雨宮清子
                                       
冒頭の高山樗牛は、興津で病身を養いますが31歳でこの世を去ります。
墓は遺言により同じ清水区の龍華寺にあります。

さて、明治・大正のころの興津は、
その風光明媚なことから政治家や文学者に愛されてきました。
中でも有名なのは、
明治の元勲・西園寺公望の別荘「坐漁荘(ざぎょそう)です。

17歳の西園寺公望」です。
CIMG1902.jpg

坐漁荘の名は、
坐して釣り糸をたれる中国・周の軍師、呂尚(太公望)の故事からとったとか。

坐漁荘で思い出すのは、お会いした当時80歳だった小池次男さんのこと。
小池さんは第二次大戦に突入したころ、
選ばれて坐漁荘に赴任した警備警察官でした。

坐漁荘の前に並んだ昭和14年当時の警備警察官。
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後列右端が小池さん。  写真提供/小池次男氏

新聞の連載記事の取材のため、
静岡県西部にあるご自宅をお訪ねした私を、ご夫妻共々迎えてくれたあと、
開口一番、小池さんはこうおっしゃった。
「こんな年寄のむかし話、本当に役にたつのでしょうか」
私は即座に返した。
「私がお聞きしたかったのは、そのお話なんです」

小池さんのその控えめで謙虚な姿勢に胸を熱くしたあの日のことを、
私は、20年たった今も忘れることはありません。

小池さんは生き生きと語りました。
「緊張の連続だった警備の非番の日に見た女優・楠トシエの舞台。
休暇で帰ったときお見合いして結婚した話
夫人のゆき枝さんも当時を振り返りながら話に加わりました。
39円50銭の安月給でね。生活は苦しくてねえ」

文献に記されたことだけが歴史ではない。
むしろ市井の人の口を通して語られる「埋もれたままの話」
そうした生の、リアルな個人史にこそ得難い真の歴史がある、
そういうスタンスでずっと私は記事を書いてきました。

力石の探索・研究もまた、この延長線上にあるつもりです。

先日、偶然にもかつて取材させていただいた方にお会いしました。
こちらも20年ぶりです。
その日のうちに私のこのブログを読んで下さり、早速メールをいただきました。

「発信力は健在ですね!」

嬉しい再会と最高の褒め言葉。つくづく思いました。

良かったな、自分の信念を貫いてきて。
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コメント

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清見寺

こんにちは、お久しぶりで~す。
清見寺へは何度か行って五百羅漢様にお目にかかったのでしたが、清見神社は知りませんでした。

桜エビを食べに行ったときにでも力石を拝見に行きましょう。

さやこさま とおっしゃるのでしょうか。
これからもどうぞよろしく。

お久しぶりです

ヨリック様
コメントありがとうございます。

昨秋から原因不明の自己免疫疾患で、痒さやつらさで発狂寸前でした。先月からきつい薬の治療が始まりましたが、この治療がうまくいきつつあり、ホッとしているところです。ですが、新年度の自治会役員にくじ引きでなってしまい、今月は目の回る忙しさ。免疫力低下の身にはチトきついのですが仕方がありません。
のんびり旅に出たいで~す。

竿中の寝言 に付いて

ちから姫 様 しばらく蕎麦バカ日誌お休み中です、昨日研修旅行の車中コメントを見つけ「力石に」コメントさせて頂きました。
現在竿忠四代目は現役です、お互い生涯現役を合言葉に励まし合ってます。ご連絡頂ければ本人に確認の上連絡させて頂きます。 大王石はもう見つかった後でしたらゴメンなさい

No title

橋本くにお様
ご連絡ありがとうございました。
本当に嬉しいです。
メールにて詳細をお伝えしました。
よろしくお願いいたします。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞