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いつの間にか「傘寿」㊶

いつの間にか傘寿3
02 /21 2024
あれは出産のため実家へ来てから3、4日目ごろのことだった。
夜、帰宅したW子姉が突然、台所に入ってきた。

この家に来たあの日以来、私の前に全く姿を見せなかった姉が、
手に食品トレーを持ったまま入ってくると、
「タロウちゃんにいいもの買ってきたよ」と、息子の名を呼んだ。

次の瞬間、異常事態が起きた。


姉はトレーのラップを引きちぎると中の物を手で掴み、
呼ばれて姉の前に立っていた息子の口にねじ込んだのだ。

息子の口から黄色い液体が滴っているのを見て、
私は咄嗟に抱きかかえ指を入れて吐き出させた。

黄色い液体と一緒に口から出てきたのは豚か何かの臓物だった。


「これは焼かなければ食べられないものじゃないの!」と怒りで震える私に、
姉はヘラヘラ笑いながら、
「そんなに神経質だと子供は育たないよ」と言い放ち、
フンと横を向いて部屋を出て行った。

そのすきに、母が黙ってトレーごとゴミ箱に捨てるのがチラッと見えた。


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暗澹とした。狂っているとしか思えなかった。
しかし本当の恐怖は翌日起きた。

朝、息子がいなくなっているのに気づいて母に聞くと、
「W子が遊びに連れて行った」と言う。

夕べあんなことがあったのに、なぜ止めてくれなかったのかと責めたら、
私に背を向けたまま、「あんたものんびりできるからいいじゃない」と言う。


胸騒ぎがして食事どころではない。
ひたすら息子の帰りを待ったが、昼が過ぎても夕飯時にも二人は帰らない。
とうとう夜になった。

隣町にもその先の町にも動物園はおろか遊園地も水族館もない。
そんな場所でまだ5歳にもならない幼子を10数時間も連れまわすなんて、
一体どこで何をしているのかと、不安と怒りが全身を駆け巡った。

玄関の戸がガラガラと音を立てたのは、時計が9時をまわったころだった。
私は身重なことも忘れて玄関へ走った。
そこで姉の腕の中でぐったりしている息子を見た。

脱水症状を起こしているのが一目でわかった。
その息子を夢中で姉の腕から奪い取ると、
大声で「タロウ」と呼び掛けたらうっすら目を開けて、
「おかあさん」とかすれた声を出した。


「水」というので、母が急いでコップを差し出すと、
咳込みながらガブガブ飲んだ。母がご飯を目の前に置いたら、
朦朧としながら茶碗に手を突っ込んだ。

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背後から見ていた姉が、なんか文句ある?とでもいうように言った。

「朝出がけにお腹が痛いというから、水一滴も飲ませなかったからね。
お腹に悪いと思ったから、食べ物も食べさせてないからね」


母が「あんたはどうしてたの? おなかがすいただろうに」と聞いたら、
姉はあっけらかんと返した。
「私は食べたさァ。この子の目の前で食べてやった」

「今までどこにいたんだい」とまた母が聞いたら、
「鈴川の海岸」と言い、アッハッハーと笑いながら部屋を出て行った。


「鈴川の海岸!」 恐怖が全身を突き抜けた。
電車を乗り継がなければ行けないあんな遠い海まで、なんのために。

このままでは殺される、本気でそう思った。
息子を抱きかかえたまま電話機に飛びつくと夫に電話を掛けた。

「すぐタロウを迎えに来て!」
Sは私の切迫した声によほどのことが起きたと察したのか、
ただ一言「わかった」と言って電話を切った。

その夜は息子を抱いて寝た。

人家も街灯もない、ただ浸食された砂浜と荒い波が打ち寄せるだけの
あの鈴川の海岸で、姉は何をしようとしたのか。
この子を海に放り込もうとしたのか、
海岸に置き去りにして迷子を装うつもりだったのか。

冷たい風の吹く真っ暗な海岸に連れていかれて、どんなに怖かったことか。
よくぞ無事に帰って来てくれたと息子の背中を何度も撫でた。


7、8年前母から、姉が不妊治療を受けたがダメだったと聞いたことがあった。
私と息子がここへ来た日、母は仁王立ちしたまま、
「子供を産みたくても産めない姉さんがいるのによくも来れたね」と怒鳴った。
あれは姉の本心で、「こんなところへ来たらとんでもないことになるよ」
という母からの警告だったのか。


私は底知れぬ恐怖を覚えた。

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母は自叙伝に「W子は何事にも徹底的に納得のいくまでやる努力家で、
成績も抜群。皆の先頭を務める」と姉をベタ褒めし、さらに、

「小学2年生のW子が先生は高子さんをえこひいきすると訴えたので、
抗議に行って先生を屈服させた。先生はW子が何でもできるので
意地悪をしたようです」と臆面もなく書いている。


その無敵のW子姉が「子供を産む」ことだけは、妹に「負けた」。
母に罵られ殴られるしかなかったダメな妹のこの私に。

きっと姉はこう思ったに違いない。

かつて母がこの妹を虐待しているのを周囲に知られないよう、
「この子は空想好きで物語を作るのが得意な子だから、
この子の言うことは信じないで」と吹聴してうまくいったのに、
その間抜けな妹がこともあろうに、この自分を出し抜いて母親になった。


なんでも一番で、つねにみんなの先頭にいて、
母からW子に不可能はないとのお墨付きをもらってきた自分にとって、
これほどの屈辱はない、と。

その屈辱は嫉妬となり嫉妬は形になって、
抵抗できない幼い息子がターゲットにされてしまったのだ。

翌日、Sが息子を迎えに来た。母は店に引っ込んだまま出てこなかった。

その日以来、姉はまた私に姿を見せなくなった。
姉の部屋とはふすま一つだけの隣り同士だから気配はあった。
だが物音一つしなかった。


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東京へ戻った息子は父親ともどもSの実家で暮らし始めたが、
来て早々喘息の発作を起こしたと、電話で伝えてきた。
目まぐるしい環境の変化とこちらでの恐怖で疲れ果てていたところへ、
義兄も義姉もSもヘビースモーカーだから、ひとたまりもなかったのだろう。


「ゼーゼーしてばかりいるのでこんなに弱い子じゃあと思って、
鍛えようと走らせたら呼吸困難になって病院へ担ぎこんだ。
医者からひどい状態だと言われてしまった。タロウは喘息持ちだったの?」
と、Sが聞いてきた。


子供と遊ぶことはほとんどなく、
喘息発作で苦しむ息子のそばで、平然とタバコをふかす父親だものね。
そう思いつつ、
「よろしくお願いします」とだけ伝えた。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞