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いつの間にか「傘寿」⑫

いつの間にか傘寿1
10 /17 2023
前回、同窓会のことを書いたらすっぽりはまり込んでしまい、
懐かしさから抜けられなくなりました。

修学旅行で。右端が私。
img20231015_05425535_0002.jpg

同窓会のあとにいただいた同窓生からの突然の手紙を改めて見た。
手紙の書き出しはこうだった。

「前略 突然ですが懐かしさに駆られてお便りいたします」


そしてそこには思いがけないことが書かれていた。
彼は私が書いた山登りの本2冊を読んでくれていたのです。

私の登山の始まりはこうだった。


東京から静岡に転居してみたら、ここには魅力的な山がいっぱいあった。
指をくわえて見ているだけではもったいない。
そこで私は地元の山岳会に入れていただいた。30代で二人の子持ち。

旧住民の主婦たちからは、
「私らPTAかママさんバレーしか外出を許されていないのに」と、
お門違いの文句を言われ、


新興住宅地の奥さんたちには、格好のいじめの材料にされて、
「登山って若い人がやるもんなのに、いい歳してみっともない。
遭難したらみんなに迷惑かけるのに無責任な人だ」と、
これまたお門違いな非難をされた。


苗場にて。息子たちを連れてスキーに。
「あの家、また変わったことを始めたよ」と、スキーも誹謗の対象に。
苗場

主婦たちが大勢働くパートの部品組み立て工場では、
こんなことが広まっていると、PTAで知り合った主婦から告げられた。

「あんた、ここでは有名人だよ。みんな言ってるよ。〇〇の変人って」

〇〇はここの土地の名。

しかし間もなく本を出版し、テレビや新聞に出ると状況は一変。
「〇〇の変人」はアッと言う間に「〇〇の貴重品」に格上げされた。

あのいやがらせ大学教授夫人までもが「わたしを山へ連れてって」ときた。

どんな相手であろうと、頼まれれば一生懸命尽くす私。
大学教授夫人とそのお仲間を数人、近くの低山に連れて行ったら、
途中で「疲れたから帰りたい」と言い出して、1時間もしないうちに下山。


別のグループからまた頼まれて連れて行ったら、途中から小雨になった。
途端に「こんな日に連れてくるなんて」と文句タラタラ。

「女子と小人は養い難し」そのものではないですか。

あ、同窓生の手紙から横道に逸れ過ぎました。

さて、同級生の彼が読んでくれていたのは、
私の登山の本「おかあさんは今、山登りに夢中」「お母さんの歩いた山道」。

これは二人の息子を高山に連れて行ったり、
私自身の生きざまと山を絡めた山行記録だったが、
まだ主婦や子連れ登山が珍しい時代だったため、注目された。

「お母さんになっても山登りしてもいいんですね」「勇気をもらいました」
というお便りを全国からたくさんいただいた。


そうか、みんなも同じ目に遭っていたんだと、驚いたり安堵したり。

私も見知らぬ農家の主婦から「よくそんなに遊んでられるねぇ」と言われたり、
近所の男どもからは「主婦のくせに」とあからさまに悪態をつかれた。
山仲間の友人はそんな地元を避けて、東京の山の会で活動していた。

他人のことばかり気にしてあげつらう人が、どうしてこうも多いんだろう。
自分が夢中になるモノを見つける方が、ずっと心豊かに生きられるのに。


体育祭で仮装大会の衣装を着て。その名の通り、いつも明るい照ちゃんと。
右端には胸を膨らませて女装した男子生徒が…。
img20231015_05425535_0001.jpg

同窓生は手紙にこう書いてきた。

「山登りの本二冊を読み終わり、
あなたの足跡と自分の人生をダブらせて感慨に耽っております。
気持ちはとても清々しく、こんな時を創ってくれた貴女に、
「有難うございました」を言いたくて、この手紙を書き始めました。


貴女の小気味の良い書き振りに感心する私の頭の中に、
咄嗟に「ふもと」とそこに書かれたあなたの詩が思い浮かび、
変色した七冊の小冊子を取り出して検めて見つけました。


昭和三十二年十一月五日発行の中学二年版「ふもと」NO45

練習       〇〇中学     雨宮清子

「きおつけー」
という声が運動場中に聞こえる
みんながくすくす笑う
わたしは兵隊さんのように
ピーンと立った
「ラジオ体操のたいけいにひらけー」
又もピリッとした声がする
消ぼう団のようにだだだととんでいく
道ゆく人がたちどまって
それを見ている


『だだだ』と飛んでゆく。同じ人だという証拠ですね。

雨宮さんとは高一の時一緒のクラスだったように思い、
写真を見たのですが見当たらず、高二の修学旅行の写真を見たら、
清楚な乙女がいるではありませんか。
ほっとして嬉しくなりました。


「お母さんの歩いた山道」に、K先生のことが書かれていますが、
私にも思い当たることが在り更に嬉しくなりました。

年老いた父が病の床に就き、家計も苦しく、
進学の可能性を考えられなかったその頃の私は、
勉強に励むことなど毛頭なく、バスケットボールと映画に熱中していて、
映画を観に行く為によく早引けをしました。

「蓄膿症の治療に病院へ行くので」と、K先生には偽り続けていました。
心の何処かに、
先生に対する痛みを抱えていた私をK先生が信用してくれたことが、
私には無上の張り合いとなり、『人を信じることが人を動かす』
ということを教わったように思いました。

貴女が同窓会の際、K先生に(追試の時の気遣いに対する)礼を
言いそびれたのと全く同じことを私も味わいました。

先生はもう私のことなど覚えてはいないだろうし、先生は誰彼の差別なく
自分の信ずるところを行っていた人だと思っていましたので、
挨拶をするのも変なもののような気がして、時をやり過ごしてしまいました。


今日までいろいろな人と接して来ましたが、『尊敬する』と言う言葉に
ぴたりと嵌る人は、K先生だけだったように思います」


体育祭・ほかのクラスの仮装。
当時はバイクで騒音を立てて走り回る若者たちを「カミナリ族」と言った。
1960年代の高校生たちです。
高校体育祭1

高校卒業からはや60余年。
改めて読んでみた同窓生からの手紙。

手紙は生き生きと語り掛けてきました。
涙もろい私はタオルで涙を拭き拭き読みました。


彼は、
失恋、組合運動の挫折、職場をいくつか変えたと赤裸々に綴っていました。


「平凡な人間として普通の男としての生活を作るまでには、
かなりの永い歳月が流れ、
それでも生きなければならないと経理の勉強を始め
…略…

現在の妻と見合い結婚をし、
六畳一間のアパート暮らしから新たな出発をした。
何かを背負うことにより
それを生き甲斐としなければ生きて行けないように思い、
ごく平凡な女を伴侶とすることが自分に合っていることを納得した。

今私の家族は妻と、妻の病気の実父と二匹の猫。
食っていければいいんだと腹を括ってのんびりやっています」


手紙には知り合いの山男から聞いたというケルト語のこんな言葉も。

「ア ファン アール ゴーディ(緑の谷間 希望の大地)」 

そして末尾をこう結んでいた。

「雨宮さんの本を読んで、元気を分けて貰ったような気がしています。
いろいろ昔のことを思い出して、楽しい気分です。
有難うございました」


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞