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やがて悲しき…

世間ばなし➁
06 /01 2023
このところいろいろあって、ちょっと疲れちゃって、
それで本日は世間話です。

カンヌ映画祭で北野武さんが新作映画「首」で、万雷の拍手だったそうで…。

大昔、この人の映画を見たら、残虐場面がコマ落としみたいに現れて、
結局、何を言いたい映画だったんだろうということになって、
その後は見る気がしなくなった。

ほかの監督の作品に俳優として出ているときは、
いいね!となるんですけど。

ただ、どの映画の役柄も同じに見えた。

私は映画に詳しくないし凡人だから、
良さがわからないだけかもしれない。きっとそうだろうな。

だって海外のみなさん、あんなに熱狂していたし。

有名俳優を起用して、何本もの映画を制作するって、
すごいお金持ちなんですね。才能もエネルギーも枯渇しないのがすごい。

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で、映画の残虐シーンを背にした北野氏の顔を見ていたら、
なんだかウクライナの大統領とダブってきちゃって…。

ごめんなさいね、おかしなこと思っちゃって。

でも、よその国のお殿様が用意した特別仕立ての「空飛ぶお駕籠」から、
G7の日本国・ヒロシマへTシャツ一枚で現れたのを見たら、

ひょっとしてこれは戦争映画のスクリーンを背にしたお芝居で、
あの悲痛な顔が次の瞬間、
「アッハッハー! みーんなトリックだよ」とお道化出すんじゃないか、と。

こんなことを書くと、「侵略された非常時の国なんだよ。不謹慎な!」と、
お𠮟りを受けそうですが…。
これって、韓国に現れた大統領夫人の美しい装いを見たせいかも。

で、そのお二人の顔にさらに重なったのが、子供の頃観た地方まわり、
そのころはドサまわりと言っていた役者の顔。

なぜこの3人がダブって見えたのか、自分でもわからない。
もしかしたら、
先の二人も芸人出身だから、そういう刷り込みで見ているだけなのかも。


私が住んでいた田舎に大きな製紙工場があって、
そこに芝居小屋があったんです。
芝居小屋といっても歌舞伎座に似た立派なもので、枡席も花道もあった。

格天井には企業の派手な広告が描かれていて、まわり舞台まであった。

まわり舞台は手動式だったから、床下ではおじさんたちが梶棒を持って
ぐるぐる回しているんだと親から聞かされた。

その役者さんたち、興行の前になると舞台衣装を着け、
一座の名を染めた幟を立てて、村のメインストリートをゾロゾロやってきた。

幟には「美空すずめ」とか「中村銀之助」なんていう
当時の有名歌手や俳優の名を寸借したインチキ名が書かれていた。

そうして村中を宣伝して歩くのだが、
太陽に晒されたその顔の気色の悪いことったら。

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男も女も白塗りべったりの顔に真っ赤な口紅。
青やら黒のシャドウで隈取りした中に黄色味を帯びた目。

そういう一団が真っ昼間、わーわードンドコ賑やかにやってくる。

役者が喚くたびに口紅がこびりついた歯がむき出しになり、
安物のカツラが額や耳の境目でフガフガ、パクパク動くので、
その異様さにギョッとなって、私はすぐ家の中へ逃げ込んだ。

夜になると、芝居の幕が開いた。


ほとんどが時代劇で、斬った張ったの大立ち回り。
座長扮する正義の素浪人が、悪人共をバッタバッタと斬り倒す。

小人数の一座だから、
死んだはずの悪人が生き返ってはまた斬られ役を演じるので、
その都度、笑いが起きた。


素浪人は死体が転がる舞台の真ん中に立つと、
血に染まった刀をかざしたまま、静止画像に成り切った。

そのスキを突いて舞台の袖から小走りに現れた悪人が襲いかかる。
観客が「あっ!」と息を飲んだ瞬間、バサリ。
素浪人の刀のほうが一瞬、早かった。


勝新太郎主演。「総天然色」「大映超大作」と銘打った昭和の映画。
「賭場から喧嘩場へ! 腕も上った! 
子分も出来た! 命知らずは寄ってきな!」
と書かれている。
映画

浪人はそのまま円を描くように刀をぐるりと回すと、再び静止画像になり、
首をひねって観客をねめまわしてキッと睨んだ。

すると満員御礼の客席から、万雷の拍手が起きた。
大向こうから声がかかる。


「なかむらやっ!」

無数のおひねり(投げ銭)が舞台めがけて宙を飛ぶ。
おじさんもおばさんも、持参した重箱の御馳走を頬張りながら一斉に叫ぶ。
「ほれぼれするよォー!」「あんた、さっきは後ろも危なかったよォ!」

役者は額に受けた刀傷の偽物の血を滴らせたまま観客席に向き直ると、
ニンマリ笑い、歯をむき出して叫ぶ。

「ありがとヨ!」

最後に子役を出す。これがまた悲しい役柄で…。
その子がたどたどしい声で言う。
「ととさま、かかさまの仇を討ってくれて、ありがとう」

客はもらい泣きしつつ、またも競っておひねりの雨を降らせた。

そしてすべてが終わると、「悪を滅ぼす正義」の舞台は一変。

さっきまで敵同士だった役者たちやあの幼い子役までもが、
おひねりを夢中でかき集めるシーンとなって、現実に戻っていた。


世界の映画監督と大統領閣下には恐れ多いことだけれど、
私にはなんだか、戦後間もない田舎の芝居小屋で、
見得を決めて拍手喝さいを浴びた座長とこのお二人が重なって…。

そんなふうに思うのは、やっぱり変ですよね。

このところいろんなことがあって、ちょっと疲れちゃったせいかも。
そうですよね、きっと。


紙芝居に見入る戦後の昭和の子どもたち。
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「藝能東西」小沢昭一編集・発行 新しい芸能研究室 1976

面白うてやがて悲しき鵜舟かな   芭蕉

    ーーー明るいニュースーー   

心を乱されて疲れちゃった私のために、
そばつぶさんがこんな情報を届けてくれました。


「73歳が石上げに挑戦」

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コメント

非公開コメント

鍵コメさんへ

ウとロの戦争にしても、自分の立ち位置をイデオロギーの違いのどちらに置くかによって見方は違ってきますが、私が一番思うのは国境が陸続きの国々と、日本のような島国ではかなり違うということを認識していないと、間違った考えを持つのではないかということです。

陸続きの国々は古代に小国家が林立し、紛争、侵攻、併合、消滅などで激しく離合集散してきた歴史があります。だから国境はしょっちゅう動く。一つの国がA国とB国に分裂したため、その所在地がB国にあるのに所属がA国になったため、税金はA国に払い公共料金の支払いや子供の通学はB国という例や、国境が3つも通る地域、多言語・多民族国家、多国に飛び地を持つ国など、そんな国はいくらでもあります。

大勢の意見はこうだからと迎合して、反対意見を叩く風潮が一番怖いです。

No title

おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな
長良川の鵜飼は見せ物、娯楽として一級のイベントだったのでしょうけれど、鵜飼が終わり篝火が消えていくときの観客たちのの心境。切ない現実の生活にひきもどされていく侘しさ、、

ワタシは暗い場所がダメなもので映画館に行けません。ついでにドラマも「仮面ライダー」以降、50年で数本しかみたことがありませんので、映画やドラマに関しては、国内屈指?の門外漢を自認しています。
ところが近ごろは、ニュースで、ドラマじみたというか芝居じみたオハナシに日々接することができるようになりました。ただしB級C級ドラマというのか、より適切には「茶番劇」ばかりで「上質の感動」とはいつも無縁です。キャスティングも悪すぎるのでしょうか?

ドサまわりの役者さんたちの行列の情景が読んでいてほんとうにおもしろいですね。ワーワーどんどこ、、町のざわめきまでほんとうに聞こえてきました。

おつかれのときは、食べて寝るのがいちばんと愚考します、、、
ワタシの場合は呑んで寝る!ですが ^ ^

awanohibiさんへ

コメントありがとうございます。

私が初めて映画を観たのは4歳ぐらいのとき。父に連れられて隣町の映画館へ行きました。観たのは「東海道四谷怪談」。今でも覚えています。障子がメラメラ燃えて髪を振り乱した凄い顔のお岩さんが現れたシーンを。帰宅したら母が父を叱りました。「子供にあんな映画を観せるなんて」と。その後も電車に乗ってよく観に行きました。美空ひばりとマーガレット・オブライエン共演が10歳の時。高校の帰りには3本立てを。帰りはシャッターの閉まった夜の町を一人で駅まで歩き、電車で田舎の人っ子一人いない駅で降りて、街灯もない田舎道を歩いて家に帰りましたが、今思うとよく無事だったと。
あの田舎の芝居、近所の娘さんが役者の一人に夢中になって家出。半年後に一座に捨てられて帰ってきました。

呑める方が羨ましいです。私は友人たちからよく言われました。
「あなた飲めないの? なんだ、つまらない人」って。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞