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アーティストさんからの手紙⑪

私が出会ったアーティストたち
04 /03 2024
柿下木冠(かきした ぼっかん) 現代書家

静岡県榛原郡中川根町(現・本川根町)生まれ

昨年、「喪中」の報せをいただいて呆然としてしまいました。
10月に柿下先生、亡くなられてしまって…。
元気いっぱいだったし、
先生にはそういうことは起こらないなんて思い込んでいましたから。


初めてお会いしたのは2000年6月
その時の記事がこれです。


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この時60歳。
すでに毎日書道会、独立書人団などの要職にある書道界の重鎮で、
作品はシカゴ美術館やジョスリン美術館など国内外に収蔵。
のちにオマハ市名誉市民にもなった。


新聞掲載に対してのお礼の手紙です。
img20240320_11381512.jpgkaki

「木冠」の号は師の手島右卿氏(昭和の三筆)が命名。

「木」はすべて(喬木、灌木)の総称であり、
墨痕が木に三分ほど染みこんだほど筆力があったという中国の書家、
王義之の故事「入木道」
(じゅぼくどう。書道の異称)の木でもあること。
そして昭和初期の政治家・犬養毅の号「木堂」の木をも指す。
この三つがからまって生まれたのが「木冠」だという。

「重い名前です」と柿下さん。


柿下氏は大井川上流左岸の、そのまた支流・河内川の一番奥の、
戸数わずか5軒という山村に生まれた。
家は代々林業で、御父上は確固たる哲学を持った立派な林業家でした。

「蛇口をひねれば出る水も水源に木を植え育てる者がいればこそです。
都会のみなさんにはぜひこのことをご理解いただきたいものです。
山村に人がいなくなることは、水道の管理者がいなくなることです。
ぜひ、川の下流に立って上流のことに思いを馳せてください」

1993年、若き林業家をお訪ねした時、山から下りてきたご老人がいた。
それが柿下氏の父・柿下萬寿雄氏だった。このとき85歳
御子息の柿下氏を知る7年前に、私は御父上と会っていたことになります。

※私事で恐縮ですが写真の私、痩せていて自分でもびっくり。このとき50歳。
 長かった夫からのハラスメントが終わりに近づいた頃。苦労しましたです。

柿下氏の取材からほどなく、萬寿雄氏は跡取りのご長男を亡くされて…。
木冠先生宅へお花をお送りしたら、悲痛な声で「ありがとう」と何度も…。
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号の由来をお聞きしたとき、思ったんです。

三つの「木」からなる「木冠」の要素の一つである
「木はすべて
(喬木・灌木)の総称」の「木」には、
ご自身が育ち、御父上が心血を注いで守った山の命だけではなく、
この父の崇高で強靭な精神をも色濃く込められている、と。


下のURL、ぜひお読みください。私が「心血を注いで書いた」記事です。
ちょっとオーバーですみません。

「書・柿下木冠①」

「書・柿下木冠②」

どんなに高名になろうとも柿下先生は全く変わらずの自然体。
私が新聞社を辞めたあとも展覧会のお知らせや賀状をくださった。

書も習ったこともない、ただ取材でお世話になっただけの私にも、
丁寧に対応してくださった。


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展覧会の挨拶状の中に私の記事のコピーを同封して、
みなさんに送ってくださったり…。


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招待券もたくさん頂戴しました。
今度久しぶりに箱を開けたら、使わなかった招待券が出てきました。


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賀状も毎年。

右が取材の翌年の賀状
(巳)、左が最後になった2023年の賀状(卯)
かならず一筆添えてくださるんです。

最後の賀状となった2023年には、
「益々お元気でお過ごしください」と書いてきて、その10か月後に急逝。

最後にお目にかかったのは2020年の「磊展ー悪ガキ三人展」で、
書の柿下氏、彫刻の杉村孝氏、染めの鈴木健司氏の競演でした。

久しぶりにお会いしたら、おーっという顔で開口一番、
「ずいぶん逞しくなった
(太った)なぁ。えへへ」だった。
私もえへへと笑いながら、内心、こう思っていました。

「先生もすっかりジイサンになっちゃって。お互いさま!」


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いろんな要職に就かれていて国内外の知己も半端な数ではない。
お弟子さんもたくさんいらっしゃる。

今年2月の「お別れの会」には全国から250名もの方々が参列したという。

私などの出る幕はないと思いつつもささやかでも恩返しをと思い、
春彼岸の少し前に花屋さんに依頼して生花をお送りした。

菊

で、私はここで失敗をやらかした。

普通郵便は市内でも配達は二日後、土曜日は配達なしということを知らずに、
お悔やみとお花をお届けする旨の手紙を出したら、
生花が先に着いてしまったのです。

ご遺族は弟子でもない見ず知らずの「女性」から、
突然、生花が届いて驚かれたのでしょう。先生の娘さんから電話が来た。

「父とはどういうご関係でしょうか」

そう言われて私はなぜか、しどろもどろに…。

24年前の取材で初めてお会いしたことや「三人展」が最後になったこと、
そして私の勘違いで手紙がお花より遅れて着くことなどを話し、
やれやれ理解していただけたと安堵したのもつかの間、
最後に大失態。

つい言ってしまったんです。

「では、柿下先生によろしくお伝えください」って。

「ああーっ、す、すみません。よろしくだなんて…」と慌てふためいたら、
娘さん、笑いながら応えてくださった。

「はい、父に伝えます」


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞