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いつの間にか「傘寿」⑰

いつの間にか傘寿
11 /07 2023
女子寮には女舎監がいた。

中年の痩せた女性で、目だけが異様に大きく飛び出ていた。
寮生の間で「あの人、バセドー病だって」と囁かれていた。

異様なことは目だけではなかった。奇行もあった。
風貌も歩くさまもカギ鼻の魔法使いのばあさんそのものだった。

無口でいじわるだったから、評判はすこぶる悪かった。


母が私の病気を心配して寮に電話した時、
「本人を呼びに行ってきますから、お待ちを」と言ったきり、
30分立っても音沙汰ナシだったのも、

次兄が手紙で待ち合わせを知らせてきたのに、
その手紙が届いていなかったのも、みんなこの女舎監のせいだった。


「アメリカから友人がくるから着物で来てくれないか」との次兄の頼みで、
次姉から借りた着物で急きょ、出かけた。アメリカ男性は話しかけてきたが、
私にはさっぱり。蝋人形みたいに固まっていた。
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当時の通信手段は手紙か寮に一台しかない電話のみ。
その両方を管理監督していたのがこの人で、
彼女の気の向くまま運営されていたから、全く機能していなかったのだ。


先輩たちはため息交じりにこう言っていた。

「あの人、手紙を勝手に開けて読むのよ。
差出人が男性名だったらそのまま捨ててしまうし、
父親でも兄でも男なら玄関から追い出すし、電話は即切ってしまう。
抗議すると、決まり文句みたいに言うのよ。
大切なお嬢さんたちをお預かりしている身ですからって」


寮には門限があった。
女舎監は建物の影でよく見張っていたが、悪知恵は寮生の方が上だった。

事前に示し合わせていた友人の手引きで、
門限破りは窓から入り込んで、舎監をあざむいた。


従兄弟とボートに乗って。
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しかし、この女舎監がやっていることは、あまりにもひどい。
まるで中世のカトリックの学生寮そのものではないか。

ことに手紙を勝手に開けるなど言語道断だと有志が集まり、
大学側に抗議した。
ついでに寮生自身による自治組織を認めて欲しいと嘆願したが、
これは却下された。

そのうち、寮生の間で変な噂が流れた。

「このごろ、トイレに幽霊が出る」「毎晩出る」

真相究明のため、自警団を組んで真夜中のトイレに行ってみたら、
裸電球のぼんやりした光の下に、噂通りの大きな黒い影が立っていた。

「幽霊」は女舎監だった。


この事件後、彼女は姿を見せなくなった。

おかしな舎監にお粗末な食事の寮だったが、寮生活は楽しかった。
なによりも、
日本全国からやってきた学生たちとの共同生活は魅力的だった。
私はそれぞれのお国の話に、世界が広がったように思った。


寮生たちと。
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熊本出身の先輩から教わった俗謡は、今も口を突いて出る。

♪ よんでらるーば でてくるばってん
  よんでられんけん こうられんけん
  こんこられんけん こられられんけん
  こーんこん


ところが今回、ネットで調べたら、私の記憶違いがわかって驚いた。

私は先輩から、
「よんでらるーば」「よんでられんけん」と教わったはずだったが、
正しくは「でんでらりゅうば」「でんでられんけん」で、
「こうられんけん」も「でてこんけん」だった。


また先輩は熊本出身だったから、てっきり熊本の歌だと思い込んでいたが、
今回、初めて長崎の歌だと知りました。
なんと私は、60年も勘違いしていたんです。


先輩は両手を器用に動かしながら、これを歌ってくれた。
   
戦後、初めての東京オリンピックをまじかに控えた時代だった。
新しい息吹に満ち満ちていた。

全国から集まった少女たちは、みんな素朴で明るく優しかった。


みんな前を向いて、キラキラ生きていた。
つくづく思った。


いい時代だった、と。

相模湖畔にて。
時々、神社仏閣や名所旧跡へぶらっと出かけた。
誰にも束縛されない、気分一新のいい一日になった。
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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞