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いつの間にか「傘寿」⑪

いつの間にか傘寿1
10 /14 2023
無事、高校生になったが、勉強に身が入らなかった。
60年安保の前年で、世間が揺れていた時代だった。

私はというと、「虚無」という言葉に取りつかれ始めていた。
虚無というより「ニヒリズム」。
同じだけどなぜかカタカナの方が気に入っていた。

なんだかわからないまま、自分にピッタリだ!なんて興奮して…。

もうなんでも虚しく思った時代。高2の修学旅行の車中で、
「あれっ、アメちゃんが笑ったのを初めて見た」と言われてしまった。
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遅刻の常習犯にもなった。

登校がいやだったわけではない。
電車の本数が少ないため、前の電車で行くと40分ぐらい早く着きすぎる。
一本送らせると5分ぐらい遅刻するだけなので、どうしても後の電車になった。

当時の先生は「お前、また遅刻か」と言うだけ。気楽な時代でした。

なにしろこの世のすべてが虚しく思えていたから、
「人はなんのために生きているんだろう」なんて、いっぱし煩悶して。
その昔、華厳の滝へ飛び込んだ藤村操の言葉に反応して、
「ふむふむ、大いなる悲観は大いなる楽観に一致する。そっかぁ」と。

「勉強なんてやる意味あるの?」なんて真剣に考えていたから、
当然、勉強は疎かになった。

結果は如実に現れた。

「お前の姉さんや兄さんは優秀だったのになぁ」と担任から言われたし、
高2の時は数学で赤点をとった。

夏休みのある日、電話が鳴って私が出ると、担任からだった。

「今、近くに親はいるか?」
「いえ、いません」
「そうか。あのな、数学、ダメだった。追試に来い。親には内緒で来いよ」

勉強は嫌いだったが、この学校は大好きだった。

同窓会で。「きよちゃーん! オレ、好きだったんだよ」「ふええー」
あのころは笑顔も消えて、ラブレターもらってもトキめかず。

そういえば、当時「僕の可愛いみよちゃんは」って歌が流行ってて、
みよちゃんをきよちゃんに替えてからかったのは、もしや?
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ここは旧制中学から新制高校になった学校で、私は新制高校第十四回生。
圧倒的に男子生徒が多く、私のクラスは53人中、女子生徒は13人。
少ないところは4人。男子だけのクラスもあった。

バンカラが色濃く残り、先生と生徒の間にはいい絆があった。

教師の移動はほとんどなかったから、
「〇〇高のホコリ(誇り)、ゴミ(五味)先生」などのあだ名も
代々引き継がれていて、そんな「伝統」に私は感動したりしていた。

電車を降りたら駅で先生たちが並んで、「安保反対」のビラを配っていた。
ここの高校の専用みたいな小さな駅だったから、
この時間、降りるのはここの生徒たちだけ。

「先生何してんだよ」と生徒から声を掛けられて、
先生は照れながらビラを手渡してきた。
配る方も受け取るほうも和気あいあいの変な安保反対です。

ほかの高校なら大問題になっただろうが、ここは違った。

「剛健進取の志操は堅き 若き人生の闘志我らの 使命は重きこの濁世に」
の校歌のままの活力漲り、意見をはっきり言うことが許されていたから、
居心地は最高だった。

同窓会で久々に聞いた在校生からの応援エール。
このときからすでに30年。光陰矢の如し。
応援団

あのころは「未来の日本は安泰だよね」なんて信じていたけれど、
「剛健進取の志操」のかけらもない政治家や稚拙なゲーノー人種や、
エセジャーナリストがはびこるこんな濁世になるとは思いもしなかった。

とまあ、憎まれ口はこの辺にして、

高校時代の私、勉強はしなかったが映画はよく見た。

「禁じられた遊び」
戦争孤児の女の子と農民一家の少年の別れに胸が詰まった。
このころは戦争を批判する映画が多かった。
禁じられた遊び

実家が映画館という教師が、さりげなく割引券を置いていくので
そこへ行ったり、下校のとき途中下車した町て3本立てを見たりした。

「西部戦線異状なし」の、戦争推進者への痛烈な皮肉を
情緒的な表現の中で描いて見せたあの感動は格別だった。

主人公は愛国心を説く教師の言葉に感動して入隊したものの、
戦争はただの殺し合いだったことを知る。この主人公も戦死するが、
大本営は「今日も西部戦線異状なし」と発表した。

私は泣き泣き憤慨した。

「アラビアのロレンス」では、
ロレンスが熱砂漠の陽炎の中からユラユラ現れるシーンや、
砂漠の蟻地獄に落ちた少年の恐怖の目が、いつまでも瞼に残った。

「顔のない眼」では事故で顔を失った娘のために医者の父親が、
他人の顔を移植しようと殺人を犯す。だが移植した顔は次第に腐っていく。
人間って恐ろしいことを考えるものだなあと思ったが、
今や移植は普通のことになった。でも私にはこの映画がチラついて…。

「戦場に架ける橋」
第二次大戦中、日本軍が捕虜を使ってタイとビルマを結ぶ鉄道を建設した。
その過酷さから「死の鉄道建設」と言われた。実話から創作した作品。
戦場に架ける橋

「戦場に架ける橋」のララ、ラララ、ラッラッラーの主題歌の口笛、
「地下水道」の壁を叩く音、
「禁じられた遊び」の、哀しくしのびやかに響くギターの音色、
ミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」のトゥナイトの透き通る歌声、
マリア、マリア、マリアの若者の力強い叫び、


どの映画の主題歌にも本当に感動した。「グレンミラー物語」もよかった。

西部劇もよく見た。
「リオ・ブラボー」では、リッキー・ネルソンに惚れ込み、
ジョン・ウエインにはスクリーン上で何度も会った。

「ローマの休日」ではヘプバーンに憧れた。


「鳥」に恐怖し、「老人と海」にはしみじみ。「渚にて」の人類滅亡の町で、
コーラの瓶が風に揺れて音を立てているシーンに、近未来はこうなんだと。

「ぼくの伯父さん」も楽しかったし、「チャップリンの独裁者」では笑った。

チャップリン

日本映画にもいい作品がたくさんあったはずだが、
「椿三十郎」しか思い浮かばない。

就学前、父に連れられて見た「東海道四谷怪談」が人生初の映画鑑賞で、
その後は美空ひばりとマーガレット・オブライエン共演の華やかなものに。

映画の前にパラマウント・ニュースがあって、これも楽しみのひとつだった。

最初にライオンがウワーオとひと声吠えるのだが、
私には顎がはずれかけたライオンが、
けだるそうに吠えているとしか見えなかった。

「ウエスト・サイド物語」
リチャード・ベイマー、ナタリー・ウッド、チャキリス、リタ・モレノ出演。
ウエストサイド物語

見終わって映画館を出るころはすでに夜。

商店街はシャッターが下りていて、街灯だけが歩道を照らしていた。
誰もいない町をコツコツと駅へ向かい、そうして辛抱強く電車を待った。


私の下車駅で降りる人はほんの数人で、
そのほとんどは駅近くの路地へ消えていくので、その先へは私一人になった。

坂道を上る途中に「大入道のお化けが出る」発電所の導水管があった。

小学生の時買い物を言いつけられて、胸に買い物かごを抱いて、
走り抜けた場所だが、高校生のこのときは緊張しつつも難なく通り過ぎた。

当時、近所の娘さんが強姦されて大騒ぎになっていたから、
私に何もなかったのは奇跡というほかはない。

夜遅く帰宅する娘を両親はどう思っていたのだろう。

あのスーパーカブ事件以来、父も母も何も言わなくなったが、
このときも何も言わなかった。

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞