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いつの間にか「傘寿」⑦

いつの間にか傘寿1
10 /02 2023
二階に上がる階段の下に三角形の隙間があって、そこに本棚があった。

本棚の前は廊下だったが、電気はなく昼間でも暗い。
その暗い中で本棚の扉を開けると、中でいろんな本が待っていた。

母の婦人雑誌、姉が読んだ詩集や小説、絵本や購読していたキンダーブック。
村には幼稚園がなかったから、これが私の「学びの場」になっていた。

絵本の「さるかに合戦」は、今でも覚えている。

「くりがポカンとはぜましたッ。さるはびっくりおおやけど。
かにをいじめたさるさんは、みんなにいじめッ、られましたッ」

いつも一人で大きな声で読んでいた。
登場する臼にも栗にも手足が生えている。あり得ないことがここにはある。
ワクワクした。


私は自分が母親になったとき、
息子たちに次から次へと絵本や児童書を読み聞かせた。

次男が高校入試の面接で、教師から「好きな本は?」と聞かれて、
「ロアルド・ダールのチョコレート工場の秘密」と答えたら、
「君は15歳にもなってそんな子供の本しか読んでいないのか」と言われ、
居合わせた受験生たちにも笑われたという。


チョコレート お化け桃

「先生はこの本や作者をよく知らないんだよ」と、私は息子に言った。

ロアルド・ダールには、
「来訪者」「昨日は美しかった」などの異色の短編集がある。
この作者は、ひねりとユーモアと恐怖をさらりとまとめる短編小説の名手。

その摩訶不思議な物語には、大人とか子供とかを超え、区別などない。


来訪者 昨日は

だから私の書棚には今も、
「チョコレート工場の秘密」も「おばけ桃の冒険」も並んでいる。

沖縄の長男の家に行ったら、やっぱりあった。

「これ、好きでね。こっちに来てから買った」
と言うのを聞いて、私は内心、ニヤリとした。


私を本の世界に導いてくれたのは、まぎれもなく母だった。
読んでくれた覚えはない。だが、いつも本は用意されていた。

あの階段の下の三角形の薄暗がりの、観音開きの扉を開けると、
待ちかねていたように本たちが語りかけてきた。

詩集もあった。
姉が大声でそらんじていた「からまつの林を過ぎて」
(北原白秋)もあった。
後年、山登りでカラマツの林を通ると、きまって
「からまつはさびしかりけり」が口を突いて出た。

「からまつはさびしかりけり たびゆくはさびしかりけり
からまつの林の奥も わが通る道はありけり」


堀口大学の「夕ぐれの時はよい時 かぎりなくやさしいひととき」も、
一瞬、物音が消えた夕ぐれに遭遇するたびに、この一節が浮かんだ。


中原中也は最も好きな詩人だった。
山之口獏の「妹へおくる手紙」も好きになった。

文語調の藤村の詩は難しかったが、なんとなくわかるような気がして、
後年、本を買った。


小学6年生。少し気取りが出てきた。
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小学校に上がると、母は小学館の小学一年生を本箱に入れてくれた。

学年があがるたびに、
母は今まで通りの本がいいか、「少女」という雑誌かを決めなさいというので、
迷いつつ「少女」にしたら、松島トモ子や小鳩くるみなんていう童謡歌手が
たくさん出ていて、世の中にはいろんな人がいるんだと驚いた。


母の婦人雑誌も盗み見た。
女性の性について書かれていて、秘密を知ったようでドギマギした。

そのうち、小銭を握りしめて近くの貸し本屋で、
分厚い読み切り雑誌を借りてくるようになった。

何人もの手垢や汗でめくりあがった汚い雑誌だったが、気にならなかった。


好きな女の家に忍び込むのに飼い猿を小窓から入れて、
戸口の錠前を開けさせた話など、夢中で読んだ。
総ルビだったから、難なく読めた。

学校で先生がみんなに「小公子」だの「野口英世伝」など読み聞かせたが、
しらけながら聞いていた。思えば生意気な小学生だった。


小学6年生の修学旅行は東京だった。
昭和30年ごろの羽田国際空港。閑散としていました。
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夜は枕元にノートと鉛筆を置いて寝た。

天井を見つめていると、ふいに言葉が浮かぶ。それをすぐ書き留めた。
はらばいになって書いていたので、背中に乗った猫が肩越しに見ていた。
猫の手が鉛筆の動きにじゃれるのを、払いのけながら。

当時、この県東部には「ふもと」という文集があった。


富士山のふもとに点在するそれぞれの小・中学校が連携して作った文集で、
先生は私の詩をそれによく応募してくれた。

そんなことなどすっかり忘れていた50代のとき、
突然、分厚い手紙が届いた。


それは初めて出席した高校の同窓会から帰って間もなくのことで、
差出人の名前に覚えはなかったが、開けてみると同窓生からだった。

名前も顔もほとんど覚えがない。
だが、読み進むと、思いがけないことが書かれていた。


「同窓会であなたを見て、やっぱりこの人だと思いました。
あなたは子供の頃、ふもとに詩を載せていましたよね。
僕はあなたの詩が好きで、今でも全部持っています」

手紙には当時の私の詩がすべて書かれていた。


昔の詩のノート。かろうじてこれだけ残っていた。
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このとき、
「ふもと」が発刊されていた時代からすでに40年以上もたっていた。
しかもこの人は、今は故郷を離れて暮らしているという。
なのに私の詩が載った「ふもと」を持ち続けているというのだ。

夢を見ているようだった。

もがき続けていた少女時代の、
同じ富士山のふもとに住む見知らぬ女の子の私を、
この人は詩を通してひそかに見続けてくれていたのだ。

CIMG4984.jpg

しかも高校生の時も40年後の同窓会でも名乗りもせず、
手紙という形でそれを伝えてきた。

私はこの時、初めて知りました。
意図せず知らないまま、人を感動させることがあるってことを。

しかし、2回ほど手紙をやりとりしたあと、音信がプツンと途絶えた。


数年して再び開催された同窓会で、私は意外なことを聞かされた。

「彼は亡くなりました」

あのときすでに不治の病いだった、と。


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コメント

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No title

こんにちは^^

いつも拝読し 思います

雨宮さんの書くものは文学のよう
良いお話で胸に染み入ります





10taさんへ

いつもご訪問、ありがとうございます。
傘寿を迎えたら急に越し方が気になって振り返りました。
自分としてはあっという間でしたが、一つ一つ思い出すと、
まあなんと古い時代を生きてきたもんだと驚いています。

文章を書くことは恥をかくことというのは、昔の人の言葉ですが、
恥をかいても先が知れていると腹を据えました。
楽しい話ではないので、敬遠される方もおられるかと思いますが、
私自身が他の方々の体験に助けられたこともあって、
この私の体験が少しでもお役に立てばと、そんな気持ちでおります。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞