fc2ブログ

いつの間にか「傘寿」⑨

いつの間にか傘寿1
10 /08 2023
中学3年生、15歳。

この年私は事件を起こした。

父はその年、
発売されたばかりのスーパーカブというオートバイを購入した。
たしか灰色か白と深いブルーの車体だったと思う。

年代で検索したら「1958年モデルC100 」というバイクだったようだ。

父は商品の仕入れをそれまでの電車からマイバイクに変え、
隣町の問屋まで通い始めた。

あれは確か、秋の終わりごろだった。

私はその買ったばかりの父のバイクを持ち出して、
小学校の校庭で乗り回したのだ。

こんなすごいバイクではなかったが、気分はこんな感じだった。
20231001_203554.jpg

高額なバイクを購入するかどうか、父は迷いに迷ったはず。
そうして一大決心をして手に入れた大事な商売道具だった。

それを私は持ち出して、小学校の校庭を走り回った。

イライラしていたわけではない。衝動にかられたわけでもない。

なぜそんなことをしたのか、自分でもさっぱりわからない。
今もってわからない。

無意識で、というほか表現のしようがない。

おかしなことに、乗り回したことだけは鮮明に覚えているのに、
その前後の記憶がポッと消えている。


たぶん倉庫から引きずり出して、道路を引いて歩いて行ったはずなのだ。

動かしたときどんなだったかと言う覚えがない。
車体が重いなどという記憶もない。

触るのも初めてだったから、それまで乗ったことなどもちろんなかった。
父がエンジンをかけるところは、なんとなく見ていた。


校庭へ辿り着くまでの道のりを、今、辿ってみると、
初めに家の前の坂道を引きずりあげ、坂のテッペンに辿り着いたはずだ。

そこから小高い場所に立つ校舎の脇を通り、第一校庭の脇へ出て、
そこから下の大きな校庭へ続く急な坂道を下って行ったはずなのだ。

放課後の校庭には野球をしたりゴム跳びやボール投げをする子供たちが、
思い思いに遊んでいたことは、かすかに覚えている。

CIMG5635_20231001202200ad7.jpg

寒い季節ではなかった。
日が落ちるまでにはまだ少し時間があった。

エンジンは難なくかかった。

座って右のハンドルを内側にひねると、
いきなり車体がグワンと跳ね上がり、そのまま突っ走り出した。


鉄棒の脇を通り、ブランコの前を曲がり、講堂が建つ石垣の前を左へ曲がり、
砂場の前に出ると、朝礼で校長先生が挨拶をする演台をすり抜けて走った。

2周目になったら、ますます速くなった。
3周目になってもバイクは止まらない。

スピードが出過ぎてなんとかしようとハンドルを強く握ったら、
ますます速くなった。

焦れば焦るほどスピードが増す。
このまま永遠に走り続けていなければならないのか、
そんな考えが頭に浮かんだ。


4周目に入ったころ、ハンドルを持つ手がだるくなって、
ふと、力が抜けた。

その途端、ストンストンとバイクが減速を始めて、やがて動かなくなった。

その後のことはここへ来るまでと同じように、全く記憶がない。

子供たちは恐れをなして逃げたのだろう。
気が付いたら校庭には誰もいなかった。


バイクを家まで引いて帰った覚えがなかったから、
きっと誰かが家に知らせて、家の者がすっ飛んできたに違いない。

来るとすれば父親しかいないが、誰が来たのかまったくわからない。
駐在さんが来た覚えもない。どんなふうに家に帰ったかも。

走ったこと以外、今もって記憶がスッポリ抜けたままだ。


CIMG4071.jpg

ただ誰からも叱られなかった。

「あんたは気味の悪い子だね。何を考えているのかさっぱりわからない」

いつもそう言っていた母もこの時は何も言わなかった。

私は少しも慌てず動揺もせず、
その後は何事もなかったかのようにそのまま普通に戻った。


「清子は戦争の真っ最中に生れ、母乳も出ずミルクもなし、玄米で育つ。
おとなしくスヤスヤ。小さいときからあまりしゃべらず、
何か夢見るような子供だった。
お祭りに行くと他の子供たちはいろいろ欲しがったのに、
清子はいらないといって、母親の私は理解に苦しんだ」

母は自叙伝にそう書いた。


お祭りに連れて行っても、綿あめもなにも欲しくないと言う私は、
確かに子供らしさのない「気味の悪い子」だったに違いない。

兄は欲しいものの前から動かず、それがかわいいと嬉しそうだった母が、
「いらない」と言う私のひと言で、怒りが頂点に達した。

今にも鉄拳が飛んできそうな気配を察して、
私はとっさに目の前のおもちゃを指さした。

それはネジを巻くと4本の足がギコギコ動くブリキの亀で、
ちっとも欲しくなんてなかった。

少しも嬉しがらない私を見て、母はますます不機嫌になった。


「母乳は出ないしミルクはないし。それで考えて玄米を粉にして
それを飲ませたんだよ。だからあんたは玄米っ子なんだよ」と母。
img20230919_13040906.jpg

私にはモノよりもワクワクするものがあった。

露店のタライの中を走り回る小舟、おみくじを口にくわえて運んでくる小鳥、
ガマの油売りのおじさんが自分の腕に刀を突き刺して叫ぶ口上、
サーカスの子供たちのどぎつい化粧に見世物小屋のおどろおどろしい看板。

私にはブリキの亀よりも、
こうした異次元の世界がたまらなく楽しかった。想像力が目まぐるしく働いた。

むりやり持たされたブリキの亀を暗い顔で握りしめている私を、
いまいまし気に睨んだ母。


そんな母が、新品のスーパーカブで走った15歳を叱らなかった。

「気味の悪さ」が度を越し過ぎて、恐れを成したのだろうか。
自叙伝に「母親の私は理解に苦しんだ」と書いた母は、
この娘を理解しようとするのは苦しむだけだからと諦めたのかも。


常に緊張を強いられていた小学生時代から少し解放されてホッとしたものの、
身の処し方がわからず、今度は糸の切れた凧状態になってしまった。
勉強もさぼり放題だったが、運よく高校生になれた。
img20231001_20540757.jpg

父も何も言わなかった。

未成年者が無免許で走り回り、
校庭の子供たちを轢いたかもしれない大事件だったのに。

桜の木から落ちた長兄や肺炎で危篤になった次兄のことや、
自転車にぶつけられて顔にケガをした次姉ことを、
母はまるで昨日のことのように事細かに自叙伝に記しているのに、
私のこの大事件については口を閉ざした。

もしかしたら、コーナーを曲がり切れず、
そのまま高台に建つ小学校から真っ直ぐ飛び出して崖下へ転落、
ということを父も母も想像して、
恐怖のあまり言葉を失くしてしまったのかもしれなかった。

この出来事を二人共、生涯、口にすることはなかったが、
私の手にはあのときのハンドルの感触が、今も残っている。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

No title

こんばんは。

なんだかちょっと心に沁みました。。。

ご~ご~ひでりんさんへ

コメントありがとうございます。
渦中にいるときは大変でしたが、
こうして時間がたつと冷静に語れるものなんですね。恥の自伝ですが…。
でも、心に沁みましたと言ってくださって、ホッとしています。
ありがとうございます。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞