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いつの間にか「傘寿」㊵

いつの間にか傘寿2
02 /18 2024
私的な暗部を人さまに見せる、
恥ずかしいことなのか、不快感を与えるだけなのかは正直、わからない。
ただ書きたいという衝動は消しようもなく、
ひとつ書くごとにそれが自分自身の浄化に繋がる、そんな気がした。

80歳になったとき、やけに過去が甦ってきた。
その過去の映像を記憶の引き出しからひとつひとつ引き出してみたら、
意外にも冷静に見ることができた。

まるで他人事みたいに。


私は終戦の2年前に生まれた。
子供の頃の楽しみはラジオだった。

♪ お父さんは青い空 いつもそっと見てるよ きっと
  お母さんは白い雲 いつもそっとささやく きっと
  ワンココロわんわん コーロコロ 
  ワンコロわんわんコーロコロ わん わん わん


これはみなしごになった子犬の「コロ物語」。

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コロは一人になってもたくましく生きた。
ラジオから流れる声優の声を聞いているだけで、
目の前にそのシーンが連続して見えて、私はコロのために泣いた。

「少年探偵団」も楽しみだった。
テーマソングの「♪ ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団」が聞こえてくると、
ラジオにかじりついた。


「浪曲天狗道場」では浪花節を覚えた。真似て唸ると爽快だった。

NHK紅白歌合戦はもちろんラジオで聞いた。
大晦日、父と母の餅つきを見ながら、みんなで聞いた。

こうして記憶の奥から過去の映像を引き出して見ていると、
次から次へ思い出が溢れてきた。


観客席には私一人がいて、
遠い日の風景の中で父や母や姉や兄たちが、
サイレント映画みたいに動いていた。
不思議なことに映像には私自身はいなかった。


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つらいことなんかなかったではないか、そんな気持ちになった。
そして見終わって映像を閉じたとき、
自分がすっかり浄化されているのに気が付いた。

近所の農家のおばさんから「あんたはシンデレラみたいな子だね」と
言われた日もあった。「あんたのお母さんは姉さんたちばかり可愛がって」


私は母からの仕打ちより、
自分が置かれた現実を周囲に知られていることの方が恥ずかしくて、
「そんなことはない。私のお母さんは素晴らしい人なんだ」
と自分にいい聞かせてきた。

それでも私の背負っていたものは隠しきれなかったのだろう、
「寂しそう」「暗い」と言われ、M編集長からは「尖がっている」と言われた。


後年、お世話になった新聞社では「元気印」と言われていたが、
支局長だけは心配そうに忠告してくれた。

「そんなに周りに遠慮するな。
あなたは人に気を遣い過ぎる。もっと自分を大事にしたほうがいいよ」


フリーの記者だったから超がつくほどの安い稿料だったが、
やりがいはお金では買えないものだった。
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母の虐待から逃れるために夕食を作ったら、虐待は止んだ。
そのとき私は「人に優しくすればその恩恵は自分に返ってくる」と思った。

だがそれは結果的に間違っていた。
そうした行為は場所や時代や人が変わっても、
さらにいじめを受けやすくするといういびつな人間関係を作った。

私はそれを人に媚びへつらう卑屈な態度と認識しないまま、
「気を遣い過ぎる」大人になった。そのことを支局長は見抜いたのだ。


息子からも言われた。
「お母さんはなぜそんなに周りに遠慮ばかりしているんだ。
おかげでぼくらまでつらい思いをしているじゃないか」と。


そういえば夫のSも言っていた。
「お前が優しすぎたから俺がダメになった」

身勝手な責任転嫁だが、一理あるなとも思った。


人に気を遣い過ぎることはさらなるいじめを誘発してしまう、
そのことに気付いたのはずっとあとになってからのことだ。
だが、気づいても修正できなかった。

間抜けな人生だなあとつくづく思ったが、努力はした。

二男の出産の折、母から「妊婦は汚いから風呂は最後に入れ」と言われた。
浴室にはシャワーがなく、入浴は数日おきで以前の風呂の追い焚き。
そのどろんとした湯に耐えかねて、妻が妊娠中だった次兄に助けを求めた。

兄はピーナッツか何かをボリボリ食べながら、
電話の向こうでけだるそうに言った。
「ふーん。うちでは一番先にいれるけどね」


あの食糧難の時代、母はこの兄だけに玉子掛けご飯を食べさせた。
「私も食べたい」と言ったら、「兄ちゃんは今、成長期だから」と。
たった3つしか違わない兄は私の目の前で、
勝ち誇ったようにそれをかっ込んでいたではないか。
その兄に助けを求めるなんて、バカだなと思った。


出産から間もなくして実家から逃げ帰ってきた。
二男にミルクをやりながら、戦時下、母乳が出ず玄米を粉にして私に与え、
苦労して育ててくれた母を複雑な気持ちで思いつつ。
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努力しても虚しさだけが返ってくるということをこのとき知ったが、
それでも私はあきらめなかった。

つらいことから目を逸らすと見えてくるものがある。それを信じた。
そちらから助けに寄ってくることはなかったけれど、
確かに別の世界があると思った。それも複数。


そのとき思った。
「なあんだ。苦境からほんのちょっと体をずらせばよかったんだ」と。

苦境に落ちたまま潰れるか、叩かれても這い上がるか、
今風に言えばサバイバーになれるかなれないかは、
被虐待者が「助けてくれる人」や「場所」に気づくかどうか、
そして自ら行動に移せるかどうかということだと私は思う。


「愛着崩壊」岡田尊司 KADOKAWA 平成24年という本に、
こんな一文があった。


「子供のときどんな体験をしたかということよりも、
その体験をどう受け止め振り返ることができるかが重要」

「安定型の人では逆境的な体験であっても、
それと折り合いをつけ、前向きに振り返ることができる」
「それはポジティブの意味のもとに自己考察する能力と関係する」


そして著者はこう付け加える。
「親以外の人が安全基地となってくれる場合があるかどうかが重要」と。

私はそれを10歳の時、自分で見つけた。
それが適切でなかったにしても、とにかく切り抜けた。


ただ「やる」「やられる」の関係は、
「やる」ほうに反省や懺悔がない限り解消できないことを、
二男の出産のとき、身をもって知った。


「弟が生まれたよ」。長男、このとき4歳8か月、次男生後1か月。
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実家の母から「家で産んだらどうか」と言われたとき、私は28歳だった。

そのころ実家には教師のW子という7歳上の姉がいた。
離婚して実家に出戻っていた。


このときW子から受けた仕打ちは、
44歳の時夫・Sから受けた仕打ちに匹敵するほどひどいものだった。
どちらも命に係るものだったから、
この二つだけは「記憶の映像」を、ずっと見ることができないままだった。 

家族と縁を切ってはいけないと思い込んでいた私だったが、
自分が還暦を迎えた時、「もう終わりにします」と母に伝えた。
もう充分子としての務めは果たした、これからは自分のために生きるんだと。


それから10数年後の母の死後、「力石」の情報を得て故郷を訪ねた時、
初対面の情報提供者から突然「実家」の話を突き付けられた。

「あなたは〇〇さんの家の人ではないですか?」

即座に否定したら、不審げな顔で「絶対そうですよ。似てますもん」と言い、
「お姉さんはあんなに立派な方なのに」と非難するような口ぶりになった。

その数年前にも同様のことがあった。まだ母が生存中のときで、
この町に用事で立ち寄った際、見知らぬ女性から声を掛けられた。
女性は険しい顔で言った。
「あんた、あそこの家の人でしょ。お母さんどうしてる?
姉さん一人に押し付けていい御身分ね」


JR東静岡駅から見た富士山。左側に新幹線、右側を在来線が走っている。
東静岡駅

母は百歳で死んだ。W子姉は半世紀をこの母と過ごした。
その孝行ぶりは小さな町だから、隅々にまで評判になっていたのだろう。
「苦労を姉さん一人に押し付けて」という言葉を付して。


かつてW子姉は親戚の伯父や伯母がくると、幼い私を指してこう言った。

「この子は空想好きで物語を作るのが得意ですから、
この子の言うことは信じないでください」
「この子は心がいじけた、ひねくれた子ですから」

そしてこの言葉は実家と縁を切ったあとまで、形を変え吹聴された。
一人で老母を介護している感心な元・教師の言葉を、
誰もウソとは思わないだろう。


「二人は共依存母娘ですから」などと、反論するつもりはさらさらない。
「立派な方」に見えていたのなら、それはそれでいいではないか。

だってあの恐怖は私以外知る人はいないのだから。
だから話しても理解されないだろうとずっと封印してきた。

だが傘寿を迎えて思い直した。


あのときの映像を今一度、巻き戻して見よう、そう思った。
自分のために。浄化して禍根を残さないために。

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞